クラスで席替えが行われたのは、日直が席の順に一周して少し過ぎたころだった。一周と少し、なのは担任の面倒臭がりが原因だ。
尾浦が引いたくじの番号は、廊下側後ろの席を示していた。悪くない席だと言えるだろう。
席を移動する前に、お世話になりました、とふざけて隣の千葉に挨拶をする。返された「お世話しました」はいかにも千葉らしい。
「これで静かになるわ」
「千葉の声は離れても普通に聞こえそうだけどな」
はぁ?と不満げに上げられた声が既に大きいことには気がついていないのだろうか。
教室の離れたところで席を動かしていた山尾と目が合う。おおかた千葉の声が聞こえたのだろう。わざとらしく千葉を指差して、口パク。(うるさいしょ、こいつ) すると通じたのだろう、山尾も同じように笑みを浮かべた。
「何笑ってんの」
そう言って千葉が尾浦の視線の先を追いかける。そして自分の親友に行き着いたらしい。千葉が訝しげな顔をする。
「あんたら最近仲良くない?」
「んー」
結局、山尾は千葉にあの日の話をしていないらしい。それなら自分がわざわざ話すこともないと判断して、へらへらと笑って返す。
「うるさい友達を持つ繋がりじゃないですかね」
「うっざ」
「口悪いなー、ほんとに山尾の友達か?」
「大親友ですー」
「あ、今の津島っぽい」
「やめて」
津島とするのに近い、テンポの良い会話。打てば響くというのだろうか、千葉はいちいち反応が良いのが良いところだ、と思う。そういうところは山尾とも似ている。
「尾浦いちゃついてないでさっさと動けー」
「おー」
「いちゃついてませんけど!?」
「うわ千葉怖」
移動してきた男子に急かされて、尾浦もようやく席を動かす。まあ、ここも悪くない席だった。うるさいけど。
「千葉たち離れちゃったなー」
その日の昼休み。どこか残念そうな声をあげたのは津島だった。
その千葉たち、は窓側の前の方、尾浦の席に集まっている尾浦たちとはちょうど対角線上の位置で集まっていた。
「なに、津島、残念なの?」
「んー、まあ。なんか最近は三人っていうか千葉たちと飯食ってるみたいなもんだったし」
「たしかに」
「だから残念っちゃ残念かなー」
津島が卵焼きを口に放り込んで、それから続ける。
「千葉たちも山尾んとこ集まったらいいのに」
その視線は今津島が借りている椅子の元あった場所、尾浦の隣の席に向けられていた。
そう、席替えの結果、尾浦の隣になったのは山尾だった。
よろしくね、と聞こえた声に尾浦が一瞬息を呑んだことに、声の主は気がつかなかったようだった。
「おー、隣山尾か」
「山尾でした」
「じゃあ当たりだな」
「当たりかなあ」
「当たり当たり」
だってほら、と言葉を続ける。
「期末近いし」
「……ノートは自分で取ってね?」
「残念。でもわかんなくなったら助けて」
「それなら、うん、いいよ」
頼んでおいて勝手な話だが、簡単に承諾されるとすこし呆れる。
「そうやってすぐ安請け合いする」
「頼んだのは尾浦くんじゃない」
山尾は従順なようでいて、意外と口答えもする。それを知るようになったのはここ最近だ。それもそうだ、と返すと、山尾は「でしょう?」と得意げに笑った。
朝の席替えのことを思い返しながら、津島に言葉を返す。
「まあ、千葉たちもいつも二人ってわけじゃないし、狭いんだろ、壁際じゃ」
そもそも山尾の席は今お前が使ってるしな、と続けると津島も納得したようだった。
「そっかぁ、じゃあコーチにはドンマイだな」
津島がそう言って河内の背を叩く。叩かれた河内が津島に咎めるような目を向けた。そして地を這うような声。「……津島」「ごめんごめん」悪びれない津島に、河内は文句を言うことも諦めたらしい。わざとらしい溜息をひとつ。
「ため息。幸せ逃げるぜ?」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「コーチに一票」
「えーごめんって」でもなぁ、と津島の言葉が続く。
「実際長いよなー、もう一年になるのか?」
「……」
口を閉ざす河内に代わって尾浦が答える。「そ、ちょうど一年くらい」
「知ってたけどなげー」
「それな」
「尾浦は去年も山尾とクラス一緒だったんだよな、どう?」
「どうって……」
尾浦が口を開きかけたとき、教室の前の方で友達と集まっていた山尾と目が合った。驚いたように少し目を丸くしている。自分の名前が聞こえたのだろう。誰かさんと同じで、津島も声が大きいから。尾浦は津島を指さして肩を竦めた。また津島が馬鹿やってるだけだから、気にしないで。伝わったのか伝わらないのか、山尾は笑ってまた会話の輪に戻っていった。
「つか尾浦、最近山尾と仲良くね?」
今のやりとりを見ていたのだろう、津島が次は声を潜めて尾浦に問いかける。見れば河内も黙って尾浦を見ていた。予想通りの質問だ。いつか来ると思っていた。二人の視線を受けて、尾浦はいつも通りに笑ってみせる。
「それは、ほら、山尾、よく見ると結構かわいいじゃん?」
うわ出たよ。そういったのは津島だった。打てば響くのは津島のいいところだ。こういうときは特に。
「危うくシュラバかと思った」
「ないない」
軽口を叩く津島と対照的に、河内は黙って尾浦を見ていた。尾浦の心の奥底を推し量るかのように。
でも、それは尾浦にとってどれだけ探られたって痛くない腹だ。だって尾浦慧人は山尾幸を好きにならない。なぜなら。
「いくら尾浦でも、友達の好きなやつには手ぇ出さないか」
「そういうこと。言い方ムカつくけど」
高校生の尾浦たちにとって、一年間は長い。特に、尾浦はとりわけ飽き性だ。だから尾浦は河内を尊敬さえしている。
友人である河内が、山尾幸への遅い初恋を自覚してもう一年になる。