「別れたぁ!?」
「瑞樹、声大きい」
隣の席ともなると、耳をそばだてる必要もない。いつか聞いたような会話が隣の席から聞こえてくるのを、尾浦は黙って聞いていた。一方で、目の前に座っていた津島があからさまに興味津々、というような反応をみせる。
日直の日からちょうど一週間経っていた。期間を空けてから打ち明けたのは、山尾なりに考えてのことなのだろう。「いつ!」気色ばむ千葉に山尾が答える。「昨日の夜。先輩と電話した」これには尾浦も表には出さずに驚く。山尾の声はいたって自然で、事情を知らなければ尾浦も信用していただろう。否、事情を知っている尾浦でも、もしかしたら本当に先輩と改めて話をしたのかもしれない、と思うほどに自然な声だった。
「昨日!?なんでまた急に」
そう言った千葉に山尾が答えるよりも早く、津島が口を挟む。「なになに、山尾、別れたの?」その津島を千葉が睨みつけた。
「今大事な話してるから」
「なんだよ、いいじゃんか」
「ていうかなんで聞いてるの」
「いやそれは千葉の声のせいだろ」
思わず口に出した言葉に、津島が乗っかる。「そうだそうだ、フカコーリョクだ」「ほら、瑞樹声大きいんだもん」山尾にまでそう言われて勢いを削がれた千葉が話題の転換を図る。「とにかく、」
「なんで別れたの!」
「なんでって……」
「振られたわけじゃないでしょ、でも幸が自分から振るのも考えられない。まさか、何かされた?」
なんで何かされる前提なんだ、と声に出さずに突っ込みながら、内心千葉の勘の良さに舌を巻く。流石、山尾の性格をよくわかっている。
それでも、核心を突くような言葉を受けてなお山尾はいたっていつも通りだった。
「まさか、先輩には良くしてもらったよ」
「じゃあなんで」
「でも、好きじゃない人と付き合うのはやっぱり違うかなって」
そう言って、笑いながら眉を下げてみせる。その様子の山尾らしさに、尾浦は改めて驚く。そして驚かされるのはそれだけではない。「幸が、自分の意思を」感極まった様子の千葉に抱き着かれた拍子に山尾の体が動いて、困ったような笑みを浮かべた山尾と尾浦の目が合う。けれど山尾はやはり狼狽ひとつ見せずにその笑みを崩さなかった。そのまま自然に千葉に視線を向けて、山尾が言う。
「瑞樹、私のことなんだと思ってるのさ」
「押しに弱い」
「あ、否定できない」
そう、なによりも驚いたことに、この一週間、山尾は一度たりとも尾浦に対して不自然な反応を示さなかった。
いくら理由を付けたところで、あの日直の日に尾浦と山尾がキスをしたことには変わりはない。そのことで照れるなり避けるなり、山尾になんらかの異変が見られると思っていた尾浦にとって、それは一番意外なことだった。生真面目な山尾に、ごまかしや嘘のスキルがあるだなんて正直思ってもいなかったのだ。女は須らく女優なのか。それとも山尾がすごいのか。思えばあの日も、山尾は最後先輩に対して意外なほど毅然とした態度を示していた。
ともかく、山尾のその意外な才能は尾浦にとっては都合の良いものであった。が。ここまで見事に澄まし顔を貫かれるのは、正直言ってあまり面白くはない。
そんなふうに考えながら、千葉に頬を掴まれている山尾に声をかける。「山尾、」「うん?」
「結局先輩とはどんくらい付き合ったんだっけ」
「……ちょうど、一ヶ月くらいかな」
「へえ、じゃあちゅーとかしたの?」
尾浦の問いかけに、山尾が一瞬固まった。「うわセクハラ」「尾浦がちゅーとかいうのキモいな」「それ」千葉と津島が一斉に尾浦に白い目を向ける。その瞬間、山尾が一瞬目を釣り上げて、
「(ば、か!)」
その顔を染めるのが蒼白ではなく赤色であることを、尾浦は誇ったって良いはずだ。別に、誰に言うつもりもないけれど。