草や石に足を躓かせるのは変わらないらしい、足音がまた乱れた。
いつまでたってもこうだから、そもそも人間という種族は満足に歩くこともできない生き物なのかもしれない、と青年は思う。
仕方がないので、立ち止まり腕を差し伸べる。
ん、とだけ言ってそれは大人しく青年の片腕に収まった。

「お前なあ、」

そうやってすぐ甘やかして、と青年の友人が言う。
変わり者と呼ばれていた青年に友人と呼べるような相手ができたのは、ここ十年でのことだ。

青年が人の子供を抱えて帰ってきてからもう十年になる。
最初こそ変わり者の青年と小さな厄介者を遠巻きにしていた里の人々は、彼に子育ての才能がないとわかるや否やあれこれと世話を焼いた。

里の者を動かしたのは、自身らの手で天涯孤独となった人の子への憐れみなどではなく、あまりに配慮のない青年の世話に泣きもせず耐える子供への同情であった。
獣の骨を外さないまま食事として与える、湯浴みを任せれば川の水をそのまま使って風邪を引かせる。そんな風だったものだから、青年に世話を任せておけば、最終的な子供の運命は目に見えていた。
その子供の元居た集落は鬼たちにとってはとんだ害悪ではあったが、制裁はもう済んでいるし、鬼は元来人の好い生き物なのだ。
幼い子供が親切という名の無遠慮により何度も死にかけるのを見るのはあまりに心が痛い。
耐えきれなくなった誰かが手を差し伸べてしまえば、あとは里ぐるみの子育てになり、それまで里のはずれで暮らし、たまの遠征のほか他者と関わりを持つことのなかった青年は、拾ってきた子供と共に否応なしに里の輪の中へと引っ張り込まれることになった。
この友人もそのような騒動の中で関わりを持つようになった者の一人である。

「そうやってすぐに抱えるからいつまでたっても躓くんだ」
「この方が早い」

それに転ぶと怪我をする。
いつもの仏頂面のままそう続けた青年に、友人の男はますます呆れたような表情を浮かべた。あまりに過保護が過ぎる。
片腕に抱かれた少女は、黙ってそのやりとりを眺めている。

先のようなわけだから、子供の世話は里の女が中心となってそれはそれは騒がしく行われたのであるが、元々の性格なのか青年に似たのか、少女は口数が少なかった。
それでも青年と比べれば、ややいくぶん表情豊かと言えるだろうか。
現に今も黙ってはいるが、その表情はどこか楽しげである。どうやら青年と彼の掛け合いが面白いらしい。

「お前ももうちょっと歩け」

ぺし、と額を小突けば、少女はう、とくぐもった声を挙げた。そして保護者の目つきが鋭くなる

「傷になったらどうする」
「そんな叩いてないだろ。なあ」
「うん」

いたくないよ、そう言う声はどことなく拙い。
思えば昔からこれはぽつぽつと話す大人しい子供だったから、寡黙に育ったというよりはむしろ、当時から変わっていないというのが正しいのかもしれない。
育ったのは外見だけで、歩くのにも話すのにもどこか拙さが残るのもきっとそういうことだ。
彼が黙り込んだものだから、気分を害したとでも思ったのだろうか。
少女がおそるおそる口を開く。

「おりる、べき?」
「……」

おう降りろ降りろ、とは言えなかった。
先ほど青年のことを過保護がすぎると言ったが、実際のところ彼も、いや、里中の者も青年とさほど変わらない。
鬼にとって十年は長い一生のうちのほんの一部に過ぎない。
昨日と今日とが隣り合わせであるように、十年前と今もまた大差のないものなのだ。
それを示すかのように、今の少女への里の者のまなざしは、十年前の幼子へ向けられていたものと何も変わらない。
ただでさえ寿命の短い生き物の癖して、人はあまりに簡単に死ぬ。実際この十年、たった十年の中で、肝を冷やしたのは一度や二度ではない。
いくら時が過ぎその背丈が見違えるほど伸びたとしても、彼らにとっての彼女は、熱を出せば数日寝込み傷が付けば何日も治らなかったあの幼子なのだ。

考え込むように黙り込んだ彼を見て、少女は少女なりに何か考えたようだった。

「おりる」
「あー……。いーよ、そのままで」

最初からそういえば良いのだとでも言いたげな顔をする青年を小突いて、少女の頭を撫でる。

「転ぶと危ないから、抱えてもらっとけ。な?」
「わかった」

彼もまた、少女に変わらないあの日の幼子の姿を見ている。


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