これはどうやらおかしいことになった。
初めに気が付いたのは親代わりの青年でもその友人である世話焼きな男でもなく、少女の主治医のような役割をしていた男だった。
男は、里の他の者よりも人間という生き物に詳しく、ある程度の病気や怪我には対応出来たからだ。男には昔、里を出て出稼ぎをしていた時期がある。
今でこそ医者の真似事をしているが、そもそも元はといえば彼は少女を里に置いておくことに否定的だった。
人は弱い。少し間違えたならすぐに死ぬ。運良く生き延びても、すぐに死ぬ。
変わり者で気まぐれで、しかも実は頑固だった青年があれほどの強行を見せてもなお、彼は青年もいつか飽きるだろうと思っていたし、そうなればすぐにでも適当な人里に捨ててくるつもりだった。
しかし、気まぐれで拾った子供に青年が飽きることもなく、二十年経った今では里中が絆されている。嘘だ。十年したころでとっくに里中が絆されていた。
さて本題であるが、その変化は大きく、しかし、人を良く知る彼でなければ気が付かないものだった。
拾われてきて二十年になる子供は、拾ってきたのが三つか四つのころだから、齢で言えば二十と少しになるはずである。
彼の見立てでは、この年になった少女は少女というよりは女性というべき見かけになり、親代わりの青年の外見に見合う程になっているはずだったのだが、数年前から二人の見かけは年の近い兄妹のまま止まっている。
あれだけすくすくと伸びていた背も、ここ数年はあまり伸びていない。
単なる成長期の終わりかと思えば、変化はそれだけではない。髪が伸びるのが遅くなった。爪の伸びるのが遅くなった。かと思えばその爪は硬度をまし、彼が人里から調達してきた爪やすりでは少女の爪を研ぐことが叶わなくなった。
そして極め付けは今日の発見だ。彼女のの小さな口からは人にしては長い犬歯が覗いている。
季節の変わり目に体調を崩した少女に薬を飲ませた際に気が付いたそれは、鬼という種族の特徴でもあった。
男は少女の体に何が起きつつあるのか、瞬時に理解した。
今、少女の体はいじらしいことに時の流れに逆らおうとしている。
人間はどこまでいっても愚かなのだ。この里で、彼が一番それを良く知っている。
彼が人里に暮らした時もそうだった。
人の命は短くて、人は愚かで、そして時折、こちらが驚くようなことを成し遂げる。
たったの数年で、不変を生きる彼に消えない痛みを残した人間がいたように、この少女も、いつかあの青年に目も背けたくなるような、消えない傷跡を遺すのだろう。
少女が時の流れに抗う程に、結果その傷がますます惨たらしく深いものとなるのが目に見えて、男は少女に絆された自分を恨む。
やはり少女は、この里に居るべきではなかった。
それでも少女が人の時の流れから外れてしまった今となっては、今更人里に放り投げることはできまい。
異端の自覚もない。生活は完全に鬼の文化で生きてきて、しかも生粋の箱入りに育った少女を人に紛れ込ませたところで石を投げられて死ぬのが目に見えている。
それではあまりに寝覚めが悪い。いくら彼でも躊躇する。
だから見届けよう、そう思った。医者の真似事ができるのは彼だけで、人と鬼の違いを理解しているのも彼だけなのだ。
なぜなら、彼は人間をよく知っている。彼らの営みを、彼らの文化を、そして鬼の男を愛した人間の女の愛の深さを。男は今でもどれひとつ欠けることなく思い出せる。
だから、あの青年とこの少女が、これからどうなっていくのか、それを見届けるのは彼の責務なのだ。
なんて、人里に捨て置くようなつもりなんかとっくの昔からなかったくせに、男はやっと自分に言い訳ができた。
有限であっても、少しも永遠でなくとも、尽きない幸福というものは存在する。
消えない胸の痛みを、それでも彼が愛おしく思うのは、それを知っているからだ。