いつも通り朝練に向かうべく、ほかの生徒たちより少し早めに家を出た。もっと早めに出ることもできるのだけれど、この時間に出ると必ず、彼と会うから。

そろそろだ。この辺りでいつも彼は僕を呼んで抱きつこうとしてくる。そして僕はそれを避ける。だって彼は一度抱きつくとなかなか離れてくれないから、歩けなくなってしまうのだ。あまりゆっくりしていたら朝練に遅れてしまう。
それにしても、今日は遅い。僕はいつもなら彼と二人で曲がる角を既に曲がりきっていた。
彼のことだから、寝坊でもしたのだろう。赤司くんに怒られてペナルティを受ける彼が容易に想像出来る。

そんなことを考えていたら突然背後から強い衝撃を受け、バランスを崩した。なんとか転ばずに体勢を立て直した僕の首に回る腕を目視した瞬間、やられた、と思った。


「……おはようございます、黄瀬くん」


溜め息をついて後ろを振り向くと、それはそれは爽やかな笑顔の黄瀬くんがそこにいた。
今日は僕に気付かれないように声を掛けなかったようだ。満足気な笑顔を見ると彼の思惑に引っ掛かったのが無性に悔しく思われる。しかし未だににこにこしているだけの黄瀬くんに何だか違和感を感じる。


「黄瀬くん…もしかして、」


黄瀬くんははっとしたように携帯を取り出し、少々操作してから眉を下げて苦笑いしながらその画面を僕に見せた。





『声出なくなったっス』






学校に着いてチームのみんなに黄瀬くんの状況を説明すると、青峰くんと緑間くんはやはり至極嬉しそうに、赤司くんは終始呆れ顔で話を聞いていた。紫原くんに至ってはただ無言でお菓子を食べ続けているため、話を聞いているかすら定かではない。今までにも何度か同じことがあったため、みんな既に慣れてしまっているのだ。

「お前また風邪かよ。馬鹿なのになー」

「人事を尽くさないからそうなるのだよ」

喋れないのを良いことに言いたい放題の二人に黄瀬くんは物凄く不満そうな表情と不機嫌なオーラで対抗するも、二人が動じる様子はない。

「黄瀬ちん飴あげるー」

一応話を聞いていたらしい紫原くんに飴を貰い、感謝の意を言葉の代わりにいつもの笑顔で伝える黄瀬くん。黄瀬くんは言葉もストレートだが、表情も豊かなので大体表情から彼の言わんとしていることは読み取れる。バスケに関しても、アイコンタクトで充分問題無くプレイ出来るため心配は無い。必要に迫られたときには携帯のメール作成画面で伝えることができる。本当に、ちょっと静かになって丁度良いという感じなのだ。黄瀬くんにとっては少しもどかしく感じるようだが、周りにとっては何ら影響は無かった。




特に困ることも無く一日が終わり、いつも通り二人で帰路についた。しかし今日は隣の黄瀬くんが一言も話せないため、僕たちの間には当然何の会話も無い。僕は別にこの沈黙を不快だとは思わないため一向に構わないのだが、きっと黄瀬くんは話したいことが沢山あるのだろう。ちらりと黄瀬くんを見やると、やはり眉を寄せていた。話したいけれど声が出ないし、でもだからといってわざわざ携帯で文章にしてまで話すような内容ではないから、歯痒くて仕方無いといったところだろう。本当に分かり易い人だと思う。




「では、また明日」


結局分かれ道まで一言も話すことはなかった。僕が別れを告げると黄瀬くんはやっぱり寂しそうな顔をして、でも今日はそれがいつにも増して不安感を帯びていたから僕は彼を安心させるために言葉をかけた。


「どうせニ三日で治るんですからそんな顔しないでください。治ったら、いくらでも話くらい聞いてあげますから」


そう言えば単純な黄瀬くんは俯いていた顔をぱっと上げて目を輝かせ、何度も頷いた。そして彼は挨拶の代わりにいつも以上に凄い勢いで手を振って帰って行った。





次の日黄瀬くんはのど飴を買ってきた。その次の日からはマスクを着用するようになった。更に次の日にはうがい薬を持参するようになった。


しかし一向に黄瀬くんの形の良い唇から声が発せられることはなかった。




→3

20120625




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