「ここ、失礼しますよ」

真白が座っていた席に、自分のグラス片手にやってきた荻堂が座った。

「あんた真白にちょっかい出してるって?」
「まだ出してませんよ。鬼の彼氏が怖いので」
「あの子は、あんたには無理よ」
「そうかなぁ?」

私の言葉に答えたのは荻堂ではなく弓親だ。私と砕蜂の間、荻堂が座る一人分の席に、荻堂を押しやるように半ば強引に割り込んでくる。それに乗じてわざとらしく私の胸に倒れこんできた荻堂の頭を遠慮なく押し返した。「手厳しいなぁ乱菊さんは」と軽口をたたく男の柔らかな茶髪の頭をついでに殴ってやる。弓親が私の前に据えられた一升瓶を取り、私に差し出してきた。大きな盃にとくとくと注がれていく焼酎を見つめながら、弓親が言った。

「あの子、人慣れしてなさそうだし、悪い鬼に騙されてるんじゃないのかい?」
「擦り込みみたいなもんですかね」
「あの人嫌いのマッドサイエンティストのことだから、珍しい毛色の希少種に気まぐれに手を出して、飽きたら実験体にしてポイ、なんてね」
「想像に難くないですね」

二人の会話を聞きながら、そうなのだろうかと考えた。私はそうとは思えない。
きっとあの二人は離れない。これからもずっと。なぜだかそんな気がした。



* * * *

「俺は、局に戻るから」

私の部屋の前まで私を送ってきた阿近さんはそう言った。三席に昇格してから、阿近さんの業務はやっぱり増えた。今までも、三席業務はほとんど阿近さんが請け負っていたとはいっても、抱える案件の種類が増え、そのひとつひとつに負う責任も増した。

「私も手伝いますよ」
「もう帰ってきただろ」
「阿近さんも帰ると思ったから」
「今月働きすぎだぞ。部下の勤怠管理も三席の仕事だから」
「阿近さんなんて先月から休みなしで27連勤じゃないですか。直属の上司の健康管理は部下の仕事です」

ハイハイ、すみません、と苦笑いと共に“降参”とばかりに両手をあげる阿近さん。ふたりで元来た道を戻りながら、こんなことなら黙って戻ればよかったな、と阿近さんは独り言つ。でも私は、遠回りしたおかげで阿近さんと一緒に歩ける時間が伸びるのが実は嬉しい。
ふたり並んで歩いているとき、隣からこっそりと阿近さんを盗み見る。私の目線から見上げたときの阿近さんの顎のラインが好きだ。歩きながら咥えた煙草を挟む少し骨ばった指。私の歩幅に合わせてゆっくり歩くところ。人とすれ違う時うつむく私の肩をさり気なく引き寄せてくれるところ。
普段研究室にこもっている時とは少しだけ違う、些細な一瞬。その瞬間ひとつひとつが愛おしい。

「お前は本当に働きすぎだな」

機器から延々と吐き出される膨大な記録用紙を手繰り寄せている私に阿近さんが再びお小言。阿近さんはデスクに高く積まれた決済待ちの書類を一定のペースで1枚ずつ確実に崩している。この人は本当に自分のことを棚に上げて、と思いながら私も負けじと言い返す。

「阿近さんほどではないですよ」
「まぁ、俺のせいだな」
「なんでですか?」
「俺が悪い手本になっちまってるだろ」
「違いますよ。阿近さんのお仕事は、緻密で、的確で、練度が高くて、私もそうありたいんですよ」

追いつくことなんてとてもできない歴々と積み重ねられてきた経験の差。それでも近付きたい。おこがましくても構わない、この人の力になりたいのだ。

「十分できてるさ」

阿近さんは、山とあった書類の最後の一枚を処理済みの箱にひら、と入れながら言った。

「お前の仕事の手際も正確さも細やかさも、申し分ない」
「…そう、でしょうか」
「お前の型にとらわれない柔軟な発想とか、そういう部分、俺は不得手だから。いつも助かってる」

じわ、と視界が滲んでいくのを隠すように、記録用紙を手繰り寄せ、目線に持ち上げた。そんな風に思ってくれていたなんて、思いもしなくて。

「昔は危なっかしかったけどな」

笑いながらからかうように言う阿近さんの顔を、記録用紙を確認するふりをしながら盗み見る。
笑うとほんの少しだけ下がる目尻。ゆるやかな弧を描く薄い唇は左の方がわずかに上がりやすい。それに合わせて左目が少し細められ下瞼に皺が寄る。く、と喉の奥がくぐもるような笑い声。本当に限られた人にしか見せない、私の大好きな人の、大好きな笑顔。
頬を伝う一筋の涙は温かい。そんな涙もあるのだな、と知ることができたのも阿近さんのおかげで。堰を切ったようにあとからあとから温かい涙が零れ落ちる。握りしめた私の手の中でくしゃ、と皺になった紙を、いつの間にか目の前に立つ阿近さんが抜き取った。

「泣くことないだろう」

私の頬を親指で拭いながら、真っ直ぐに強く私を見つめるあなたの目に、私はどう映っているのだろう。
私は未だに自分の価値を見出だせなくて、自分を好きにはなれないけれど、あなたの目に映る私を、私も見てみたい。
自分を信じられない私はあなたのことだけを信じているから。あなたの中にいる私が私のすべてだから。あなたが私を誇ってくれるのなら、私は私のまま、生きていられると思った。





And that's all?
2024.1.18
(イメージソング SUPER BEAVER『証明』)



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