中3全中直前





虹とか、雲とか、地平線とか。
確かに見えているのにそこには何もなくて、距離があると見えるのに、近付くと何も見えなくなる。掴みたくて近付いたのに、掴むどころか姿を消してしまう。


空はどこまでも青いと思ってた。



校内の学生たちの賑やかな笑い声さえも、どこか遠い別の世界から聞こえるように感じるのは、俺がここを、二人だけの空間として認識しようとしているからなのだろうか。
最早習慣となった、黒子っちと二人きりの屋上で過ごす昼休み。特に何かするわけではない。普通に昼食を食べて、他愛ない話をしたり、はたまた何も話さなかったり。穏やかに流れるこの時間が、俺にとっての休息になっている。
持っていたパンが無くなり、所在なくなって黒子っちを見ると、彼はまだ弁当を食べていた。特に話すこともなく、昼特有の倦怠感に身を任せて仰向けに寝転がった。

「寝るんですか?」

彼の声さえもやわらかく耳に馴染み、微睡みに落ちそうになる意識を踏みとどまらせる。

「いや、寝ないっス」

寝そうっスけど。と言うと、彼は少し笑って弁当をしまい、本を取り出した。

「寝てもいいですよ。起こすかどうかはわかりませんけど」

冗談のような彼の言葉も、偶に本気だったりするので油断は出来ない。でも今回は多分、冗談だ。昼休み終了の五分前にはきっと起こしてくれる。

ふわりと、風に乗って何かわからない花の匂いがしたような気がした。甘くて、それでいてしつこさの無い香り。本を読む彼を重くなった目蓋を押し上げて見やると、真っ白な指が、真っ白な紙を静かに滑らかな動作でめくる。見上げた彼の細く美しい髪が、午後になって白んできた空に溶け込んだ。

彼は蜃気楼のようだ。ふわふわ、ふわふわ。目の前に居るかと思えば、物凄く遠くに居る。影の薄い彼は何処にいるのかわからない。

俺は、彼は此処に居ないと思っている。厳密に言えば、彼の意識が此処に無い。彼は此処に居るけれど、一番在るべき彼の意識が此処には無い。手を伸ばせば届く距離に居ても、俺の手は彼に触れることを恐れている。彼の腕に手を伸ばして、もし掴めなかったら、本当に彼が其処に居ないことを認識せざるを得なくなる。俺はそれを認めることを恐れているのだ。


くろこっち


呼んだ声はおそらく声と言うにはずっと弱々しく、空を飛ぶ小鳥の囀りなんかよりもはるかに小さかった、と思う。
しかし彼の耳には届いてしまっていたようだった。静かに振り返った彼は、空と同じ色の瞳で真っ直ぐに俺を見た。


くろこっち


言いたいことがあるような、ないような。俺の思考は最早この不思議な空間に当てられてろくに働かない。二人で居るのに俺は一人だ。彼の名を呼ぶことしか出来ない。


くろこっち


彼は黙ったまま寝転がる俺を覗き込む。その表情は穏やかなのに、俺の知らない顔だった。最近の彼はよく、俺の知らない顔をする。美しい微笑が、彼独特の高潔さと柔らかさだけでなく、どこか空々しさや空虚感を含んでいて俺は畏怖した。
手を伸ばしても、触れる寸前で止まる。俺の視界に広がるのは、どこまでも澄んだ空と、同じ色をした彼。彼が空に馴染み過ぎて、思考の鈍った俺は彼と空の境界が認識できなくなりそうだった。
届くのに届かない俺の手は宙を彷徨い、地に落ちる。彼は何も言わず、ただただ俺を見つめるばかりだ。彼の存在を確かめたいのに、確かめたくない。ぐるぐる廻っているようでいて、全く働かない思考。もう何も考えられない。俺は目を閉じた。何も見えないこの視界の中は確実に孤独だけれど、居るか居ないかわからない彼を見続けて困憊するよりきっと良い。視覚情報を遮断した俺の敏感な身体は、さっきまで全く気にならなかった雑音や湿度を繊細に感じ取った。そんな風に鋭くなった視覚以外の感覚器官をフルに働かせてみても、彼の存在は感じ取ることが出来ない。
最初から彼は、此処に居なかったのかもしれない。

全部夢ならば。目覚めて、彼を知らない俺が、彼の居ない世界で生きているなら。こんな風に不安になることもないのに。


完全に孤独に堕ちた俺の、何にも触れられない指に、突然重なる、俺より少し高い体温。それはゆっくりと絡み、きゅっと俺の手を握る。


きせくん


ふわりと降り注いだ吐息に身体が硬直したが、それもほんの一瞬で解けた。闇に慣れた視界に再び光を取り入れるのは少々躊躇われたが、頬をゆるりと撫でられて、そうするしかなかった。
徐々に開く視界に映る空の色。光を調整した俺の目が像を結ぶ。彼の、像を。


俺の目が俺を捉える彼の目を捉えた。頬に触れていたのは紛れもなく彼の手で、俺の指に絡んでいるのもやはり彼の指だった。一見陶器のような、真っ白な彼の肌は見た目ほど冷たくはない。寧ろ、畏怖する俺の冷め切った身体なんかよりずっと暖かい。

…触れている。彼に。
空いた方の手を彼に伸ばせば、頬にあった手が離れ、優しく抱きすくめられた。重なった心拍がどちらのものかわからなくてまた不安になったから、伸ばしていた手を彼の背に回した。


「くろこっち」

「はい」


「ここにいる?」


「…いますよ」


少し間を空けて返した彼は、さっきより強く抱き締めてくれたけれど、それは俺の不安を煽るばかりだった。


いなくならないで


掠れた声だった。しかしすぐ近くにある彼の耳に確実に聞こえるように出した、最低限にして限界の声だった。
彼の手は俺の髪を梳き、頬を滑る。
唇に触れる温かなものが、彼の存在をこれでもかと言うほど伝えてきた。彼しか見えない。彼しか感じない。それは甘美で幸福なようでいて、闇の中の孤独なんかよりずっと恐ろししい感覚だった。


何かがこめかみを伝っても、彼は何も言わなかった。





end

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全中終わったら黒子っちは姿を消すんですよね。


20120812




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