「相田くん、いらっしゃい! 待ってたよ!」
「待ってたのは僕じゃなくて、こっちでしょ」
目の前でビニール袋が揺れる。透けて見える赤い物体はお目当てのものだ。
「たこ!」
暑いから、入れて。本日一番の功労者の言葉にわたしはははーっと頭を下げる。たこ焼きをするつもりでたこを買い忘れたおおばかものはわたしなので。
「本当にありがとう!」
「どういたしまして。誰かさんが急にたこ焼きとかいうから、たこぶら下げて電車に乗る羽目になった」
不満の言葉は聞かなかったことにする。目の前に立つ彼だって、本気で怒っているわけではない。だってわたしの「たこ焼きしよう!」を二つ返事で了解したのは彼の方なのだ。
唐突な呼び出しにも応じてくれるありがたい友人を部屋に招き入れながら、わたしはきりっと敬礼する。
「お部屋はわたくしめがしっかり冷やしておりますので!」
「それくらいはしててもらわないと困る」
「そんな」
相田くんはいつにも増して辛辣だった。もしかしたら、ちょっと怒らせたかもしれない。当日の誘いだし、パーティなのに二人だし、おつかいさせたし。
○○○
「満足……」
「アイスあるよ。デザートに食べる?」
「食べる」
どうやらおなかが空いていただけらしい。約50個のたこ焼きをほとんど平らげて、先ほどまでの人相はどこへやら。相田くんはたいへん満足そうだった。
ローテーブルから相田くんが腕だけ伸ばすので、その手にカップアイスを乗せる。味は王道バニラアイスだ。食後のデザートにアイスを用意することにしたまではよかったものの、相田くんのアイスの好みをわたしはしらなかった。でも大丈夫。だってバニラだから。わたしもバニラアイス大好き。
バニラアイスを受け取って、相田くんがわたしの手元と自分の手元を見比べた。
「……だ、だめだからね」
「そっちがいい」
「こ、これは夏限定の」
「功労者」
「ぐぬぬ」
功労者の命令となれば仕方ない。わたしは苦悩のうめき声をあげながら、相田くんへアイスを献上した。
こんなことになるなら二つとも同じのにすればよかった。日和ってバニラにしたのが失敗だったのだ。バニラは好きだけど、わたしはもう完全にゆずみつ味の口になっている。
そんなわたしを尻目に、相田くんが満足げな顔でアイスの蓋をあける。わたしのゆずみつアイス……。
「あ、相田くん」
「なに」
「半分こ……」
「……仕方ないな」
○○○
相田くんはわたしの学生時代からのお友達だ。学部が一緒で、選択する授業もよく一緒だった。学生時代はよくみんなで集まったものだけど、最近はみんな忙しくてそうもいかない。その中でも驚異の参加率を誇る相田くんは、いつでも気軽に声をかけることのできる貴重な存在だった。
「相田くん、起きて」
「今めちゃくちゃねてるから無理」
「とてつもなく起きてるよ」
てきぱきと答えた相田くんを揺り起こす。するとローテーブルにうつぶせていた相田くんがつぎは後ろに倒れ込んだ。クッションまで抱えて、完全に寝の体勢だ。
食べたら眠くなるのはわかるけど、相田くんの家はここからだとけして近くない。今月は趣味にお金を使い過ぎたのだと相田くんがさっき言っていた。これでタクシーを呼ぶ羽目になったら、相田くんの暮らしはさらに困ってしまうだろう。
「終電、逃しちゃうよ」
「……」
わたしの言葉に相田くんが顔だけでこちらを見た。相田くんは無表情なのに顔で物を言うときがある。今とか。どうして起こすんだと言わんばかりの表情にこちらがたじろいでしまう。
「なんで起こすの」
ほんとに言われた……。
「なんでって、歩いて帰らせるわけにはいかないし」
「歩いて帰らせるつもりなんだ……」
「帰らせないために言ってるんだよ!」
わたしの反論もどこ吹く風。そうなんだへえそうなんだと相田くんがわたしを茶化す。どうでもいいけど無表情で茶化すのはやめようよ。(余談だが、相田くんの表情筋は見事に死んでいる。)
「歩いて帰らせるつもりなんだ」
「だから、ちがうってば」
「たこまで買わせて、要らなくなったら外にポイ」
「人聞き悪いね!?」
「だいたい、どうしてたこ焼きをやろうとしてたこを買い忘れるのさ」
「う、」
それを言われると痛い。たこを買い忘れた! という連絡を受けた相田くんが、わたしのマンションを目前にUターンをしてスーパーに向かってくれたことをさっき食事中に聞いてしまったので、わたしは相田くんに頭が上がらないのだ。
「きみは本当に頭が悪い」
「直球の悪口」
「学生時代は家まで来て勉強教えてあげたのに」
「その節は本当にありがとう……」
「働きだしてからも、何回僕が呼び出しに応じたと思ってるの。しかも当日。その上だいたい金曜日」
華金だよ華金。ぶつくさ言い始めた相田くんの言うことはたしかに正論で、わたしはうぐうぐ言うよりほかなくなってしまう。唸り出したわたしに、相田くんが溜息を吐く。はあ。
「きみは本当に馬鹿」
「さらに直球」
「救いようもない」
「ひどい」
なんだなんなんだ一体。いきなりぐずりだして、相田くんは何をしたいんだ。バンッとローテーブルの天板を叩く。さっきから言わせておけば! わたしは怒っていた。
「なんですかさっきから! 何が言いたいの!」
「は?」
「ひっ」
怒りは瞬時に鎮火した。圧がすごい。そしてすごく理不尽。酔ってるの? ってくらいだ。念のためあたりを見渡したけど、お酒の類は転がっていなかった。
「毎回だよ」
「え?」
「毎回毎回、帰れ帰れって」
「そんな言い方はしていないよね……?」
「黙って」
「はい」
相田くんがクッションで顔を隠す。それから、くぐもった声が聞こえた。
「きみはいつになったら、『帰らなくていい』って言ってくれるの」
「…………言われたいの?」
なにやら上から目線みたいになったのはゆるしてほしい。理解が追いつかなかった。しかしわたしの願いも儚く、案の定わたしの言葉が癪に障ったのだろう。相田くんがクッションを投げつけてくる。
「何その反応。むかつく」
近くにしゃがんでいたので、まんまと顔面にクッションを食らう。「どんくさ」相田くんが小さく吹き出した。
「いたい」
「きみは馬鹿だ」
「えっと、ごめん……?」
「頭が悪い」
「返す言葉もないです……」
「あともう終電間に合わないから」
「えっ」
慌てて時計を見れば、たしかにもういつもの時間を過ぎている。
「は、走れば」
「疲れた体を引きずってきた僕を走って帰らせるんだ」
「相田くん絶対疲れてないよね!?」
今日の相田くんは絶対に絶好調だ。
「ま、まだ間に合うよ」
「むり」
「あ、そうだタクシー代だすよ!」
「いらない」
「じゃあ」
「うるさい」
ぴしゃりと言われて、わたしは押し黙った。
静かになったわたしを、相田くんが見る。
じり、と、後ろへ下がろうとする、わたしの思惑は秒で阻まれた。寝転がったままの相田くんが、わたしの足首を掴んだからだ。しゃがんでいたわたしは簡単に尻餅をついて、相田くんはそのことを呆れも茶化しもしない。寝転がった男と、尻餅をついた女。あまりに絵にならない。なんて甘くない。それなのにわたしから目を離さずに、相田くんが口を開く。「ねえ、」ずっと仲良くしてもらっていた。でも、そんな声、聞いたことがなかった。
「『帰らないで』って、言って」
「待ってさっきよりハードル上がってるってあ痛いいたいいたいいたいごめんなさい」
「ほんとうるさい」