「部屋ついたぞ」
「…さんきゅ」
「ほら、おりろって」
「…やーだよーだ!」
「バカ危ねっ…!」

ふざけて檜佐木の首にしがみついたら、バランス崩して二人で暗い玄関に転がった。へらへらと笑うあたしを横目に見て、檜佐木はぶつけたおでこをさすりながらため息をつく。

「お前…ふざけんな…」
「へへへー」

暗闇の中でも檜佐木の顔がはっきり見えるくらい、近くにいた。そんなことだってあたしたちにとっては日常茶飯事で。
でも、檜佐木はあたしの顔の横に手をついて、上から真剣な顔で見下ろしてきた。いつもだったら、そんな顔見たら笑っちゃうのに。檜佐木の顔が真剣すぎて、言葉すら出なかった。

「…お前、俺と付き合えばいいんじゃねぇの?」

その言葉を聞いた瞬間、本当にたくさん、たくさんの想いが心の中を駆け巡った。

その言葉を聞きたかった。
聞きたくなかった。
信じられない。
本当は気づいてた。
嬉しい。
悲しい。
愛おしい。
…大嫌い。

あまりにもたくさんの感情が奔走して、沈黙に耐えきれなくて、どっちつかずの曖昧な言葉が口からこぼれた。

「そっかぁ…」
「…そうだよ」

ゆっくりと近づいてくる檜佐木の顔をぼんやりと見つめながら、少しずつ心が静まっていく。
流されるな。
確かな声が聞こえた。あたしは、きっと後悔するから。

「あたし…檜佐木と付き合うなんて考えられない」

唇が触れる寸前で呟いた言葉は檜佐木の動きを止めた。檜佐木はそのまま顔を背け、葛藤しているようだったけど。すぐに起き上がり、あたしの手を引いて起こした。

「…お前、すぐ風邪ひくんだから、ちゃんと布団入って、さっさと寝ろよな」

いつものように私を子ども扱いしてそんなことを言う檜佐木の顔を、まともに見ることなんて出来なかった。
そのまま檜佐木が部屋を出て行き、鍵をかけ、その鍵をいつものように郵便受けから中に入れた。私は暗い玄関で膝を抱えながら、檜佐木が去っていく足音にただ耳をすましていた。

だめだよ。あんたが私のことどう想っているかなんて、わかってたよ。わかるに決まってるじゃん、わかりやす過ぎるよ。
檜佐木はずっと、ずっと、抑えていたんでしょ。あのまま力ずくで私を組み敷くことだってできたでしょ。無理矢理自分のものにすることもできたでしょ。今日じゃなくても、この前だって、その前に会った時だって、無防備なあたしにそんなこと、簡単にできたでしょ。
でも、檜佐木はしない。あんたがそんなことしない、できるわけがないって知ってた。知っていながら平気であんたに触れて、抱きついて、一緒に眠って。あたしは、あんたの自制につけこんで甘えていたんだよ。
あんた本当、信じられないくらいいい男だよ。こんなに夜遅くまであたしに付き合っても、あんたは明日もいつもどおり誰よりも早く出勤するんでしょ。それで、あたしは欠勤だとか伊勢副隊長に言ってくれるんでしょ。知ってたよ、あんたがいつもそうしてくれていたこと。
ごめんね檜佐木。残酷だね。あたし、檜佐木を傷つけてるのかな。
それでもあんたはどうせ、あたしがまた男と別れたと言ったら同じように愚痴聞いてくれるんでしょ。あたしのヤケ酒に付き合って、酔いつぶれたあたしを健全に送り届けて、翌日の欠勤連絡。
また繰り返し。そんな繰り返しをずっと続けていたい。
檜佐木とずっと一緒にいたいと願う。檜佐木の横で笑っている女があたしだけであればと願う。
あたしは檜佐木を失うのが怖い。恋人同士になんてなって醜い感情で傷つけあって、あんたがあたしの元を離れていくのが怖いんだ。

きっと、好きだよ。
大好きだよ、檜佐木。

でも、言ってくれなかったね、檜佐木。私のこと、「好きだ」って。たぶんあんたも私と同じこと考えてるんじゃないかな。さっきのは、ギリギリの駆け引きだったんでしょう?私を失わない、この関係を崩さない、下手に冗談めかした発言…。あんたも臆病だよね。でもそんなところも理解できる。つくづく似た者同士だね。

…泣くな。私に泣く資格なんてない。でも涙が止まらない。
あんたの優しさに甘えて、明日は遠慮なく休む。そして次の日は、またいつものように檜佐木に弁当でも作っていってやろう。そしたらあんたは、「これっぽっちで詫びのつもりか」って呆れて笑ってくれるでしょう。
私も笑うから。またあんたの隣で無邪気に笑ってみせるから。

今夜だけは、あんたが好きだって、泣かせてほしい。




(大好きだから)
(私はこの嘘を貫き通す)





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過去拍手をほんの少し修正して再UP。
2014.3.16

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