長いこと局員をしているからか、他人のことをつい観察してしまう癖は職業病みたいなものなのだろう。髪色や肌色・瞳の色・体格といった姿形から、霊圧・その質と強度・量・流れ。歩き方・座り方、時には戦い方まで。気づくとつい、細かなところまで観察してしまう。 ここ数年、ほぼ毎日同じ研究室にいて、もう観察し尽くしただろうと思っていたのに。新たな発見というのはあるものだなと、新鮮な気持ちと、大げさに感慨深い気持ちを抱きながら、そっと真白の背後に近づいた。 作業台いっぱいに広げられた資料の山。足の高いスツールに座った真白は、資料に少し身をかがめながら細かな字を書きこんでいる。十二番隊員の勤怠記録。ひとりひとりの給与や手当や休暇を管理する地味なようで骨の折れる仕事。誰にやらせてもいいのだが、最終的な決済が自分だから、自分に近い局員に任せるのが一番効率がよくて。建前としてはそんな理由だが、真白に任せるのが一番ミスがなく、仕事も早く、俺の精神衛生上良いのだ。ついでに真白が俺の研究室を作業場としているからその間俺の目が届くわけで、それも精神衛生上良いことこの上ない。 黙々と作業を進める真白は、あっちこっちの資料に手を伸ばし、その度に高い位置でひとつにまとめた髪が揺れた。書き物をするのに俯くと邪魔になるから、今日は髪を結っているのだろう。さらさらと軽やかに揺れるストレートの髪。いつもは隠れている耳とうなじ、首筋が露わになっている。高い位置の結紐にまとめきれなかった細く短い生え際の髪がふわりとうなじに落ちている様はなかなかに、良い。そして先ほど遠目に見つけた新たな発見を、近づいて目視確認した。 白い肌よりもほんの少し桃色がかった耳の後ろ、生え際との間に、ちいさなほくろがあった。見ているような気になっていたが、見えていないものなんだな。そんな風に感心しながら、その小さな黒い点に指先で触れてみた。瞬間、びくりと肩が跳ねて、振り返った真白が見上げてきた。 「び、っくりした…」 「ほくろ」 「え?」 「見つけた」 「え、どこ?」 「ここ」 再び耳の後ろを指先でつつき、そのままうなじへ向かって指をすべらせた。俺の戯れに、真白はくすぐったそうに身をよじった。髪がさらりと手の甲を撫でる。その髪の束を手に取って観察した。一見黒く見えるが、その色は深い青だ。群青のような、紺のような。光の加減で色が変わり、紫を帯びる。 「紺青色だな」 「こんじょういろ?」 「紫を帯びた深い青だ。『金青』とも書くし、その場合『きんせい』と読むこともある」 お前の色だな、と呟くと、真白は照れくさそうに笑った。やわらかく細められた瞼の中で金色の瞳が輝いている。夜空の色の髪と、金色の星のような眼。 あぁ、金星だ。 ふと窓の外を見れば真っ暗で、また働きすぎてしまったなと心の中で反省しつつ、いい考えが浮かんでいた。 「ちょっと外に出ないか」 「え?こんな時間にどこへ?」 「お前はまだ行ったことないところ」 * * * * 技術開発局最上階の屋上は、ほかの隊舎よりも高く、視界を遮るものもない。まして深夜をとうに過ぎた時間で、辺りには明かりも少ない。新月の真っ暗闇の中、澄んだ空気の中では星がよく見えた。 「屋上って上がれるんですね」 「俺以外、上がってるやつは見たことねえな」 広々とした何もない屋上の真ん中に据えたベンチにふたり並んで座り、背もたれに背中を預けて星空を見上げた。 「…不思議ですよね」 「なにが」 「ここから見える星空。現世の、日本の星空がそのまま見える」 「まぁな…表裏一体なんだろう。現世とこっちと。すべてにおいて」 昔真白が言っていたことを思い出す。この世界とはなんなのか。果たして、この世界を去るときに、次の世界が存在するのか。途方もない疑問だと思う。 「宇宙も不思議ですよね。考えれば考えるほど怖くなっちゃう」 「宇宙か…行ってみたいもんだな」 「阿近さんもそんなこと思うんですね」 「だってお前、宇宙人とかいるかもしれないだろ」 少しの間。ぼんやり夜空を眺めていても反応が返ってこないので真白を見ると、口に手を当てながら肩を小さく震わせていた。 「なんで笑う」 「だって阿近さんが…ふふふ」 「いや会いたいだろ宇宙人」 「会ったらどうするんですか?」 「とりあえず捕まえるだろ」 「ふふ、とりあえず」 「で、まずは生体実験を一通り」 「その後は?」 「そしたらバラすだろ」 先ほどよりも遠慮なく真白は肩を揺らして笑いをこらえている。その反応に少しムッとしている自分が、俯瞰で見るとなんだかひどく子供じみていると思った。 「お前ならどうするんだよ」 「あー、…とりあえず、お話しますかね」 「その後は?」 「え、うーん。触らせてもらう?」 「俺と変わんねーじゃねぇか」 「全然違うじゃないですか」 「同じことだろ」 物騒さが全然違います、と一際大きな声で真白は笑った。自然に笑うようになった。出会った頃より感情の起伏が表に見えるようになった。笑い、泣き、照れて、すねる。最近はたまに怒る。それで気づいたが、真白に叱られると逆らえない。まったく凄みはないのに、なんでなんだろうな。 笑い止む気配もない真白につられて、俺も笑っていた。 「いつか行けるといいですね」 「そのうち宇宙に住めるようになんのかな」 「火星とかですか?」 「まずはテラフォーミングからだろうけどな」 「私、火星行ってみたいです。阿近さんの星だから」 「じゃあ俺は金星」 昔、真白が俺の目の色を火星のようだと言ったことを思い出す。俺は真白の金眼を金星になぞらえた。まだ出会って間もない頃だ。 くすくすと笑いながら、「金星に人は住めないらしいですよ」と真白は言った。 金星の気温は鉛の塊をどろどろに溶かしてしまうほど高く、気圧は水深900mの深海と同じくらい高い。さらにはすさまじい強風が高速で循環し、日中は硫酸の厚い雲が太陽を隠す。ひとたび夜になると、地球の時間で100日以上も続く。 「…まるで地獄みたいな星だって、本で読みました」と、真白は続けた。 真白にそう言わせたことが、なぜだかどうしても許せなかった。 「…1番明るい星って何か知ってるか?」 「えーと…シリウスですか?」 「そうだな。シリウスはマイナス1.5等星で普通の一等星より6倍も明るい。しかも北半球から見える星としては地球にもっとも近い、8.6光年の距離にある。明るい上に近いからあんなに輝いて見える」 「阿近さんってなんでも知ってますよね」 「お前が言うか」 仕事に関係しないことでも、知識を蓄えずにはいられない。暇があれば常にありとあらゆる書物を読み耽り、真綿が水を吸うように飲み込んでいく。流魂街にいた頃は、本なんて触ったこともなかったから、とよく言っていた。つまりはその膨大な知識量をここ数年で得たと言うのだから、驚いてしまう。 「でも不正解だ」 「…?」 「正解はこれ」 少し長く目にかかる真白の前髪をそっと分ける。顕になった黄金色を抱く目の下を指先で撫でる。 「金星だ」 太陽が昇る前の東の空に明るく輝く星。『明けの明星』。 もっとも明るくなったときは、マイナス4.3等級。これはシリウスの16倍も明るいということだ。 「…知らなかった」 「この屋上、昔はよく来ていたんだ」 昔、遠い昔。まだなんの力もなくて、何を成すこともできなかった頃。平隊員で、滅茶苦茶弱くて、誰とも馴れ合わなかったし、誰も近づいて来なかった。局の中でも自分の納得いく仕事ができなくて、そんな自分に常に苛ついていて。出口の見えないトンネル、入口だってとっくに見失っていて。 「そんな頃、徹夜で仕事したあと、明け方たまたまこの屋上に上がったとき見たんだ。めちゃくちゃ明るい星」 その頃の俺は、星の美しさに感動するとかそんな感情持ち合わせてなかったし、自然の偉大さに打ちのめされたとか、そんなんじゃなくて、…ただ、なんか明るい星あるな、って感じで。 でも、しーんと張り詰めた冷たい空気の中で、そのすげー明るい星と、だんだん空が白んでいくのを、ずっと見ていた。幾日も、何度も。 「真っ暗闇の中を彷徨っているようだったんだ。でもその明るい星は、夜空の中で一際輝いていて、いつだって夜明けを連れてきてくれた」 俺ひとりがどれだけ暗闇の中に囚われていようとも、否が応でも夜明けはやってくる。そんな当たり前の事が今になって理解できる。 「俺にとって特別な星だったんだな」 漆黒の夜空は、東からだんだんと色を変えていく。濃紺から深い青、紫へと移り変わる紺青の色。そのグラデーションの中で一際輝く金色の明星。 「…綺麗です」 「そうだな」 そう思えるようになった。星を美しく感じ、他人を愛おしく感じる。 「あの金星で人は生きられない。でも、あの時俺は確かに、あの星に救われていた」 夜明けの色 明けない夜はないのだと君に伝えたい And that's all? 2024.8.27 |