* * * *

「落ちた」
「は?」

十数時間ほど無言でパソコンの前に座っていた阿近さんが呟いた。まさかと思いながら、阿近さんのデスク上のディスプレイをのぞき込めば、大暴落した株価レート。

「そんな…本当に?!」
「適当な社員そそのかして、マスコミが食いつきそうなネタを内部告発させた。昨日からどこの報道見ても騒がれてるぞ」
「え、見てない」
「ニュースや新聞くらい見ろ」
「いや、だって、依頼が来たのは一週間前…業界最大手の企業ですよ?!」
「でかい企業になればその分闇が多くなるし、そこをつつけば脆いんだよ。依頼主に後金の振込先連絡して。迅速対応の分、上乗せして請求」
「あ、はい…」

そう言いながらも阿近さんの目はディスプレイをにらんだまま、すでに次の依頼に取りかかっている。
怖い人だ。この無機質な液晶画面に移るグラフの推移の裏で起こる悲劇を、この人が想像できないはずがない。すべてわかった上で、やっている。
実際この数日後、一夜にして富と名声すべてを失った社長は首を吊った。

「檜佐木、これ次の会社のID。それで社内うろつけるから、潜入よろしく」
「はいはい…」

ライバル会社の内部情報入手。それが次の依頼内容だ。
一体どうやって手に入れたのか、手渡された首下げ式のICチップ入り社員証には聞いたこともない男の名前。写真だけが俺になっている。

依頼内容は応相談の基本何でも屋。契約金以外の報酬は依頼遂行後の後払い可。依頼主の情報は後にも先にも絶対に漏らさない。迅速、適確、期待以上。それが俺たちの売りだ。

長年共に犯罪まがいの(もしかしたらモロに犯罪の)仕事をしてきた俺でも、怖くなる。それほどまでに最近の彼はまるで感情を無くしたかのように仕事に没頭している。

「阿近さん、メシ作りますけど…」
「いい」
「や、でも昨日から何も…」
「水分は摂ってる」

そう言ってコーヒーメーカーから湯気の立つ濃いコーヒーを注ぐ。窓辺に立って、ブラインドの隙間から差し込む朝の光に目を細めながら、地上を見下ろす。
それが最近の阿近さんのお決まり。

阿近さんが、徹夜明けの朝、いつも同じ時間、俺たちが事務所兼自宅を構えるマンションから出て行く女を見つめているのに気づいたのはつい最近。
阿近さんがひとりの女に、いや、他人に興味を示すなんて今までほとんどなかったのに。

「…いい女ですね」

阿近さんの背後から地上を見下ろしながら、思い切って言ってみたら、コーヒーを啜る阿近さんの動きが一瞬強ばった。が、また何事もなかったかのようにコーヒーを飲み干し、デスクに戻ってしまった。
失敗か。何か聞き出せるという希望は限りなく薄かったが。

「…潜入、いってきます」
「頼んだ」

堅気らしいスーツとネクタイで身を包み、今日も俺は悪の道をひた走る。



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