「カイン!」


名を呼ばれ振り返ると、親友が手招きしていた。
傍らにはいつものように、彼の恋人が控えている。
目映いばかりの笑顔に、カインは目を細めた。


「ローザがね、美味しいお茶を頂いたんだって。今からお茶にしようと思って」


カインもどう?とにこやかに笑むセシルに曖昧な返事を返しながら、ローザを見やる。
穏やかな微笑みに胸が温まる思いがする。
しかし長い付き合い故、もしくは恋う想い故か。ローザの微笑みの裏にどんな感情が隠れているのか、瞬時に察することが出来てしまうのだ。


「いいや、俺は遠慮しておくよ」

「どうして。久し振りに三人で、ゆっくり話そうよ」

「そうよ、カイン。寂しいこと言わないで」


両側から挟まれて、カインは眉尻を下げる。
渋々、といった風に頷くと、セシルの顔が日を射したようにぱぁっと輝く。


「何がそんなに嬉しいんだ」

「そりゃあ嬉しいよ。最近三人で一緒にいることなんて出来なかったじゃないか」

「そうと決まれば、行きましょう!」


ローザに腕を引かれ、セシルに背を押され、あれよあれよという間に、カインはお茶の席に着いていた。
よく蒸らされた茶葉から香りが漂い、部屋中が甘い匂いで充満する。


「もう少し待ってね。風味が逃げないように、このちょっとの時間が大事なのよ」

「任せたよ。ローザの淹れてくれるお茶は美味しいからね。」


微笑みあいながら、優雅とも言える手付きでポットからカップへと注ぐ。
どうぞ、とソーサーを薦められ、早速一口含む。


「へえ、美味いもんだ」

「だろう?良かったね、ローザ」

「カインに褒められると、何だか照れくさいわ。お世辞じゃないでしょうね?」

「まさか。本当に美味いよ。昔とは大違いだ」


その言葉に、セシルとローザの眉がぴくりと動く。
ローザは吊り上がり気味に、セシルは面白そうに弧を描いて。


「気になるな。聞かせてよ」

「ちょ、ちょっと、セシル!」

「ローザは昔からお茶を淹れるのが好きだったんだが、どうにもな…苦すぎたり、薄すぎたり。極めつけに、砂糖と塩を間違えるんだ」

「ぶはっ!」

「せ、セシル…笑い過ぎよ!」


ローザは顔を背けて肩を震わせているセシルを少し揺さぶると、カインの方をきっと睨み付けた。
カインは悪びれず、肩をすくめる。


「嘘は言っちゃいないぜ」

「ええそうね、でもカイン、あなたも悪いのよ!」

「俺が?」

「そう。だってあなた、いつも飲み干してくれたじゃない。美味しいよって言ってくれて、だから私、」

「調子に乗っちゃったんだ?」

「もう!セシル!」


目尻に涙まで浮かべて笑い転げるセシルを、ローザがポカポカとやわく叩く。
それを横目に、カインはもう一口、紅茶を口にする。
本当に美味しくなった。


「あ、そうだ。お茶請けに良さそうなお菓子があったんだ。取ってくるよ」

「そう言って逃げる気でしょう」

「そんなことないよ!すぐ戻る」

「もし戻って来なかったら、後でひどいわよ」


小走りに去る背中に、全くもう、と溜め息を吐いてみせるその顔は、愛しげに笑んでいた。


「すまなかったな」

「何が?」

「セシルとの二人きりの時間を邪魔して」


げほ!とローザが咽せる。
何をやってるんだ、とハンカチを渡すと、口元を拭いながら小さく、ごめんなさい、と返ってきた。


「…どうしてわかったの」

「そりゃあわかるさ。顔を見てればな」

「うそ…私そんなひどい顔してた?セシルにもバレてたのかしら」

「いいや、わかるのは俺くらいだろう。心配するな」

「…どうしてカインには、昔から全部わかっちゃうのかしら…」


しょんぼりと俯くローザを見詰める。
こうして、昔からずっと見てきたからだ。
笑った顔も泣いた顔も怒った顔も。初めて虚勢を張ったときも、感情を抑える術を身に付けたときも、ずっと傍で見てきた。
これからも見て行くのだろう、と思う。
内に秘めた想いを抱えたままで。


「それにしても、ローザ。俺だからいいが、セシルを責めてやるなよ」

「え?」

「セシルも忙しい身だ、二人の時間が取れないことも多くなるだろう。だが、セシルは…」

「わかっているわ。大丈夫」

「なら、いい」


表情こそ柔らかかったが、瞳には強く意志が通っている。
カインは心から安堵した。
ローザは強い女だ。それはカイン自身がよく知っていた。

しかしローザは目を伏せると、ぽつりぽつり零した。


「待つのはいいの。あの人が帰ってきたときに、安らげる場所になりたいから。でも」


一呼吸分言葉を区切って、ローザはカインを見据えた。


「あなただから言うのよ。カイン、私妬いてるの」

「…赤い翼に?」

「違うわ。あなたによ」


カインは目をぱちくりさせた。
だが、ローザの瞳は真剣そのものだった。


「あなたは、セシルと肩を並べて戦える。支えになるんじゃなくて、あの人を助けることができる…」

「ローザ、それは違う」

「違わないわ。知ってる?セシルはね、あなたのことを話すときすごく嬉しそうなの。二人でいるときもあなたの話をするのよ。カインが成果を上げたとか、陛下の覚えが良かったとか。まるで自分のことみたいに…ううん、自分のこと以上に輝いた瞳で」


ずるいわ。
そう言ってまた俯いてしまったローザを、カインは微笑ましげに、それでいてどこか苦々しい気持ちで見詰めた。

彼女は知らない。
セシルが遠征先でローザの託した指輪に口付けている姿を。
からかうと真っ赤になりながら、それでも幸せそうな微笑みで、宝物のように大事にローザのことを話すセシルを。


「気に病むことじゃないと思うがな」

「もう、他人事だと思って」


頬を膨らせるローザに笑いながら、カインは独りごちる。
ローザはセシルの手前、本来在る以上に落ち着きを見せようとする。
こういった子ども染みた表情はカインの前でしかしない。
ローザがカインの前でだけ、幼い心を思い出せるというのなら、それだけで良かった。

さて、とカインはカップを空けると席を立った。


「カイン?」

「俺はそろそろおいとまするさ。セシルには、竜騎士団の方で呼び出されたとでも言っておいてくれ」

「やだ、カイン。私の言ったこと、気にしなくていいのよ。あんなこと言ったけど、私カインのこと大好きなのよ」

「いや。ただ単に俺が、恋人同士の間に入るなんて野暮な真似をしたくないだけさ」


軽くおどけてみせると、ローザは少し頬を染めて、頷いた。


「今度また、三人でお茶しましょうね。絶対よ!」


背中にかかった声には、振り向かずに片手を挙げるだけにした。







「あれ、カインどうしたの」


廊下の角を曲がろうとした丁度そのとき、セシルと鉢合わせてしまった。
今日の自分はつくづく間が悪いらしい。


「いやなに、竜騎士の新兵が聞きたいことがあるらしくてな。呼び出されてしまった」

「ええ!折角お菓子、持って来たのに」


しょんぼりと俯いてしまったその姿は、先程のローザといやに似通っていて、似た者カップルかと苦笑する。
またその内な、と詫びるとこくりと頷いた。
そうして顔を上げ、カインを見詰めた。
「すまないね」


カインはセシルを見詰め返す。
その顔には苦笑に近いものが浮かんでいて、カインも同じような表情になる。
どうやら小細工は無駄だったようだ。


「どうして、三人で居られないのかな」


ぼくはローザのことも、カインのことも大事なんだ。
そう呟いたセシルを、カインはもやもやした気持ちで受け止める。
ローザの心の中心に居ながら、それはただの我が侭か、そうでなければ偽善にしか思えなかった。


「俺たちも大人なんだ。いつまでも仲良しごっこじゃいられないだろう」


言葉に棘があるのは自覚していた。
セシルの眉が寄せられたのを見て、もしかして殴られるか、と危ぶむ。
だが、唯一無二の親友に対してこんな言い草をする自分を、いっそのこと殴って欲しかった。

セシルは悲しそうに眉を下げ、ひどいな、と言っただけだった。
投げっぱなしになってしまった悪意の行き場に困り、カインも目を逸らす。


「あぁ、そうだ」


セシルは手に持っていた袋の口を緩めると、中を探る。


「これ、クッキーなんだけどね。本当に美味しいんだ。一つ食べていきなよ」

「ここでか?」


呆れたように言うも、菓子は既にカインの口元まで運ばれていた。
こうなったらセシルはよっぽどのことでもない限り諦めない。
誰か通りかかる前に済ませてしまうのが得策か。
カインは溜め息一つ吐いて、クッキーにかじりついた。

ハーブの香りが鼻腔をくすぐったのとほぼ同時に、視界がなくなる。
セシルの掌に遮られているのだと、そう気付いたときにはクッキー越しに柔らかいものが触れたのを感じていた。
足元がよろけて数歩ほど後ろに下がったが、すぐに壁に阻まれた。

口の中で、クッキーが水分を吸って溶けていく。
すると次は舌が口内を満たし、蠢く。
舌を絡め取られ、息苦しさに喘いでも、合わさる唇が逸らされる様子はなかった。

余りの苦しさに耐えられなくなり、カインがどろどろのクッキーを何とか飲み下すと、舌はするりと出ていった。
最後にカインの唇をぺろりと舐めたが、それはクッキーの食べ滓を拭っただけですぐに離れる。


「お前が、ぼくのことが好きなら良かったのに」


掌が離れても、暫く目を開けることが出来なかった。
漸くカインが睫毛を震わせたときには、傍にはもう誰も居なかった。

ハーブを混ぜ込んだ、甘さを控えたクッキーは、あのお茶によく合うだろう。
唇を手の甲で覆うと、まだそこはしっとりと濡れていた。






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