昼寝から目覚め、ランプの光るスマホを手に取ると、鬼のような着信履歴が並んでいた。
着信履歴37件。ホラーじゃん。
今日はオフであり、こんなにも着信がくる覚えはなかった。ゾッとしながら見てみると発信元はま〜くんでもあんずでもセッちゃんでもなく、もう一人の幼馴染み。
首を傾げながら画面を眺めていると、チャイムが鳴った。こんな時に限って家には母も兄者もおらず、パンツのポケットにスマホをつっこんで仕方なくドアホンへ向かった。

「どちらさま?」
「り゛づっ!」
「ウワきたなっ」
「うわああああんん!」
「近所迷惑なんだけど…?」

モニターに写し出されたアップの大泣きの幼馴染みは、いつもの可愛い顔もどこへいったのか、べちゃべちゃの顔面でしゃくりあげていた。泣きかたが完全に子供のそれだ。
本格的に泣き出して会話も不可能、ただ大声で泣かれて近所迷惑極まりないし、面倒くさい。かといって冷たく放置したり帰したりなどできるわけもなく、仕方なしに玄関へ向かった。
こんなとき、普段なら俺のところへなんか来やしないのに。一体ま〜くんは何をしてるんだか…。今日って生徒会の集まりとかあったっけ。こういうのは俺の仕事じゃないんだけどなあ?
こんな状態のななしを見るのもなかなかなく、さすがに俺も慌てて早足になった。

「ぐっ!」
「りつっ!うわあああん!!」

玄関を開くと、待ち構えていたらしいななしに弾丸のように飛び付かれてもろにみぞおちに入った。この子はレスラーにでもなるつもりなのかと思わずにいられない重たい一撃であった。
これ、俺とか兄者じゃなかったらやばいやつでは。

「と、とりあえず…中入れば…」

言葉もなくコクコク頷くななしを、息も絶え絶えにリビングへ通した。
このままではろくに話もできないだろうし、落ち着かせようとハーブティーを淹れにキッチンへ向かう。カモミールティーにちょうどいいのがあったはずだ。
ケトルがお湯を沸かす低い音に紛れてここまですすり泣く声が聞こえてきた。げんなりしながらも、いつもななしが使いたがる俺のカップを温めてしまうのは、やはり甘いのだろうか。
柔らかい湯気を纏う二人分のカップをトレーに乗せてリビングへ行くと、我が家に慣れきっているななしはわざわざ案内するまでもなくソファに埋まり、クッションを抱えていた。
それはななしを可愛がり倒している兄者が「ななしにはやっぱり白いネコチャンかの〜。お兄ちゃんが買ってやろうかの〜」とうざいテンションで買って与えていたものだ。「凛月にも黒いネコチャンを買ってやろうかの…?」とチラチラ見てくるのは黙殺した。
今となってはななしは俺よりも妹らしく、兄者からの家族愛を享受している。一人っ子のななしはま〜くんに出会うよりも前から俺たち兄弟をおにいちゃんおにいちゃんとついて回っていたが、俺が兄離れをしたことで加速したようだった。
いわく、

「だってれいちゃん、甘やかしてくれるから」

だそうだ。強かな女である。
弟として面白くないような、負担が減ってありがたいような、幼馴染みをとられたような、複雑な気持ちだ。
そんなななしはま〜くんのことも大層慕っており…というか、好意を持っていた。
これでもかと言うほど分かりやすく、知らぬは本人ばかりというくらいだ。
ま〜くんが告白でもされた日にはえんえん泣きながら「わたしと凛月と、その子どっちがいいの?!」と喚き散らす面倒くささだ。
その自信どこから来るの?俺たちのほうがいいに決まってるけど。
ま〜くんはま〜くんでななしのことを幼馴染みとしてなんか見ていないし。誰が聞いても両思いだろうに、ななしが近づけば逃げて曖昧な距離を続けるから周りはやきもきさせられている。

「はい、これななしの分ね」
「…これ、りつの」
「ん〜?」
「あり、がと…」

わざわざ特別だと言わずとも、長年の付き合いで伝わったようだった。
カモミールの花が浮かぶカップを両手で抱えたまま、ななしはぶさいくに泣き続ける。
本当に可愛く泣けない子だなあ……?
ため息をついて話を促すがななしはうまく言葉を見つけられないようだった。

「で、何があったわけ?」
「……それ、は」
「俺も暇じゃないんだけどお?慰めてほしいだけならま〜くんのとこいった方がいいと思うけど」

ま〜くんの名前を出した途端、口許へカップを運んでいたななしの動きが止まった。
これは地雷を踏んだ。分かっていても口から出てしまった言葉が消えてくれるわけでもなく、恐る恐る様子を窺うことしかできない。

「ななし…?」

さっきまで汚く大泣きしていたというのに、同一人物かと疑うほど静かに、涙を流した。
そっとカップを戻すと、小さく、しかしはっきりと、

「真緒に振られた」

と言った。
あり得るわけがない。ま〜くんは一度もはっきり言ったことはなかったけれど、ななしを特別視しているのは明らかだった。

「は?え?なんで?」
「幼馴染みとしか、見られないって…」
「いや、いやいやいやいや、おかしいでしょ?ま〜くんだよ?ななしのこと大好きじゃん、おかしいでしょ?」
「好きな人がいるんだって」
「それななしでしょ?」
「わ、わたしは、りつとおにあいだって」
「そんなわけなくない?ななしととか御免なんだけど」
「わたしだって凛月とか考えられないよ、まおに聞いてよお…」

聞けば聞くほどに理解が及ばない。
幼馴染みとしか見られない?
好きな人がいる?
本人は隠しているつもりらしいけど、ちょっとななしと話してると俺や兄者にすらやきもちを妬いているま〜くんが?
え?どの口で俺とななしがお似合いだとか言ってるの?絶対ない組み合わせじゃん?
ななしのお世話とか無理なんだけど?!俺がま〜くんにお世話してほしいくらいだし!
混乱する俺とは反対に、思い出してまた悲しくなったのかななしはえんえんと泣き出した。
あまりに汚いのでティッシュで涙だか鼻水だか分からない液体をぬぐってやる。それも綺麗にした端から汚れていくのでいたちごっこなのだが。

「あんなに構っておいて好きじゃないとかないでしょ」
「りつだって、お世話されてるじゃんっ」
「逆にななしじゃなかったら誰のこと好きなわけ?」
「わたしだって、そうおもったよ!」

思ったんかい、というつっこみはできなかった。
でもだめだったの!
悲痛な叫びに、いよいよ言葉を失った。

「まおはっ、真緒は、わたしのこと好きでもなんでもなかったの!わ、わたしがひとりで舞い上がってただけだったの…!」
「それはそれで面白いけど」
「おもしろくないっ!恥だよ!笑い者だよ!」
「あはははは」
「笑うなばかっ!」
「まあ可哀想だとは思うけど」
「もう凛月と結婚する……」
「やだ」
「優しくしろ!じゃあれいちゃんとするっ」
「え…絶対いやなんだけど…?」

傷心のななしには悪いけど、普通に兄者と結婚して俺の血縁者になるって線はやめてほしい。
妹と思ってる相手ととか、兄者にこれ以上変態属性を付与するな。
赤の他人を妹扱いして溺愛してる時点でだいぶやばいんだから。

「普通にま〜くんのこと押しなよ。ま〜くんの押しの弱さ知ってるでしょ?ななしが泣いたら一発だよ。泣き落とし得意じゃん」
「こんなときに真緒の前で泣けるわけないでしょ」
「うーん、でも変じゃない?」
「…へん?」
「ま〜くん、俺とお似合いだって言ったんだよね?」

俺がちょっとななしと楽しそうにしてるものならなんでもないような顔で邪魔しにくるくせに、わざわざななしを振ってまで俺を引き合いに出す必要はないはずだ。

「誰かになんかろくでもないこと吹き込まれたんじゃないの」
「誰かってったって、」
「え〜そこまでは知らないよ」
「凛月っ!」
「…あ〜もう分かった分かった。ま〜くんがどうしてもななしとは付き合えないって言って、ななしが兄者と結婚するくらいなら、まあそのときは俺がもらってあげてもいいけど」

さすがに哀れになってきて、そう口にするとななしはぐちゃぐちゃの顔で笑った。

「ほんと?!絶対だか」
「は?」
「お兄ちゃんは許さんぞい!」
「うわっ兄者?!」

突然リビングの扉が開いたかと思うと、兄者と無表情のま〜くんが立っていた。
ま〜くん、ななし振っておいてその反応はどうかと思う。俺死ぬの?怖すぎるんだけど。

「えっ、え?!凛月、ななしと結婚するのかや?ななしはれいちゃんと結婚するんじゃなかったのかえ!お兄ちゃんは、お兄ちゃんは許さんぞい!」
「そんなこと言ったことない」
「れいちゃんとはやっぱり絶対しない…」
「ぐう、弟と妹が冷たい…!」
「ていうか立ち聞き?兄者死んで」
「違うもん違うもん、衣更くんがうちの前でうろうろしてたから凛月に用事かと思って連れてきてあげただけなんだぞい…!」
「え、えーと、なんか忙しそうだし俺はこれで…」
「逃がすと思う〜?」
「うわっ!急に掴むのやめろよ?!」

めそめそ泣き真似をする兄者を無視して、逃げようとするま〜くんを無理矢理捕まえてソファへご案内。
対面のななしはビクッと体を揺らして縮こまり、身を守るように膝を抱えて俯いた。
それま〜くんにパンツ見えるよ。色仕掛け?
びびって何も言えなくなってしまったななしの代わりにま〜くんを睨めつける。

「さすがに俺、怒ってるよお〜」
「何をだよ…?」

気まずそうに視線を逸らして言うなんて、心当たりがあると言っているようなものだ。分かりやすすぎてため息が出る。
関係ない兄者がいる場で話を進めるのもどうかと思ったが、ドア枠に体重を預けて立っているあたり、ま〜くんが逃げないようにしてくれているんだろう。
よかったね、ななし。兄者も味方してくれてるよ。鬱陶しいことこの上ないけど。

「ななしのこと、振ったんでしょ?」
「なっ」
「ま〜くんに振られたらななしが俺に黙ってるわけないじゃん。びーびー泣いてぶっさいくだったよ」
「ななしは不細工じゃないだろ…」
「はいはい、今そういうのいいから〜。ま〜くんさあ、ななしのこと好きじゃないんだよね?」
「…それは」
「振ったんだもんね?だったら別に、ななしが誰と結婚しようがいいじゃん。なんでそんな怖い顔してんの?」

ぐっと下唇を噛んだま〜くんは、今にも殴りかかりそうだ。俺はにやにやと焚き付けた。

「ねえ、いいよね?俺とななし、お似合いだって言ったんだもんね?」
「……だ」
「だ?」
「駄目に決まってるだろ!」
「好きな人いるんでしょ〜」
「ななしだって分かって言ってるだろ?!」
「やっぱりそうなんじゃん。意地張ってななしのこと泣かせちゃって馬鹿だなあ」
「それ、は」

躊躇うようにもごもごと口ごもったま〜くんは、とんでもない暴言を、そう、俺にとっては暴言を、吐き出した。

「だって、凛月もななしのこと好きなんだろ…?」
「は?」
「え、凛月…?」
「ないんだけど。絶対ないんだけど。何その誤解…?!名誉毀損なんだけど」
「り、凛月…えっと、ごめんわたし気付かなくて…」
「やめろ!兄者用のガトリング持ってくるよ?!」
「凛月〜おにいちゃんにもやめておくれ…」
「いいんだよ凛月。りっちゃん。俺のことは気にしなくていいから」
「ま〜くんもほんとちゃんと聞いて!つっこみがボケに回んないでくんないかなあ?!」

俺がななしを好きだなんて、いや、嫌ってるわけじゃないけど、恋愛的に好きだなんていうのはひどい誤解だ。いくらま〜くんでも訴えたくなるレベルの誤解だ。
ななしがま〜くんに捨てられて、変なやつに拾われるくらいなら俺がもらうけど、それは話が違う。
何を思ってそう勘違いしたんだか知らないけれど、即刻考えを改めてほしい。
俺が本気で嫌がっているのに気づいたま〜くんは苦笑しながら説明してくれた。

「でも、俺聞いちゃったんだよ。りっちゃんがななしのこと好きだって話してるの」
「はあ?だから、そんな…わけ…………」
「凛月?」
「あ、あー…言った、言ったね」
「やっぱり、」
「ちがう!違うから!そうじゃなくて!」

ななしが信じられないものを見るような目を向けてくるのを手で押し退けてま〜くんに向き合った。
あんまりしつこい相手だったから、ななしのことが好きだと、言ったのだ。ななしがま〜くんを好きなのは知ってたし、俺が自分を好きだと言っていたと聞いたとして変にその気にならないと分かっていたから。
その場しのぎの嘘だったし今の今まで忘れてたけど。

「ばっ、何言ってくれてんの?!何言ってくれてんの?!ほんと?!」
「俺だってこんなややこしいことになると思ってなかったんだってば」
「凛月のせいじゃん!わたしが真緒に振られたの凛月のせいじゃん!ばかっ!ばーか!!」
「痛いなあ、いや慰めてあげたじゃん」
「それも凛月のせいでしょっ!どうしてくれんの?!わたし真緒に振られたんだよ!」
「だからごめんてば」

ぜんっぜん悪いと思ってない!
きゃんきゃん叫びながらクッションで殴ってくるななしはもはやま〜くんのことも兄者のことも意識になく、怒りのままに白猫をもみくちゃにしている。
ななしが振りかぶる度にみにょんみにょんと伸び縮みする猫には同情する。

「だからあ、ま〜くんの勘違いなんだから振られてないでしょ」
「振られたじゃん!」
「そのせいじゃないなら俺のせいじゃないし〜」
「凛月のせいでしょ…っ」
「ななしや、そろそろ凛月を許してやっておくれ」
「れいちゃんは黙ってて!」
「はい…」

強く睨まれただけでぐすんと泣き真似をして隅っこで山座りをする兄者、使えない。もう少し庇ってくれていいんじゃない?
あと黙ってるま〜くんはそろそろななしをどうにかしてほしい。
ふと、糸が切れたように動きが止まった。

「いい、もういい」
「ななし?」
「分かった。もういい。誰か適当な人と付き合ってやる…!」
「ええ、それはどうかと思うけど」
「うるさーい!」
「だっ、駄目に決まってるだろ!」
「真緒には関係ない!」
「ある!」
「ない!」
「ある!」
「ない〜〜っ!」

自棄を起こしたななしはあほなことを言い始め、ま〜くんは見るからに狼狽えた。
頑固なななしが止められて、はいそうですかと素直に言うことを聞くわけもなく、永遠に続きそうな問答に終止符を打ったのは痺れを切らしたま〜くんのほうだった。

「ななしのこと一番好きなのは俺だから関係あるんだよ!」
「え」
「お前さっき何聞いてたんだよ?お、俺が好きなのはななし、だよ…」
「振ったのに?」
「ふっ、そ、それは、だから、りっちゃんもななしが好きなら……悪いと思って…」
「ふうん。それでわたしの気持ちは無視するんだ。真緒ってわたしより凛月のほうが好きなんじゃない?」

ななしは完全にへそを曲げている。ま〜くんもそれを分かって、俺を見た。
そんな困った顔されても俺は知らない。せいぜい困ればいい。なんだかんだちょろいななしがま〜くんを許すのはそう遠くないだろうけど。



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