* * *

乱菊に一晩中話を聞いてもらって、話し疲れていつの間にか眠っていた。繋いだ乱菊の手が温かくて、久しぶりに深く眠れたような気がした。(乱菊が製品開発部からくすねてきた新製品のサンプルで、パックとアロマオイルマッサージしてもらったのも良かったかも。)
翌朝、マンションの外まで出て、乱菊を見送った。

「雪那、あんたはもっとわがままになっていいのよ。いつもいつも相手の気持ち推し量っていたって、幸せになんてなれない。あんたも、相手もね」
「うん…」
「あんたの話聞いてる分には、そんなに悪い男じゃないのかもしれないけど…ねぇ、そんっなに、その男が好きなの?」
「…うん、好き」
「…だったら会いに行きなさい。この狭い国の中で、人間1人見つからないわけないんだから。どうにかして探し出して、私にも会わせてよ」
「ありがとう、乱菊」

少し困ったように笑って、乱菊は帰って行った。私はその背中が見えなくなるまで、ずっと見ていた。
乱菊の言うとおりだ。探そう、阿近を。
また阿近に会って、言いたいことがたくさんある。聞きたかったことが、たくさんあるのだから。マンションのエントランスに入り、エレベーターに乗り込む。扉が閉まるのをぼんやりと眺めながら、でも一体どこを探せばいいのだろう?と漠然と考えた。
聞き込み?ビラ配り?探偵でも雇うか?そういえば、どこかの国の王子様なんだっけ、あの人…。
…馬鹿か、私は。でもこんな馬鹿なこと考えられるようになったのも、乱菊に打ち明けられたおかげだ。

「ちょっと待った!乗る乗る!」

突然の大きな声と共に、閉まりかけていた扉に強引に手が挟み込まれ、こじ開けられた。入ってきたのはスーツを着た若い男。ツンツンと立った短い黒髪。第3ボタンまで開けはだけたシャツの胸元に、だるだるにゆるめたネクタイ。肩にかけられた背広。肘までまくられたシャツから伸びるスラリとした手首には、ゴツいブレスレットやらがたくさん。
思わず、これだから若い男は…といった目で見ていたら、私の視線に気づいた男と目があってしまった。慌てて目をそらすと、男はふっと笑った。

「ごめんねー、お姉さん」
「…いえ、」
「このマンションのエレベーター遅いうえに一基しかないから、一度乗りそびれると待つの長いんだよね。部屋の中は綺麗だけど、建物自体は結構古いのかな?ところでお姉さん、たまに見かけるけどここで一人暮らし?」

男はこれだけのことを一息に喋った。話しかけてくれるな、と思いながら「えぇ、まぁ…」と曖昧に会釈して、さり気なく距離をとる。かたくなに男の方を見ないように真正面の扉を凝視した。はやく着け!
私が答えなくても男は別に気にする風でもない。ちょうどその時、男の携帯が鳴り出した。

「はい檜佐木です。はい、もうすぐ着きます。あ、送ったデータ見てくれました?」

エレベーターがやっと私が降りる階にたどり着いた。この人が電話している内に、さっさと降りよう。

「あー、思ったよりセキュリティ堅くて手こずりましたけどまぁなんとか…え?阿近さん、そりゃひどいですよ…」

聞こえたその名前に、身体が硬直した。
…今、なんて?

「いやいや送ってないデータまだたくさんありますから、それ見てから…はいはーい…」

男が電話を切る。エレベーターの扉が閉まりだしたので、再び男が扉に手を差し入れて止めた。

「お姉さん、降りるんじゃないの?」

動かない私を見下ろして、男は不思議そうな顔をした。

「…あなた、今、阿近って言った?」

男の顔を正面から見上げて聞いた。ほんのわずか、男は冷たく目を細めた。

「…お姉さん、何者?」
「あなた、阿近と知り合い?珍しい名前だから、人違いじゃないと思うんだけど。ねぇ、あの人今どこにいるの?」
「答えられない」
「…どうして?」
「人違いじゃないの」

そう言って男は、開けたままになっていた扉から出ようとした。

「待って!」
「なに、」
「お願い、阿近は今どこにいるの?教えて…」

男の腕をつかみながら必死で訴えた。男は相変わらず冷たい目で私を見下ろしている。
私は目をそらさずに、男を見つめ続けた。

「…俺はなにも言えない」

そう言って男は私の手を振り払ってエレベーターから降り、階段を使って走り去ってしまった。




And that's all…?

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