エドガーの部屋の戸をノックすると、思いのほか大きな音が響いてマッシュは慌てて握った拳を開く。
この城に帰ってきて暫く経つけれど、全てが細々して脆いものに感じる。
王族としての立ち振る舞いなんてとうに忘れてしまったのだ。
小さな頃に散々ばあやに躾られた食事の作法だけは抜けなかったけれど。

どうぞ、と笑いを含んだ声が中から聞こえてマッシュは扉を開ける。


「おまえな、道場破りじゃあないんだから」

「わかってるよ」


頭を掻きながら傍へ寄ると、エドガー手ずからグラスを取り、水差しから注いで手渡してくれる。
マッシュはそれを受け取って一気に飲み干すと、ぷはあ、と息を吐いた。
エドガーが笑う。


「それで?どうだった、サマサの視察は」

「あとで文書にまとめるけど、とりあえず復興はかなり進んでたよ。人手は足りないみたいだけど、活気が戻ってきてた」


マッシュはフィガロに戻ってから、半ば国王補佐、半ば外交官のような立場にいた。
国政に携わりながらも外の世界に触れられるよう、とのエドガーの配慮だった。
全てが終わったら、残りの生涯でエドガーを支え続けようと心に決めていたマッシュには有り難くも心苦しいことである。
また自分ばかりが自由を得ている。
そう言うとエドガーは、戻ってきてくれた。それだけで充分だとやはり笑った。

だが今はそれを考えているときではない。
マッシュは用事があってここに来たのだった。
いつかの服装とは全く違う、装飾を押さえながらも仕立ての良い上着の内ポケットを探る。
ちゃり、と涼やかな音がしてマッシュの手のひらに乗ったのは淡い色が光の加減で反射する髪飾りだった。
エドガーが少し目を見開く。


「まさか突っ返してくるとは…」

「髪飾りじゃ腹は膨れないから物資を頼むよ、だってさ」


小憎たらしい言い分をそのまま伝え、エドガーの手の中に髪飾りを収めると、その上に盛大な溜め息がかかった。


「誕生日だったんだから、素直に受け取ってくれればいいのに…」

「兄貴…いい加減にしたらどうだ。リルムが幾つだと思ってるんだよ?」

「わかってないな、マッシュ。女性は年齢に関係なく、皆レディなんだよ」


チッチッ、と顔の前で人差し指を振るエドガーに、今度はマッシュが溜め息を吐いた。
尊敬している兄の、唯一悪い癖だ。
マッシュが城で暮らしている頃からその気はあったが、長い年月を経て再会したときには治るどころか悪化していた。


「…それに、あと五年も経てば何も問題はない」

「そのとき兄貴は何歳だ」


低い声で言うと、ひどいなあとエドガーが苦笑した。
マッシュ自身、少し冷たい態度だとは思う。
だが一国の王が、いつまでも身を固めずふらふらと、しかも年端もいかない少女に目をかけているとなれば人聞きの悪いことこの上ない。
世継ぎのことも考えなければならない年齢にあればこそ、さっさといい人を見付けて欲しいのだった。

そう考えてマッシュはふん、と腹に力を入れた。
しかし、聞こえのいい理由の奥に、本音は別にあった。
サマサの少女の言を思い出す。


『ねえ、筋肉ダルマ!』

『お前な、一応俺は外交官として視察に来てるんだぞ』

『いいからいいから。これ、返しといてよ』

『…髪飾り?』

『あんたんとこの色男が送ってきたの』

『……兄貴…』

『ロニお坊ちゃんにさ、伝えといて。髪飾りじゃ腹は…


「マッシュ?」


少しぼうっとしていたらしい。
エドガーに顔を覗かれてびくりとしたが、すぐに何でもないと返す。

別に、隠し名だとかそんなものではない。
それこそフィガロでは国中の人間が二人のフルネームを知っているし、正式な文書などではそう名乗る。
だが、人前でそうやって呼ばれることはない。
亡き母だけが、二人を呼ぶときにその名を使った。
いつしか二人きりのときにだけこっそりと呼ぶ、信頼を示す暗号のようになっていた。
いや、少なくともマッシュはそう感じていた。

だからリルムの口からその名が出たとき、マッシュは思い切り変な顔をしてしまった。
大事な秘密をばらされたような気分だった。

マッシュは首を振る。
いい人を見付けて欲しいと言ったそばからこのざまだ。
自分がどれだけ兄離れできていないのか否が応にも思い知る。
普段べたべたと甘やかしているのはエドガーの方だったが、その実マッシュも心の底では相当に依存している。気付いていた。


「マッシュ、俺はな」


エドガーの声に、はっと顔を上げる。
エドガーはマッシュを見つめたまま、微笑んでいた。


「この国を、フィガロを愛している。レディたちににかまけているのは事実だが、一番の恋人はこの国だ」


マッシュは返す言葉が見つからず、ただこくりと頷く。
それを見届けてからエドガーは続けた。


「何よりも優先するのは国だ。自身のことより、いつか伴侶となる人のことよりもフィガロを守ることを選ぶだろう。そしてその次が」

「世界のレディたち、か?」

「おまえだよ。レネ」


真っ直ぐに、柔らかく微笑む。
マッシュは何も言えなかった。
耳が妙に熱くなって顔を反らすと、エドガーがくすくすと笑う。


「…わらうな」

「おまえはどうなんだ?」


これ以上恥ずかしがらせてどうすると言うのだ。
もう部屋から飛び出したかったが、逃がしてくれるはずもないだろう。
マッシュは腹を括ってエドガーを見据え、笑ってやった。


「俺もだよ、ロニ」








母の影響もあってミドルネーム呼びは絶対してる筈。
でもエドガーがマッシュをマシアスって呼ぶところが見たい。とても見たい。




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