にせものamoroso。 | ナノ

 イロハ 1

ー アヤ。



耳をふさいでも、声が聞こえる。

忘れてしまいたい記憶が、俺を支配して。





だけどどんなことがあっても、いつか俺の細胞は死ぬ。

どんなに悲しくても、辛くても、それを経験した細胞はいつかすべて朽ちる。


時間が解決するというのはきっとこのことをいうんだ。




ー アヤ。




大嫌いなあいつの声が聞こえるのは、どこかの細胞がその記憶を持っているからで、

その細胞が朽ちたとき俺は、あいつのことを忘れるのだろう。






遠くから聞こえるピアノの音色に、ふらふらとホールへ進む。


高3の夏休み。

バカみたいに明るくした髪の毛に、校内に残っていた生徒は驚いた顔で二度見するけど、それすらどうでもよかった。


演奏中は出入り禁止、と貼り紙がされたドアの前には、中等部の制服を着た生徒が一人立っていた。今日はコンクールのためにホールを貸し出してるんですよ、と聞いてもないのに説明された。



そんなの知ってる。




なぜなら俺は生徒会で、施設の管理を一部担当しているから。そして中等部の生徒会がこうして手伝いを担当しているのも知っていた。



「どうぞ」と扉を開けられた。一曲終わったらしい。渡されたプログラムを一応受け取っておいた。


別に聞きたいわけではなかったけど、やることもないし中に入る。



一番後ろの席に座って、暗い会場内でプログラムを開いた。



「あ、…城崎さん。次、13番です」
「…。」



隣のやつに突然話しかけられて、顔をあげると生徒会の1年だった。



ふうん、と自分でも分かるくらいどうでもよさそうな声で返事をしたけど、隣のやつは別に気にする風もなくじっと舞台上を見つめている。


袖から他校の制服を着た生徒が一人出てきた。


13番…橋本、タクミ。あの山奥の高校の1年生か。



はたからみても分かるくらい、緊張した歩き方でグランドピアノまで進んだ彼は、椅子に座る。

そして。



「普通…」



きっと、技術的には上手いんだろう。


俺も一通りピアノやらバイオリンをやらされていたから音楽は少しだけ分かる。

だけど、上手だなー、ってそれだけ。


コンクールってこんなものなんだな。



ふ、と隣を見たら、隣の1年は祈るように指を組んでいた。知り合いなのだろうか。別にどうでもいいけど。



こいつ、なんて名前だっけ。



「頑張れ…」



はらはらした顔で舞台を見ているその姿が必死すぎてちょっと引いたけど、俺もグランドピアノにもう一度目をうつした。



主題の繰り返し。





そこからは、


別人のようだった。



軽やかなその音は、まさに"ワルツ"。






最後列の席からでも、楽しげに揺れる横顔がよく見える。美しい音を奏でるその可憐なその姿に目を奪われた。



なんでそんなに楽しそうなんだ。

さっきはあんな、世界の終わりみたいな顔をしていたのに。


鍵盤を叩くその指も、ワルツを踊っているように動くから、思わず目を奪われた。



最後の低音で、曲が終わる。隣のやつがすごい勢いで手を叩くのを聞きながら、俺は舞台から目を離すことができなかった。



「…知り合い?」
「え…」



突然話しかけられて驚いた顔をした隣のやつは、「友だち、ですかね…」と歯切れのわるい答えを返してきた。


「何それ。はっきりしないね」
「…過去にあいつの気持ち利用したんです、俺。最低ですね」



だから友だちなんて言える立場じゃないかもしれない…と言った。



「付き合ってたんだ」
「いや…」
「ふうん…。いいんじゃない」
「え」
「あんな必死に応援してるの知ったら、喜ぶよ。そんな気がする」
「…。」



なんとなく、そう思った。



プログラムを隣のやつに預けて、俺はホールを出た。向かうのは理事長室で。




「父さん。俺、転校する」
「…勝手にしなさい」



結論だけ先に述べると、一言だけそう返ってきた。止めてほしかった訳じゃない。止められても、転校はもう心に決めていた。



だけど、止めろよ。



生徒会にだって入っている俺が、高3の2学期に転校するなんてこと、親として止めろよ。





「まあ、生徒会長がいなくなるわけでもないしな」




俺の心を読んだように、父さんがそう言った。悪かったな、副会長で。



理事長室を出ると、父さんの秘書をしている男性、三上が立っていた。まだ二十代後半という若さで理事長の秘書をしているのは異例らしい。



「どうしたんですか、その髪色、」
「別にどうもしないよ」
「夏休みの間だけですよね、」
「今度の学校はそんなに校則厳しいのかな」
「は、」


三上を無視して進むと、腕をつかまれた。



「どういう意味ですか」
「何が?」
「今度の学校、って」
「ああ、転校しようと思って。俺」
「て、んこう…?」



何を言ってるんですか!と詰め寄られて、三上には関係ないだろ、と言ったらひどく傷ついた顔をする彼。



「ピアノの音が聴こえたんだよ」
「…?」
「聴きたくない音は、綺麗な音で蓋をしないと」
「意味が…」
「分からない?俺だって分からないよ」




深海にも、

音は届くんだろうか。

音は、響くんだろうか。


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