深夜。病室の寝台の上に膝を抱えて座り、暗闇の中で眼をこらす。
今もまだ、私の周りにはあの森の空気がある。
窓の外の木の枝が揺れる。その影に、あの巨大虚を見る。葉音のざわめきが、虚の叫び声となる。
その度に私の右腕は左腰に伸び、あるはずのない嘲蜜を求める。
肌が粟立つ。心臓が早鐘を打つ。小刻みに震える手を見つめながら、強く握り締めた。

この感情はなんだ。この感情が、ただ怖くてたまらない。
握り締めた拳の中で、掌に爪が食い込む。

『安心しろ お前は正気だよ』

窓辺に腰掛ける男が夜風に髪を揺らしながら笑んだ。
全体的に霞のような身体。乳白を含む藤紫の髪、全ての闇と血を吸い込んだような深い紅紫の瞳。

「あんたは狂っているからね…」

くすくすと軽やかな含み笑いが耳に重くまとわりつく。眼を覆いたくなるほど明るい月の光の下。この月にかけた誓いが、自分を苛んでいるようで、今はただ重い。
羽衣のようにふわりと、男は私の寝台に腰掛け、肩を抱いた。くすくす、くすくすと、絶え間なく笑いながら。

「…嘲蜜…」

もしもこの声が聞こえなくなるならば、私は全てを差し出すだろう。



* * * *

あの事件から10日。万葉はまだ退院してこない。傷は、尋常でない速さで完治したらしい。それが万葉の特異体質なのか、その特殊な刀の力なのかは分からないが。
阿散井が毎日のように見舞いに行き、甘味を差し入れたり笑い話をしても、ただ臥せっているらしい。
瀞霊廷慰安旅行中の巨大虚襲撃は前代未聞の事件であり、その報告業務に追われていた俺は、あの日以来万葉の顔を見ていない。


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