もう何日経ったのか、途中で数えるのをやめてしまった。
体を蝕むくらいに鳴っていた腹は、もう音すら出なくなっている。
目が覚めて、刀を打ちつけ、疲れ果てて眠る。
その繰り返しの中で体がどんどん死に向かっているのをジタンは感じ取っていた。

ぽっかり穴の周りは大分削れていたが、それでもまだ足りなかった。
あと少しのはずなのに、どれだけ腕を振り上げても終わりが来ない。
休んでしまいたい。ジタンは憔悴していた。

極度の飢餓と疲労は精神をも蝕み、ジタンは大声で泣き出しそうになったことが何度もあった。
だが、眠り続けるクジャを見ていると、何とか心に産まれた魔物を抑えつけることができる。

クジャは殆ど目覚めない。
日中と、夜と、少しだけ起きてジタンと話をするだけだ。
それでもクジャは、下手をすればジタン以上に弱っていった。

早くしなければ。
焦る気持ちとは裏腹に、ぽっかり穴はどんどん口を閉じていく気さえした。
ジタンはあの歌を、歌い続けていた。
帰りたい。帰りたい。会いたい。


「…せやっ!」


何百回めか、何千回目かもわからない打撃を繰り出す。
疲労のために狙いがずれる。膝が笑う。
かくん、と力が抜けるのがわかったが、それでも構わずに刃を突き立てた。

ぱきっ

驚くくらい軽い音を立てて、盗賊刀の刃が折れた。
最強と謳われた盗賊刀が。
ジタンはそのまま足元に崩折れた。
頬が擦れて、ずり、と皮が剥けた感覚があった。
血が出ているのかもしれない。鼻の奥が鉄臭い。
だがジタンは痛みを感じていなかった。
もう何も感じなかった。




どれほどぼんやりとしていただろう。
その間、ジタンは意識を失ってはいなかった。
あの歌がジタンの頭の中でずっと響いて、もう眠ろうとする意識を押し留めていた。

帰りたい。
指先がぴくりと動く。
まだ動ける。

そう思ったとき、真っ白になっていた視界に色が戻ってきた。
頬がじくじくと痛む。
だがそれよりも、ジタンの意識は耳に届くあの歌でいっぱいだった。
確かに聴こえてくる。
ジタンは指先に力を込めた。


「ク…ジャ…?」

「ようやく…起きたかい。お寝坊さん」

「………歌……」

「君がずっと、歌っているから。覚えてしまったよ…」


クジャがふ、と息だけで笑ったのが聞こえた。


「帰るんだろう?」


ジタンはゆっくりと、地に腕をつく。力を込める。
起き上がれる。


「…ああ!」


ぼろぼろになった盗賊刀の穂先を見やる。
刃は半ばからぽきりと折れている。
だが、折れていてもまだ刃は残っている。
ジタンはふらつく足を何とか踏ん張りながら、腕を振り上げた。

瞬間、体に電撃のような何かが走る。
これは力だ。ジタンはこの感覚を知っている。
全身が総毛立ち、視界すら発光に包まれた。

目標は定まっていた。外さない。
ジタンが力の限りに盗賊刀を打ちつけたとき、ぼこっ、と壁が歪んだ。
確かな手応えがあった。

ジタンの目が捉えた先で、ぽっかり穴は口が裂けたようにその幅を広げていた。


「クジャ!」


振り返ると、クジャはまた眠りに落ちたのか浅い息を繰り返すだけだった。
ジタンは胸元で拳を握る。
何故トランスができたのかはわからない。
だが、まだ動ける。それだけで充分だった。


「助かったぜ、相棒」


欠けた盗賊刀に一声くれると、ジタンは口裂け穴を飛び降りる。
砕けた欠片が肌を裂いたが、構わなかった。




どのくらいぶりか、大地に足を着いて愕然とした。
長い間霧に覆われていたためか、周辺には生き物の育った形跡が見えない。
早くクジャに何か食べるものを持っていかなきゃならないのに。
ジタンは歯噛みした。

だが、逡巡している時間はない
ジタンは周囲を見渡した。
イーファの樹も植物だ。
もしかしたら実が成っているかもしれない。

根に近付くときは心臓が痛むくらい恐ろしかったが、霧のすっかり失せた今、根は機能を停止しているようだった。
根を葉をかき分けると、細い根の集まった向こうにまだ青いながらも果実らしきものを見つけた。
イーファの樹の実なのか、それとも根の強さに頼るように他の植物が寄生したのかはわからない。
ジタンはできるだけ多くもいで、両腕に抱えて走った。







「クジャ、クジャ!」


自分を呼ぶ声に、クジャはうっすらと意識を浮上させる。
重い瞼を何とか持ち上げると、ジタンが覗き込んでいる。


「この実、食えるか?」


ジタンが両腕いっぱいに抱えている実は、クジャが昔口にしたことがあるものだった。
僅かに動く首で何とか頷いてみせると、ジタンは泣きそうなくらいほっとした顔をする。

よくやったね。頑張ったね。
そう言って頭を撫でてやりたかったが、腕が動きそうにない。
クジャは息を押し出すようにして、喉を開いた。


「…もう、いいよ」


いいって、何が。
ジタンが困惑した顔を見せる。
クジャは努めて微笑もうとした。


「行くんだ、君を待つ、人の…ところへ」


僕を残して。
言外にそう付け足す。
クジャは、置いて行かれることよりもジタンを道連れにする方が怖かった。
助けに来てくれた、それだけでもう充分だ。


「…ふざけるな」

「わからない子だねえ…」

「わかってたまるか!」


ジタンが片方の腕で、半ば頭を抱えるように掻きむしる。
クジャはゆるゆると息を吐いた。
体の中の毒素が抜けるように、幾分楽になる。


「お姫さまを待たせて、怒らせても知らないよ」

「あいつはそんな度量の狭い女じゃねえよ」


言い切るジタンの真っ直ぐさが、クジャには嬉しかった。
ジタンはクジャのそんな様子が余計嫌なようだ。
手に持った青い実の、幾分熟した赤い方にやけくそのようにかじり付いたのと、クジャがああ!と声を上げたのはほぼ同時だった。


「どうし……、………!!」

「その実は熟すと辛くなるんだよ。青い部分は甘いんだけどね」

「…もっ、…早、…言っ……」

「君が人の話を…ふふ」


不意に笑いが込み上げてくる。
一度笑い出すともう駄目だった。
萎えた体は笑うだけで痛んだが、クジャは声を上げて笑った。


「はは、あははは、ははっ!」

「…クジャ、笑いすぎ…」

「は、はっ…はは、う、っく…う……」


頬を温かいものが伝うのを感じながら、クジャは笑った。
ジタンは少し遠くの方を見ながら、果実に歯を立てた。
しゃり、と澄んだ音がした。







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