▼ イロハ 2
9月。新学期から、俺は丘の上の学校に転入してきた。
夏休みの間に橋本タクミのことを調べてみたら、音楽の特待生で中学から学園に入った生徒だということが分かった。
だけどタクミが校内でピアノを披露する機会はほとんどないみたいで、クラスのやつに聞いても「聞いたことがない」という答え。
転校してきたからといって、あのピアノが聴けるわけじゃないとわかって心底がっかりした。
「あ、けど。あの子、親衛隊だからさ、」
「親衛隊?」
「そう、園田会長のファンクラブみたいなもん。だからたまに親衛隊室のピアノを弾いてるって倉敷が言ってたよ」
「ふうん」
橋本タクミは園田の親衛隊。その事実にも、心底がっかりした。
親衛隊なんて、他人に理想を押し付けて崇めるだけ崇めて。そんな姑息なやつの集まりだろうし。
目を覚ましてあげよう。
園田は、生徒会長は、ただの人間だよ。園田家のお荷物に理想を押し付けたら、つぶれちゃうよ。
誰かさんみたいに。
タクミのクラスが音楽の授業を終えたあと、音楽室に入って席に座ってみると、机のすみに描かれた音符が目に入る。
「どんだけ音楽すきなの」
うらやましい。すきなことを選べるのが。すきなことに打ち込めるのが。
「イラストも上手なんだね」と置き手紙を残したら、次の音楽の授業に「ありがとうございます!」と返事が返ってきた。
その字はとても綺麗で、可愛らしいあの容姿からすると少し意外に思えた。
きっと彼には、いろんな可能性がある。
俺みたいに決められた将来なんてなくて、好きな道に、好きなように進めるといいななんて、話したこともない相手の未来を考えたり、した。
「音楽の授業好き?俺は好きだよ。音楽室って他の教室と違って独特の雰囲気があるよね」
そんな他愛のない手紙を書いたら、長文の手紙が返ってきて。名前も知らない俺なんかに時間を割く彼は、きっと優しいんだろうけど、その優しさが危なっかしいなとも思った。
ー あいつの気持ち、利用したんです。
だから、ある日の放課後。眠るタクミをおぶって特別棟に向かう園田を見かけて。また好意を利用されていそうな彼に、ものすごく苛々した。
次の日、2年の教室に向かった。
「咲月、いる?」
「城崎さん」
生徒会の副会長をしている咲月。たいして仲がいいわけではないけど、元々の知り合いではあるから自己紹介は不要。
「この学校ってさ、特待生いるでしょう結構」
「ええ、美術とか音楽とか…スポーツなどの方もいらっしゃいますね」
「そういう生徒が校内に発表する機会ってあまりないと思うんだよね。それってすごくもったいなくない?」
「たしかに言われてみると…」
「だから、今度の文化祭とかどうかなって思ったんだけど」
この学園では生徒会が文化祭の実行委員もやると聞いたから、直接生徒会のやつに話してみるのが早いと考えた。
咲月は「それはいい考えですね」と生徒会の会議にかけてくれると頷いてくれて。
「でも急にどうしたんですか」
「ただの気まぐれ。じゃーね」
そう。転校してきたのも、こうやって動くのも、ただの気まぐれ。意味なんてないよ。
でも。
しばらくして、やっとタクミと話すことができた。
俺の顔をしばらく見つめた彼は、「あ、王子さま?!」と言った。ちょっと抜けてる子。
タクミと話せたことは、転校してきた意味にあたるような気がした。
「もしかして、ふみくん…?」
「"ふみくん"?」
ふみくん、ってなんのことだろう。
…あぁ、城崎文。
"文"の字は"ふみ"とも読める。あだ名。初めてもらう名前みたい。
でも、どうしてタクミは1人で、3年の棟にいるんだろう。園田に呼び出されたのかな。都合のいい存在になってはだめだよ、タクミ。
「でもわざわざ転校してきてあげたのに、タクミってば園田の親衛隊なんかにいるんだって?やめたら?」
「…へ」
園田のことは、同じ業界の人間だからよく知っている。本家のカケルやその弟のアキラ。彼らが期待されている分、分家である園田の親は園田をあまり見ていない。
実際、生徒会長のくせに学力テストは倉敷に負けることもあるらしいし、学園の皆も園田に期待なんかしてないんじゃないかなあ。
「たくみちゃん!!!」
切羽詰まった声に目線をやると、そこには倉敷が息を切らして立っていた。
「歩せんぱ、」
「何してんの!よく知らない人についてっちゃだめだって、いつも言ってるでしょ?」
倉敷は俺の存在を無視して、タクミの腕をつかんで連れていく。
そうか、園田のためじゃなくて倉敷に会いに来たんだな、あの子は。
「それならいっか」
俺は手を振ったけど、タクミは困った顔をしながら角を曲がっていった。
prev /
next