▼ H-dur 13
とん、と肩を押されて、僕はベッドの上に仰向けに倒れた。少しでも時間を稼がないと。そうは思っても、声もでない今、それも難しくて。
「…」
「無反応もつまんないんだけど」
「、」
「親衛隊とかいうのもムカつくんだよね、勝手に誰かを崇めて、一方的な気持ちを押し付けて。」
勝手に理想押し付けんなよ、と城崎さんは言った。それは、誰の話なのかな。もしかして、城崎自身の?
前の学校で、何かあったのかもしれない。気まぐれで転校してきたと言っていたけれど、それはきっとうそだ。
城崎さんも、どこかから逃げてきたの?
「タクミ、もっと、嫌がって。」
そういって、城崎さんは、足を縛られたままの僕にまたがった。びくり、と身体が震える。こわい。
つつ、と僕の頬を撫でた。顔を反らしてそれを避けるけれど、気にすることなく今度は首に触れる。
「そういえばタクミってさ、頭触られるの嫌いだよね」
「…」
「露骨に嫌な顔するでしょう」
別にそういうわけじゃない。ただ、ちがうなあって。響会長に触られるのとはちがうなあって。そう思ってしまうだけ。
「キスしよ、タクミ」
「っ、」
「やーっと反応した。待ってたよ、その顔」
そう言うのと同時に、城崎さんはベッドに片手をついて僕の顔に近づいてくる。
いやだ。
城崎さんの胸を押してもびくともしなくて、むしろどんどん近づいてくる城崎さん。顔を背けると、頭のてっぺんの髪の毛を根元から捕まれて前を向かされた。
ヴーヴーヴーヴー
携帯が鳴っている。僕の携帯。
いや、正しくは、響会長の携帯。
「ここでベタなドラマだったらさ?」
「…」
「キスされないですむんだろうね」
俺はするけど。
城崎さんの唇が僕に重なった。触れたことを自覚するよりも早く唇の間に舌を這わされる。
キモチワルイ。絶対に口は開かない。絶対に。
「、」
「口開けてよ」
「っ、」
「鼻つまめば息できないね」
「〜〜〜!っ、」
城崎さんの手を外そうともがいてみても、全体重をもって僕はベッドに押し付けられているし、僕の両手首を片方の手でやすやす持って城崎さんは至近距離で僕を見ている。
耐えきれなくなって酸素を求めると、その瞬間を待っていたと城崎さんはもう一度僕にキスをした。
ヴーヴーヴーヴー
また、携帯の音が聞こえる。
息を吸い込もうとするたびに、城崎さんは僕の周りの空気ごと食べちゃうみたいに口づけを深くした。
僕がほしいのは空気なのに、まるで城崎さんを求めているかのように口を開けてしまって。
「、っ〜、」
僕がいやがるのがわかっていて、キスをしながらわざと頭を撫でる城崎さんはほんとうに趣味が悪い。
そのままするりと手が降りて、首すじを撫でられる。なんでこんなに意味のないことをするんだろ。自分のプライドのために、無関係の僕を巻き込んで。怒りしかない。
けれど思い出す。響会長に無理やり部屋に入れられたとき、こういうことされたとき、
ただただ悲しかった。
怒りじゃなくて、どうしていきなり突き放すのか、こんなことをするのか、分からなくて、切なくて、
仲良くなれたって思ってたの、"はなまる"を、つけてもらってうれしかったの、僕だけなんだなって、
はなまるをつけたボールペンごと、「要らない」って言われたみたいに悲しかった。
きっと僕はあのときにはもう、どこかで響会長のことをとくべつに思っていて、だからこそ、傷ついたんだ。
ヴーヴーヴーヴー
今まではうれしかった携帯の音も、こうやって城崎さんにキスをされて、身体をさわられている今は悲しさしかうまなくて。
涙がまたひとつ、頬を伝ってシーツに染みを作る。
もうだめかな。
そう思った。思ってしまった。
けれど。
「匠!!!」
玄関から声がして。それは特別な響きを持ったもので。なんで?どうして?ほんもの?けれど間違えるはずがない。
バンッと寝室のドアが開いて、やっぱりそこにいたのは響会長だった。
城崎さんは「あ〜あ」と全く残念に聞こえないつぶやきとともに振り返る。
響会長…なんでここにいるの。なんでそんなに息切れてるの。汗だくだよ。前髪上がっちゃってるよ。
「城崎…!!!!!」
響会長は、ベッドから降りた城崎さんの襟に両手でつかみかかる。
こんな姿、見られたくなかった。
でも、響会長の顔を見てすごく安心している自分もいて。頭のなかがぐちゃぐちゃで、涙が次から次へと止まらない。
僕はのろのろと足を縛る紐を解いて、ズボンを履いた。とりあえずこんな姿を見せているのはいやだ。
「なに勘違いしてるのか知らないけど。合意のもとだからね?不法侵入、職権濫用、やめてくれる?」
バキッと鈍い音がして顔をあげると、響会長は城崎さんの頬を殴ったようで、城崎さんは体勢を崩す。
「どこが合意だよふざけんなよ!!!足縛って、あんな泣かせて、」
「園田とのときも泣いてなかった?タクミ」
「は、」
「写真を見る限り、号泣って感じだったけど?」
「、」
響会長は一瞬黙る。たしかに言ってしまえば、響会長は過去に、城崎さんと同じようなことをしたことも事実で。
「お互い様でしょう?それに、俺とタクミは付き合っている。ちゃんと段階踏んでるんだよ」
ちがう。付き合ってない。顔を手で拭いながら僕は首を横に振る。
「…違和感の正体に、すぐに気付けば良かった。おまえが匠と付き合ってんなら、おまえの前で匠が"にせもの"なのはおかしい」
「…」
「とにかく匠は連れて帰る。処分は後で伝えるからな」
その言葉に僕は自分の携帯を探した。ひっく、としゃくりあげるようにして肩が動くのを感じながら、声が出なくてもこうやって苦しいんだなあなんてぼんやりとおもって。
「…勝手にすれば。もう要らないし」
城崎さんは僕の方をまったく見ずにそう言う。響会長は僕のブレザーを拾って、僕のところへ来てくれた。
僕が携帯をふたつとも手に持ったことを確認して、響会長が僕を抱き上げた。
けど僕はひとつ、言い残したことがあって。トントン、と響会長の肩を叩いて止まってもらってから、メールの作成画面を開く。
【城崎さんは魅力的 だって文通とてもたのしかった くらべなくて いいよ】
毎回、欠かさずお手紙くれたのうれしかったよ。悩みとかも聞いてくれて、僕は救われていたよ。だいすきな音楽の時間が、もっと楽しみになって。ピアノ誉めてくれたのだって、とってもうれしかった。
だから、わざわざ響会長とくらべなくてもいいんだよ。
ベッドの脇、壁に寄りかかる城崎さんに画面を見せると、「…そんなの知ってる」と言われた。
その声は、ものすごく弱々しかった。
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