「な、ない」

やってしまった…!

たまには寄り道でもと、夏目くんに教えてもらった夢ノ咲の近くのケーキ屋さんでお茶をした帰り。ルンルンで外ポケットに手をやると空ぶった。確認するもそこには何も入っていない。
あれ?ここに入れたと思ったのに。
お財布と一緒にしまったのかと、鞄の中を探しても探しても、夏目くんから誕生日にもらったパスケースは見当たらない。
いつもと違うところに入れたのかもとスカートのポケットまで全部探したけど、やっぱり入っていなかった。さっと血の気が引いていく。
あれ、すっごくお気に入りだったし、Suicaもチャージしたばっかりなのに!
何より、夏目くんにもらったものを失くしたショックが大きかった。
こんなことなら言われた通り、リールで鞄に繋いでおけばよかった。
やめて脳内の夏目くん!わかってるから!「だからあれほど言ったのニ…」とため息をつく夏目くんが簡単に想像できてつらい。
ここまでの道のりを思い返して、戻ろうと振り向いたところでかなり勢いよくぶつかってしまった。

「ぎゃん!」
「わっ?」
「ご、ごめんなさい!急いでて…!」
「宙もごめんなさいです!スピードを出しすぎました!」

勢いがすごかっただけにダメージがまあまああったし、わたしのおでこが鼻のあたりに入った気がする。ピンピンしてるから大丈夫だったのかな…?
お互い様だと、ふわふわの天使みたいなその子は、責めもせずに笑ってくれた。

「そうだ、定期…、ごめんなさい、わたし探し物しに行かないと」

こっちからぶつかっておいて申し訳ないけれど、早く戻らないと誰かに拾われてしまうかもしれない。
そうなると交番だとか、いろいろ手続きがめんどくさいことになりそうだ。親切に届けてくれるとも限らないし、踏まれたりしてぼろぼろになってしまうかもしれない。

「あっ、そうです。おね〜さん!これ落としてました!」
「えっ?あ、わたしの定期!」
「宙はこれを届けにきたんでした。あっちの信号のところで落としてたな〜。反対の道路から見たので遅くなっちゃいました」
「わざわざ持ってきてくれたんですか…?!ありがとう〜!帰れなくなるとこだったよ」
「よかったです!大事なものでしたか?」
「うん。定期もなんだけど…幼馴染みにもらったパスケースだったんだ」
「それは失くならなくてよかったな〜」
「ほんとに。ありがとね」

ここから一番近い信号でもけっこうな距離がある。そこから追いかけてきてくれたと言うのならかなり手間をとらせてしまった。
ぺこぺこと頭を下げると、いいことができました!と自分のことのように喜んでくれる。
拾ってくれたのがこの子でよかった。
いつまでも道を塞ぐように真ん中にいては邪魔になると思い、壁際にずれて改めてお礼を言う。

「あの、本当にありがとう。何かお礼できないかな?」
「お礼はもう言ってもらったな〜。ししょ〜もせんぱいも、宙はいいこだねって褒めてくれるはずです!」
「いいのかな…?」

気分よさそうなところに水を差すわけにもいかず、あまり強く言うことができない。
せめてコンビニでお菓子くらいでも、と考えていると、男の子の知り合いと思う人が小走りで追い付いてきた。

「宙くん、渡せましたか?」
「せんぱい!この通り、ミッション達成です…☆」
「えらいです。さすが宙くん」

ぴょんと飛び付いて、いいこいいこと褒められる姿がとてもかわいい。
ふと、青い髪の「せんぱい」さんがわたしを見て首を傾げた。

「あれ?もしかして、ななしちゃんですか?」
「え?」
「やっぱり!覚えてませんか?小さい頃、スクールでお話したことありますよね。夏目くんのお迎えの時に」

そう言われて、よくよく彼を見てみた。
青い髪に、優しいたれ目。声変わりもしているし眼鏡をしていて少し印象が変わっているけれど、もしかして。

「あ、つむぎくん?!」
「はい…♪覚えててくれて嬉しいです。元気でしたか?」
「えっ、うそうそ!懐かしい!元気だったよー!つむぎくんは?わたし、小さいからよく分かってなかったけど…けっこう大変だった、んだよね…?」
「あはは、大丈夫ですよ。この通りです。ちからこぶ〜」

つむぎくんはむん!と肘をまげて笑った。その笑顔はあの頃のつむぎくんと変わらなくて、胸がいっぱいになる。
とても大変だったと聞いているし、もう二度と会えないだろうと思っていただけに感動もひとしおだ。

「おね〜さんとせんぱいは知り合いですか?」
「そうです。ななしちゃんは夏目くんの大切な子ですよ」
「ししょ〜の大切な人なら、宙にも大切な人です…☆」
「ええと、そらくん?も、夏目くんと知り合いなの?」

つむぎくんは、昔夏目くんが通っていたアイドルスクールにいた人だ。
夏目ママの代わりにお迎えに行くことが何度かあって、その時に遊んでくれた記憶がある。
夏目くんはずいぶん嫌っていた…というか、反抗していたけれど。
見学したこともあったけど、夏目だけ見てて!って拗ねちゃって大変だった。
つむぎにいさんと何話してたの?!ってすごい剣幕で問い詰められて、もしかして好きなのかな?って思ってたらめちゃくちゃ怒られたな…。
「そらくん」も夏目くんと知り合いと言うことは、今でも連絡をとっていたんだろうか。
夢ノ咲の制服だし、たまたま再会したとか?つむぎくんたちならアイドル科でもおかしくないし。

「僕たち、今同じユニットを組んでいるんです。夏目くんも一緒ですよ」
「え、そうだったんだ。夏目くん、学校の…ていうか、アイドルのこと、あんまり教えてくれないから知らなかった」
「夏目くんはななしちゃんには、格好つけたいんですよ」
「そんなことしなくても夏目くんはかっこいいのに」
「それ、今度本人に言ってあげてください。もっと話してたいんですけど、僕たちこれから打ち合わせに行かないといけなくて」
「そっか、引き留めてごめんね。そらくん、定期本当にありがとう」
「お安いご用です!今度は宙ともたくさんお話してほしいな〜」
「これ、僕のIDです。夏目くんには怒られそうですけど…せっかく再会できましたから。またお話しましょうね」
「そんなことで怒るかな?あとで連絡しておくね。つむぎくんもそらくんもお仕事頑張って」
「はい、じゃあ待ってますね」
「ななしおね〜さん、またな〜」

ふたりは手を振って、駆けて行った。もしかしたら大分時間をとらせてしまっていたのかもしれない。忙しいところに悪いことをしてしまった。
それでもつむぎくんと久しぶりに話せて嬉しかったし、気分は悪くなかった。
パスケースも無事に戻ってきたし。
改札を抜ける足取りが軽く感じられた。


夕飯とお風呂を済ませ、リビングのソファに寝転んでスマホでぽちぽち今日のお礼を打ち込んでいると、夏目くんが帰ってきた。

「ななしちゃん、またそんな格好しテ」
「あ、おかえりー」
「お腹壊すヨ」
「大丈夫だよ。あ、ママ今お風呂だから、わたしがごはん温めてあげる」

ダイニングテーブルにスマホを置いてキッチンに向かい、お味噌汁の鍋に火をかけてから夏目くんの分の食事を冷蔵庫からレンジへ移す。
夏目くんはシンクで手を洗って、お茶碗にごはんをよそった。

「お。夏目くん、いい旦那さんになるねえ」
「何、急ニ」
「待ってるだけじゃなくてごはんの用意手伝ってくれるじゃん」
「まあ自分の食事だシ…」
「ポイント高いよねって」
「ふうン」
「あ、照れた」
「ハ?照れてないけド?」

ツンとそっぽを向いたせいで、髪がかけられた耳が赤くなっているのがよく見えた。指摘すると拗ねちゃうから言わないけど、夏目くんはそういうところが可愛いと思う。
カウンターからお茶とコップを渡して、お椀にお味噌汁を注ぐ。メインのピーマンの肉詰めに、タッパーから作りおきの副菜をふたつ、なすの南蛮漬けときんぴら。サラダのボウルとゴマドレをテーブルに出した。
わたしが用意している間も、夏目くんはできたものを机に運んだりしてくれた。
わたしも自分のコップを用意して、夏目くんの前に座る。

「ありがとウ」
「いえいえ。レッスン疲れた?」
「まア」
「大変だねえ」
「いただきまス」

会話もそこそこに、夏目くんは手を合わせた。いつ見ても食事の仕方がきれいだ。
じっと見ていても、夏目くんは何も言わない。帰りが遅くなってひとりで食べるとき、いつも見ているからだ。それこそ初めは、食べにくいだの気が散るだの言われたけど、わたしがやめないと分かると諦めて何も言わなくなった。

「そういえバ、会ったんだって?」
「ん?誰に?」
「ソラたちだヨ」
「ああ!ねえねえそらくんすごくいいこだね?定期拾って走ってきてくれたんだよ」
「ソラらしいネ」
「つむぎくんも全然変わってなくてびっくりしちゃった。夏目くん、全然教えてくれないんだもん」
「……そうなると思ってたから教えたくなかったんだヨ…」

にやにや笑うわたしを嫌そうに見て、ぶつぶつ言っている。
そんなこと言って、やっぱりつむぎくんのこと嫌いじゃなかったんじゃん。
微笑ましく思っていると、つむぎくんからの返信がポップアップされた。ちらりとそれを見た夏目くんは箸をからりと落として目を見開いた。

「ていうカ、連絡先交換したとか聞いてないんだけド?!あんのモジャメガネ!」

今日も元気だナー…





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