「うそ…」

無機質なATMの画面上の数字に、我が目を疑った。

「一、十、百、千、万、十万、百万、千万…」

間違いない。少なくとも私の全財産より0が二つは多い。

『これ、使っていいから』

昨日の晩、突然阿近から渡されたキャッシュカード。まぁ、タダで居候させてやっていたんだから、と。何気なく確認してみた残高は、信じられない額だった。

「何者…?あいつ…」


* * * * *

「あんたはどこかの国の王子様か何か?」

阿近はソファーで膝を立てて座り、相変わらず本を読んでいる。その背中に向かって言えば、チラリとこちらを振り向く阿近。

「…王子様って柄じゃないな」
「一般庶民はあんなに預金は無いと思うけど」
「まぁ気にするなよ」
「またそうやってはぐらかして…」

その時。
鼻をかすめた香りで、言葉は途切れた。

「…それ…」
「…あぁ。部屋の隅っこに落ちてた。雪那の?」

フーッと紫煙を吐き出しながら、指に挟んだ煙草を掲げる阿近。
どうして?全て捨てたはずなのに。何もかも忘れたはずなのに。
思い出したくなんてないのに。懐かしい香りが、残酷なまでに鮮明に、心の奥底にしまいこんだはずの記憶を呼び起こす。

「…私は煙草吸わないから」
「じゃあなんで?」

まぁそう思うのが普通だろう。阿近に背を向けて、なるべく普通の声を装った。

「元彼の忘れ物」
「……あー…」

チラリと横目で阿近を見ると、珍しくいつものポーカーフェイスを崩してバツが悪そうな表情をしていた。

「悪い」

ぼそりとそう言って阿近は煙草を灰皿に押し付け、残りの箱ごとゴミ箱に捨てた。

「別に。どうして謝るの?」
「さぁ…なんでだろうな」

阿近が私に気をつかっているのがわかった。いつもはお構いなしにマイペースなやつなのに。
気なんて使わないでほしかった。阿近なら、こんなこと気にしないやつだと思っていた。でも阿近は、私が思ったより優しい男で。

「私、お風呂入る」

その優しさに戸惑い、何より懐かしい香りが立ちこめるこの部屋から一刻も早く逃げ出したかった。


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