(図書委員先輩視点)

「ななしやまさん、そっちの返却終わった?」
「えーっと…あとこれだけです。先輩はもう終わったんですか?」
「うん」
「さすがに早いですねえ…」
「ずっと図書委員だからね。ななしやまさんもそのうち慣れるよ」
「ですよね!頑張ります!」

ななしやまさんは気合いを入れるようにうんうんと力強く頷いて残りの図書を元の場所へ戻しに行った。

ななしやまななしさん。今年図書委員に入ってきた一年生。
可愛い子が入ってきたって、入学したての頃はちょっと話題になったっけ。
うちのクラスの女子が「みくるちゃんなきあと、あの子を我が団のマスコットにしましょう」とか言ってたのを「何も知らない純粋な一年を巻き込むんじゃない!あと死んだみたいに言うな!卒業しただけだ!」って友達が必死にとめてたなあ…。
そういう意味でも周りをざわつかせていた。
あの女に目をつけられたらやばい!的な。
見るからに善良な彼女を気にかけてすれ違いそうな時はこっそり盾になっている男子生徒は少なくない。知らぬは本人ばかりだ。
まあ、ななしやまさんはいつもにこにこしてていい子だから、気に入るのはしかたない。
でもまじでやめてやってくれ。

「せんぱーい、ななしやま、任務完了です!」
「うん、ごくろうごくろう」
「次は何をしますか?」
「新刊入ってたからそっちのチェックかな」
「あ、その作業まだやったことないやつです」
「じゃあカウンター戻ったら教えてあげるね」

他の高校がどうかは分からないけど、うちの学校はけっこう図書室を利用する生徒が多いと思う。
普段なら誰かしらがいるけど、今日に限ってはシンと静まりかえっていた。
僕としては、可愛いなと気になっている後輩と二人きりで嬉しいような恥ずかしいような…。
意識したとたんに心臓が暴れだした。落ち着け僕…!
気を紛らわすように作業に集中しても、静かすぎるせいでななしやまさんが作業を進める音に意識が向いてしまう。
横目で盗み見ると、慣れない手つきでシワにならないよう一生懸命に本をラベリングしている彼女の指先に…きらっと光が反射した。

「あれ?」
「どうかしました?」
「あ、うん。ななしやまさん…もしかしてなんか、マニキュアとか?塗ってる?」
「…分かっちゃいます?」
「よく見ないと分からないと思うけど…らしくないなと思って」

ななしやまさんは真面目な子なので、わざわざ校則違反をするようなタイプではない。いや、僕が何を知ってるんだって話なんだけど。

「えっと、幼馴染みが夢ノ咲なんですけど」
「へー、あそこいろんなコースあるよね。それって前に言ってたよく泊まりにくる子?」
「はい。その子が、今度使うから練習で塗らせてくれって」
「マニキュア使うことなんてあるんだ。演劇科とか?」
「えー、えっと、そんな、感じです」

ななしやまさんは煮えきらない態度で左手の薬指を隠した。
もっとよく見てみると、うすいピンクが塗られているのはその指だけだった。
左手の、薬指だけ。
正体の分からないもやもやが胸を占領していく。
その友達は何を思ってななしやまさんの指ひとつにマニキュアを塗ったんだろう。

「でも、あの子、昔からなんでも上手なんです。だから練習しなくてもいいんじゃないって言ったんですけど」
「押しに負けちゃったんだ」
「はい。ななしちゃんは危なっかしいからおまじないだって。やっぱり夢ノ咲にさせればよかったーとか言って」
「その子が北高にするんじゃないんだ」
「コースが…夢ノ咲は、けっこう強いので」

ん?夢ノ咲って、有名なのは、アイドル、科…。
待って待って待って。もしかして、ななしやまさんの言ってる子ってアイドル科?
でもアイドル科には確か男しか。
一生懸命濁しているけど、それなら辻褄があってしまう。
その子は夢ノ咲でやりたいことがあって、夢ノ咲の強みはアイドル科で、アイドルならマニキュアを塗ることもあるだろう。
幼馴染みなら、家の都合で泊まりにくることがあるのもまあ、あるかもしれない。
仲がいいからって絶対にそういう気持ちだとも限らない。
でも……。

「その子、ななしやまさんのことが大好き、なんだ…?」
「そうかも。昔はななしちゃんと結婚する〜とか言ってくれてて可愛かったんですよ」
「へ〜」

まだ早い。まだ。女の子でも小さいときは言うかもしれない。

「それ塗る時、他に何か言ってた?」
「他にですか?」
「うん」
「うーん……あ!言ってました!」

やな予感しかしない〜〜〜!

「これ、先輩に見せたらって!」
「先輩?僕?」
「はい。委員会でよくしてくれてるんだよーって言ったら、見せてあげたらって。見せればきっと分かるからって。まあ透明じゃないしよく見たら分かりますよねえ」

見せればきっと分かるから。
いやもうこれ確定じゃん、男じゃん。
夢ノ咲のアイドルどうなってるんだよ!いいのかこんな分かりやすく牽制して?!

「ふ、ふーん。そうなんだ、可愛いね…」
「そうなんです!」

ななしやまさんは幼馴染みを褒められて嬉しそうに笑った。
この笑顔を引き出してるのは僕のようで僕ではない…!
そして恐らく、ななしやまさんは幼馴染みくんの気持ちに気付いてないし牽制してることも分かってない。
いや!でも夢ノ咲にいるやつに邪魔なんかできないし!学校にいる時なら距離を詰められるんじゃ。
そんなことを考えているうちに下校時刻になり、ふたりで学校を出たところでななしやまさんのスマホが鳴った。

「あれ?」
「どうしたの?」
「さっき話してた幼馴染みからです」
「休養かもしれないから出てあげたら?」
「すいません」

一瞬見えた表示は「夏目くん」。やっぱり男かよ!
頭を下げて電話に出たななしやまさんの声は穏やかだ。

「え、うそ。駅にいるの?……うん。すぐ行く、今学校出たところだから。ちょっと待ってて、委員会の先輩と一緒なの。…………分かった、じゃああとでね」

通話を終えたななしやまさんは申し訳なさそうに、でも「夏目くん」に配慮して切り出した。

「ごめんなさい、幼馴染みが今日うちにくるんですけど、鍵忘れちゃったみたいで…先に帰りますね!」
「あー、うん」
「じゃあまた次の当番で!さようなら!」

ななしやまさんは俺の挨拶も待たずに駅へ走って行った。
いつもなら駅までは一緒に帰るけど、何も知らない学校の先輩に、幼馴染みがアイドルであると知られないようにするためだろう。
そうは言ってもそこまで距離があるわけでもなく、あっという間に駅に着いてしまう。ふたりの背中くらいは見えちゃうかもな…。ははは…。
落ち込みながら定期を翳し、ホームへと昇る。いるかな〜!いるよな〜!見なくない!いやどんなラッキーな男だ?逆に見たい。嘘!ほんとは見たくない…!
案の定、ななしやまさんは反対側のホームで夢ノ咲の制服を着た赤い髪の少年とベンチで電車を待っていた。
ななしやまさんはこっちには気付かずに「夏目くん」と喋っていて、左手を見せて何か言っているようだった。
電車の到着を知らせるメロディが鳴り響く。
きょろきょろと電光掲示板を探し見上げたななしやまさんは、時間を見るためかスマホに視線を落とした。
ふと会話の途切れたと思われる「夏目くん」が顔をあげて、僕を見た。
ホームには他にも北高生がいて、僕がななしやまさんの先輩だと分かるはずないのに。でも、「夏目くん」は確実に僕を見ていた。
そしてフッと笑うと一文字ずつゆっくりと、はっきり分かるように「あ」「ん」「え」「ん」「あ」「え」と口を動かしーーホームへと滑り込んだ電車に乗り込んで行った。

「あんえんあえ?」

あんぜんだね?たんけんだぜ?
…ざんねん、だね?
残念だね。
つまり、そういうことだ。ななしやまさんが委員会の、自分のよく知らない男と仲良くしているのを知って、鍵を忘れたなんて言ってわざわざ牽制しにきたのだ。
マニキュアだけでは飽きたらず、自分のルックスのよさ、仲のよさを見せつけて、僕の心を折るために。

「うわ、ななしやまさん、めちゃくちゃやばいのに好かれてるじゃん…」

その次の日から、ななしやまさんになんかいい感じのことを言おうとするととんでもない頭痛がするようになったのはなんでですかね…?



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