「わ、ほんとに尾浦たちいるし」
千葉の声がした。三人揃って声のした方向を見る。千葉と山尾だった。二人とも浴衣を着ている。さきほど見えたような気がしたのは、やはり尾浦の気のせいではなかったらしい。
「マジで千葉たちじゃん」
行こうぜ、と行動の早い津島が尾浦と河内の腕を引いて、道の反対側に渡ろうとする。「すみませーん、通りまーす」「おい」「いいだろ、ちょうどあっち側に焼きそばもあるし」「そういうことじゃなくて、」腕を引かれてもなお抗おうとする河内の背を押す。ここは津島に加勢だ。
「コーチ、ここで立ち止まる方迷惑だから」
尾浦の駄目押しが効いたのだろう、河内が渋々といったようにおとなしくなった。
津島に導かれるまま、人の多い道を横切って芝生の方に出る。
尾浦たちを迎えたのは、一緒になって道から押し出された千葉の呆れた顔だった。
「いや、なんで来たの?」
「冷たい! もっとなんかねえの!?」
「なんか、ねえ……あんた、どこに行ってもうるさいわ」
「えっ」
騒ぐ津島とあしらう千葉。見事に遊ばれている。面白がって見ていると、津島と千葉、その二人に挟まれて笑っている山尾の姿が目に入った。白地に寒色の花が描かれた浴衣を着ている。いつもおろしたままの髪は珍しく上げられていた。
服装ひとつでずいぶん変わるもんだ。そんなことを思いながら、横に立つ河内を横目で盗み見る。「……」恋する友人は予想通りというか、まあいつも通りである。
尾浦と河内に気が付いたのか、山尾がこちらに抜けてきた。
「よっす」
「終業式ぶりだね、尾浦くん、河内くんも」
「……ああ」
にこにこ笑う山尾はいつもよりどことなくはしゃいで見えた。祭りということで、山尾も浮かれているのかもしれない。
「良いじゃん、浴衣。白なの意外かも」
「ふふふ。これね、気に入ってるの」
そういって山尾が袖を軽く上げてみせる。「似合ってんね、可愛い可愛い」「え、……ありがとう」彼女の性格からして大方否定されるだろうと思ったのだが、山尾は予想に反してうれしそうだった。はにかんで礼を言う山尾は、お世辞抜きでなかなか可愛い。ほら今がチャンスだ、と横にいる河内を肘で突く。倍の力で突き返された。意味を汲むなら、『そんなこと言えるか馬鹿』だろうか。
「髪も。珍しいね、自分でやったの?」
「ううん、これは瑞樹」
「へえ、うまいんだ」
「でしょ」
津島で遊び終えたのだろう、誇らしげな千葉が山尾の横に並ぶ。「ほら、私今髪短いから。今年は幸に気合入れさせてもらいました」「入れてもらいました」勝気に笑ってみせる千葉と穏やかに笑う山尾の二人は、紺と白の浴衣も相まって、相変わらず対照的だ。
並んだ二人を見て、津島が呆けたような声を上げる。
「やっぱ浴衣いいなー」
「着たら良かったのに。男三人で」
「それは言わないで」
「焼きそばじゃなくてたこ焼きの気分になった」
「あ、私も。たこ焼き」
それから五人でやいのやいのと話していたら、津島が突然そう言いだして、山尾がそれに同意した。
「二人は?」
「俺は焼きそばだからそこのでいいや。どうせ食う場所探さなきゃだし、ここで待ってるよ」
「おっけ。じゃあ行くか山尾」
女子二人は山尾が買いに行って、後で半分ずつにすることになったらしい。そのやりとりを確認して、屋台の方へと向かいだす津島と山尾の背に声を掛ける。
「コーチも食べるってさ」
そういって河内の背を押し出す。「コーチも?」振り向いた津島はすこし驚いたあと、すぐいつもの笑顔を見せた。尾浦の意図を理解したらしい。
「りょ。じゃあ三人で行ってくる」
「おい」
河内の抵抗はどこ吹く風といったように、津島が意気揚々と河内と山尾の腕を引いて歩く。
「ちょっと、幸下駄なんだから。気遣ってよね」
「わかったー」
わかってるのかわかってないのか、津島の軽い返事に千葉が溜息を吐いた。
残されたのは、尾浦と千葉の二人だ。
「で、あんたは、焼きそば買わないの?」
すぐそこでしょ、と千葉が指すのは先ほどその前で山尾たちを見かけた屋台で、まあそこなんだけど、と尾浦も答える。
「戻ってくるのが見えてからでいいや」
津島のことだから、たこ焼きを買って戻るまでに道草をするに違いない。というようなことを言えば、千葉も納得したようだった。
「千葉こそ。行かなくてよかったの」
過保護の気がある千葉が、山尾を津島に任せるのを良しとするとは思わなかった。尾浦も元は河内を二人で残るつもりだったのだ。千葉の答えは簡潔だった。
「この人ごみで津島に振り回されるの、無理」
「言えてる」
夏祭り二日目の夜は、まさに人でごった返していた。河内曰く、『土曜日だから』。
道を出た芝生は意外なほど空いていて、数歩離れただけなのに祭りの喧騒が嘘みたいに遠い。教室で聞くより小さい千葉の声が、よく聞こえるくらいに。先ほど雑踏の真っ只中を歩いていたときは、隣にいる津島たちの声でさえ聞きとりづらいくらいだったのに。
「まあ、幸には悪いけどね」
「大丈夫でしょ、コーチがいるし」
河内ね、と千葉が言って、そこで会話が途切れた。
手持無沙汰に眺めていた雑踏の中に、山尾の後姿が見えた。
たこやきの屋台のところに河内と二人で並んでいる。津島がいないのは、おおかたほかの屋台に吸い寄せられでもしたのだろう。あるいは、河内に気を遣ったか。
二人の後姿が一瞬人ごみに隠れて、また現れる。することがなかったから、なんとなく二人の後姿に勝手にアテレコをした。
『津島くん、いなくなっちゃったね』『あいつはいつもそうだから』『夏休みの課題進んでる?』『普通だな』
遊びはすぐに頓挫した。いつも山尾を前にすると黙りこむ河内が、山尾と二人で何を話すのかがてんでわからなかったからだ。
尾浦が一人で匙を投げたのも知らず、千葉が口を開く。そういえば、会話は不自然に途切れていた。
「私、あんたが幸のこと好きなんだと思ってた」
「ちがうよ」
間髪を入れない返答に、千葉が尾浦の顔を見たのがわかった。しかし、尾浦は祭りの雑踏から目を離さなかった。雑踏の中の二人から。津島はまだ二人の下に戻らない。
千葉が尾浦から目をそらして、ぎこちない沈黙から逃れるように、呟く。
「幸たち、まだかな」
「今並んでるし、もうちょいじゃね」
「どこ?」
「あそこ」
あそこってどこ、と問う千葉に、だからあそこ、と指をさす。今度こそ千葉も山尾たちを見つけたようだった。
そしてまた尾浦の顔を見て、口を開く。
「……津島が言ってた」
「何を」
「私たちを一番に見つけたの、尾浦だったって」
「そ。千葉たちが歩いてるの、たまたま見えてさ」
「『山尾たち』、でしょ」
さっきと同じように、千葉が言葉を切る。あからさまなそれに、尾浦も少し苛立って千葉を見た。
「だから、何。さっきから」
返ってきたのは、答えにならない答えだった。
「あんたたちを先に見つけたのは幸で、」
「幸もやっぱり、『尾浦くんたちだ』って、言ってたよ」
ああそう、と返した気がする。
それ以上千葉は何も言わなかったし、津島たちが合流するのが見えるまで、それきり尾浦も口を開かなかった。