▼ F-dur 15
一哉の目が揺れている。
「ごめんね。たしかにあのとき、一哉と僕の時間は少しだけまじわったね。あのとき一哉と僕は、お互いを求めてたね。形はちがったけど」
「、」
「でも、あのときとはもう違う。違うんだ、一哉も、僕も。だから僕らは、もう戻らないよ」
壊れたもの、繋ぎ合わせてみたって元どおりになるわけがなくて。
「僕ね、今だいじなものがたくさんある。だいじなひとがたくさんいる。のむちゃんとかさ、あと他にも友だちできたし、そうだ、ふみくんもそう、それから、すきなひと。すきですきで、たまらないひと。」
「…それって、前バスケの試合のとき言ってた…?」
「そう。すごく素敵なひとだよ、いつも自分と向き合って、前にどんどん進んでっちゃうひと」
ついていくのがとっても大変なんだ。
「今持ってるものを大事にするのでいっぱいいっぱいなんだ。だから、ごめん。一哉には幸せになってもらいたい。けど、それは僕の知らないところで起きることだってきもちがどっかにある」
一哉と僕との関係はきっと、もう、ずれていってしまった何かの中に埋まってしまった。
もう、電話番号もそらで言えない。
「だから、ごめん。」
「…わかった。困らせてごめん」
「ううん、ありがとう」
「幸せになれよ」
「ん」
きっと、もう会わない。
「匠!」
「…あ!」
ひびきの声がする。会いたくて会いたくてたまらなかったひとの声が。
「ひびき!ひびきひびきひびき!」
「おま、呼びすぎ」
駆けよって名前を呼ぶ。冬休みになって数日なのに、もう何日も会えてなかったみたいだ。毎日電話してたのに、声すら久しぶりに感じる。
「えっと…」
後ろから一哉の戸惑った声が聞こえた。大変、ひびきの声で、世界がひびきだけになってしまう。
「おまえ、あれだろ。匠の中学のときのオトモダチ?一哉だっけ」
「あ、はい」
少しだけぴりっとした雰囲気でひびきが一哉に話しかけた。あんまり聞いたことのないひびきの声に、彼を見上げた。
「ハジメマシテ?俺、園田響です。匠の彼氏」
「ちょ、ひびき!!」
いきなりその自己紹介なに!!
「…デートの邪魔してすみません、俺、行くんで」
「おい」
「はい、」
ひびきは一哉を呼び止めた。なんだろう、とひびきを見上げると、ぐわっと両手で耳をふさがれた。
「、ちょ、ひびき?!」
「おまえと違って泣かせたりしねえから。匠は俺が幸せにする」
「…それ、橋本の友達にも言われました」
急になに!なにも聞こえないんだけど?!
ぺこりと一哉がその場を立ち去ってやっと、ひびきは僕の耳から両手を離した。
「も、びっくりした!会いたかった!会えた!」
「ふ、やっと会えたな」
「うん、会えた!ひびき早いね、いつから着いてたの?」
「さあ」
「さあ。って何さ!」
「…匠」
「なに!」
「…ありがとう」
「へ?!」
何に対してのありがとう?!
「俺を認めてくれて」
「………!待って、ひびき、結構前から聞いてたでしょ?!」
「なにが?」
「〜〜〜!」
本人に聞かれてるなんて思わなかったから、はずかしくなった僕はわざと抗議の目でひびきを見た。それなのに、ひびきは本当に嬉しそうな顔で笑うから、もう、どうしようもない。
「…僕のほうこそ、ありがと」
「んー?」
「ひびきのおかげで、前より自分のことすきになったよ」
「そうか」
「…僕たち、噴水の前でありがと言い合ってへんだね」
「ふは、そろそろ行くか」
「うん!!!!!」
ひびきは自然と僕の手を取って歩き始める。
「…ちょ、手!手!」
「んー?」
「見られてる!!!」
「…そんなん構ってられるか」
「でもっ…」
「…そんなに嫌ならやめるけど」
「…い、いや、じゃ、ない、」
そんなしゅんとした顔するのずるい。しかもすぐにひびきはいつものいじわる顔に戻るから、もしかしてさっきのは演技だったの?
「…今の顔、かわいいから他の人に見せないでね」
「あ?俺はかっこいいんだよ」
「自分で言うな!」
「じゃあ匠が言って」
「…ばーか」
「素直じゃねえなあ」
いつもどおり真っ赤になった耳をからかわれて、かっこいいなんて絶対に言うもんか!と僕は誓ったのであった。
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