「あれ…?」
「おヤ、子猫ちゃん、どうしたノ」
「なんか校門のあたりが騒がしいね…?」
「本当ダ。何かあったのかナ。見に行ってみようカ?」

レッスンを終え、レッスンルームの鍵を職員室に返したわたしたちが昇降口で靴を履き替えていると、校門のあたりでなんだか生徒がひそひと話し込んでいるのが見えた。
帰るにしても通らないわけにもいかないので、夏目くんの誘いに頷いた。
行ってみると、そこにいたのはひとりの女の子。
俯きがちで浮かない表情なのが気になった。
何か困っているんだろうか?
それならば、面倒見のいいアイドルの誰かが声をかける前にわたしがどうにかしなくては。
下手に切り取られてスキャンダルになっても困る。
足早に近付くと少女が夢ノ咲の生徒でないことがはっきり分かった。
どこか違う学校の制服なのだろう。夢ノ咲のものではないそれは、赤いリボンに水色のセーラー服。ベルトのついたボックスプリーツのスカートがすらっとした彼女によく似合っている。
うっすらとお化粧をしているのか、まつげが上向きで唇もうるんでいる。
その子はものすごく顔が整っているわけではないけれど目を引く愛らしさがあった。艶やかな髪と抜群のスタイルも彼女の魅力なのだろう。
うん、女の子のプロデュースもできたら楽しそう。

「かわいい…」

呟くと、こちらに彼女が気付いた。まさかわたしの声が聞こえたわけではないから、偶然だろう。
ドキッとした。
彼女はわたしたちを見て、パッと表情を明るくした。

「あっ、夏目くん!」
「ななしちゃん…?!」
「あの、鍵、鍵なくしちゃって…!」
「バカなの?こないだ定期落としたばっかでショ」
「ぐう」
「やっぱりななしちゃんにはボクがいないと駄目だネ…♪」
「悔しいけど言い返せない…!」
「ていうか電話してくれたらよかったのニ」
「う、スマホ充電なくて…こんなとこまで来てごめん…」

ななしちゃん、と呼ばれたその子は泣きそうな顔で夏目くんに駆け寄った。
それでも一定の距離を保ってこちらを窺っている。
ここがアイドル科だと、夏目くんがアイドルだと分かっているからこんなにも縮こまっているんだろう。
それにしても、夏目くん…?
なんだかソワソワしている。いつもの様子とはだいぶ、かなり、違う…?
それにしても、鍵?どうして夏目くんがこの子の家の鍵を持っているんだろう。
どうみても家族ではなさそうなのに。

「鍵…?」
「あっ」
「夏目くん、どういうこと?アイドルなのに…。やましいことじゃ、ないよね?」
「子猫ちゃん、そんな目で見ないでくれるかナ…」

ついきつい眼差しで見つめてしまう。
失言だと気付いたのか、ななしさんは口に手をあてて夏目くんに目線で助けを求めた。
問い詰めるように聞くと、げんなりした態度で首を振られる。

「ちが、違うの、違います!そういうのじゃないから!夏目くんちが忙しくて、未成年だからっ!預かることが多くてっ!」
「ななしちゃん、何言ってるか全然分からないかラ。落ち着いテ」
「う、ごめん…」

ななしさんが慌てて説明をしてくれるけれど、明らかに混乱した様子で要領を得ず、首を傾げた。
意地悪な言葉とは裏腹な優しい声でななしさんを宥める姿はいつもの夏目くんとはあまりイメージが近くない。宙くんに対する猫かわいがりとも少し違う。なんだか親しげで、それでいてどこか甘くて、重たい。
夏目くんに背をさすられ安心したのか、落ち着いた様子で彼女は頭を下げた。

「あの、プロデューサーさん、ですよね?わたし、ななしやまななしです。夏目くんのご両親は忙しいから…小さい頃からうちでお預かりすることが多いんです。ほんとにアイドルの方々にご迷惑をおかけするような間柄じゃないです!」
「あ、どうもご丁寧に…」
「ほんとに、ほんとにちがうんですよ。ほんとに!絶対ないです!」

ほ、ほんとに?夏目くんがものすごく不満そうな顔で見てるけど…。
ななしさんがやましい関係ではないと強調する度に夏目くんの機嫌が悪くなっていく。
ちらりと目を向けると、分かりやすく口を尖らせてじっとりとななしさんを見ていた。
夏目くんが拗ねてる…!
小さくこぼした、「そこまで否定しなくてもいいのニ」という不満はわたしだけに聞こえたようだ。

「だから夏目くんも我が家の鍵を持ってるんです。家に人がいないとき待ちぼうけになっちゃうから。夏目くんがうちに来る日なら家の前で待ったんですけど…すみません、お騒がせして…」
「ななしちゃんにかけられる迷惑なんて今さらだヨ」
「う、ごめんてば。でも夏目くんはアイドルでしょ?スキャンダルとかなったら…」
「ななしちゃんに何かあっても困るんだけド。今日からママさんたちも旅行でいないんだシ…こういうときくらい素直に頼ってくれていいんじゃなイ」
「…うん」
「ボクもこんな暑い中待たせてごめんネ」
「夏目くんは何も悪くないよ」

夏目くんの照れた様子もなく紡がれる言葉から、ふたりの仲の良さが窺える。
どちらかと言えば、むしろ、そうだと主張するように聞かせているようにも思える、ような。
え、わたし何を見せられてるの…?
まるで少女漫画の中に入り込んだような、ふたりだけの特別な空気。

「じゃあ子猫ちゃん、そういうことだかラ。ボクたちは帰るヨ」
「えっ、な、夏目くん、待って。ちょっとこっちに来て」
「ン?」

話は終わったとばかりにななしさんの手を引いて帰ろうとする夏目くんを呼び寄せた。

「あの、なんで手を…?」
「なんでっテ、好きだからだヨ」
「すっ」

通りで、ななしさんを見る夏目くんの表情が温かくて、甘くて、どこか重たいわけだ。
いや、もはや執着とも言える。
なんとなくそんな気はしてたけど…!でもさすがに分かりやすすぎるというか!ひねりがなさすぎるというか!
アイドルとしての自覚を持って夏目くん…!

「さっきからななしちゃんのことを明らかに意識して見てるやつらがいるでショ。許せなイ」
「いやいやいや、ちょっと待って夏目くん、どこから聞いたらいいの…?!」
「どこからも何モ…ななしちゃんはボクのだからそういう目で見てるやつらは排除すル、それだけだよネ?」
「それだけって」
「今日に限ってななしちゃんの様子を確認してなかったボクの落ち度だけド…やっぱりGPSだけじゃ困ってる時にすぐ助けてあげられないナ」
「待って、GPSつけてるの……?」
「ア、ななしちゃんには言わないでヨ」
「勝手につけてるの…?夏目くんまで泉さんみたいなことしないで…?!えっ、つ、つ、付き合ってる?ん、だよね?!」
「付き合ってないヨ、まダ。そのうち結婚するけド」

いよいよやばい。夏目くんが泉さんみたいなことを言っている。
付き合ってもいない片想いの幼馴染みに一方的に重たい愛情を持ち合わせてGPSまで仕込んでるの…?
そのうえさらに何か仕込もうとしてる?
勝手に結婚までする気でいるの?さすがに同意はとって夏目くん…!
宙くんの過保護ぶりからして、なんとなく分かってたけど夏目くんってかなり愛が重たい人だったんだ。
こんなことなら普通に付き合っててくれたほうがよっぽど健全だった。
呆然としていると、今度こそ夏目くんはななしさんの手を引いて帰っていく。
ああ、アイドルなんだからそういうことは、と注意をしたいのに…完全に呆気にとられてしまって何も口にできなかった。
あっ、振り払われた。
怒られているらしい夏目くんはにこにこと笑っているけど。

次の日、体調不良や不幸に見舞われた人たちがやたら多かったことについては口をつぐみたいと思います。



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