空は快晴。風は凪いでいる。
指針を誤ることもない、飛空艇乗りにとって最も舵を取りやすい天候である。

そしてファルコンの挺頭は西へ向き、燃料切れのため今不時着したところだった。


動力を落とし、プロペラが回転を終えるキュルキュルという音を耳にして、やっとセシルは舵から手を離した。

甲板に揃った面々を一人一人確かめて、それからセシルはおずおずと頭を下げた。


「…すまない。まさかこんなことになるなんて」

「ち、違う!セシルのせいじゃないわ、あたしが我が儘言ったから…」


謝罪の言葉を述べるセシルと、それを遮って庇うリディア。
まま見られる光景ではある。
常と違う点と言えば、周りからのフォローが入らないことだ。

それも致し方ないことだと、エッジは一同に倣って無言を貫きつつ考える。
何せ今回ばかりはフォローのしようがない。


事の起こりは空の上。
揺れもなく穏やかな航路の中、セシルが不意に呟いた一言が始まりだった。









「今日は操縦がし易いな」


誰に向けた言葉でもないようだったので、エッジは返事はせずにちらとセシルに視線を向けるだけに留めた。
そのまま眼下に広がる景色に目を向けようとしたが、ちらと視界の端に映ったものが妙な動きをしていたので、ついそのまま眺める。

もじもじともうずうずとも言い難い動きをしている、リディアはその妙な動きの締めに盛大に手を挙げた。
ハイッ!という元気な声と共に。


「あたし!飛空艇の操縦やってみたいっ」


また妙なことを。
エッジはわざと、聞こえるように溜め息を吐く。


「ばーか。無理に決まってんだろ、おめーなんかによ」

「何よ、エッジは関係ないでしょっ」

「大アリだ。墜落したらどうすんだ」


む、と口を結んだリディアにセシルが微笑みかける。


「大丈夫だよ。この天候なら舵から手を離したってそう問題はないし」


片手で舵を操りながら、おいで、と手招きをする。
言われるがままにリディアがセシルの傍に立つと、リディアを後ろから抱きかかえるようにして両手で舵を取る。
リディアが手を添えるだけの舵取りに挑戦し始めたのを見て、セシルはエッジに笑いかける。


「これならエッジも文句ないだろ」


別の方向で大アリだ。
思ったが、思うだけに留めてひらひらと手を振ってみせる。

まただ。
セシルとリディアが盛大にいちゃこくのは今に始まったことではない。
無論、本人たちにいちゃこいているという自覚があるわけではないのだが。

聞いた話に寄ると、セシルたちとリディアが出会ったとき、リディアはまだほんの子どもだったらしい。
それがこちらとは違った時間の流れを持つ世界で過ごして、いきなり大人になってやってきたというのだ。
俄かには信じ難いが、実際にその世界とやらにも行ったことがあるわけで、疑うべくもない。

確かにリディアは見目の姿から思うよりも幼い面がある。
人の間で育っていないが故の純粋さなのだろうが、しかし。

エッジが出会ったときには既にリディアは成熟した姿だった為、幼子の如く接するには抵抗がある。
だから、セシルとリディアの甘やかし甘やかされの関係はどう見てもバカップルのそれにしか見えないのだ。
だと言うのに、旅を共にする他の仲間たちも皆幼い頃のリディアを見ている所為なのか、二人の関係は只々微笑ましいものとしか映らないらしい。
それがむず痒い。
と言うよりか、端的に言ってしまえば気に喰わない。


悶々と考え込むエッジを余所に、リディアは風の掴み方を次第に心得てきたようだ。
セシルが舵から手を離すと、やだやだ、と焦った声を上げたがそれも僅かのこと、差したるぐらつきもなく飛空艇は進路を違わず進んでいる。


「どうだい?空を駆けるのは」

「…まだちょっと怖いけど、うん、気持ちいい」

「そうか」


セシルの返事は短いものだったが、声からも喜々としたものが滲み出ている。

それもそうかとエッジはセシルの弛んだ顔を眺め思う。
軍事活動とは言え、仮にも飛空艇乗りを目指した者が空が好きではないわけがない。
理解者を得た喜びと、妹のように可愛がっている子が後追いをしてくる喜びが綯い交ぜになって、そりゃもう嬉しいのだろう。
だが顔が弛みすぎだ。

常ならきりと引き締まった凛々しい表情がこうまで弛むのを見てきたのなら、過保護とも思えるかの幼馴染みたちの存在も頷ける。
エッジは溜め息を一つ吐くと、揺れのない空旅に意識を預けた。




そうこうしている間に、リディアは操縦のいろはも粗方掴んできたようだった。
セシルの指示に沿って旋回を繰り返しては、思い通りに艇が動くことに大はしゃぎしている。

こうして見れば、そこいらの年頃の娘と何も変わらない。
闘いの絶えない世界には置いておきたくない、というのはエッジのエゴなのだろう。
皆が皆、自身の決意で以て旅を続けている。


「…わかっちゃいるが」


ぽつりと呟いて、操縦桿の方を盗み見る。
くそっ。可愛い。
手摺りに突っ伏すと、ごちんと額に鈍い痛みが走った。


「―――セシル」


踵が木の床を鳴らす音に遅れて、ぎい、ばたん、と鉄製の扉が閉まる音が風の向こうに聞こえる。
甲板の奥、船室への入り口。更にその裏手にある、動力室から上がって来たのはカインだ。

飛空艇の燃料の補充は誰の役割と決まっているわけではない。
決まっていないからこそ、他の誰かが動く前にカインが動力室へと下りていくことが多く、今となっては半ばカインの仕事となっていた。


「使い差しの燃料が空になった。予備は…」


言いかけて、リディアが舵を取る姿を目にして僅かに口上が止まる。
驚いたのだろう、軽く開いたままの口を、しかしすぐさま閉じるとセシルに向き直る。


「…軽く探したが、見付からん。どこにある」

「ああ、すまない。この間、物資を仕入れたときに奥にやってしまったのかな」

「ならばもう一度見てみるか」

「いや、いいよ。ぼくが行く。カインはリディアに付いてあげてくれ」


カインが軽く肩を竦めたのを返事と取り、セシルは動力室へと消えて行った。
今まで傍らにあった指導者が居なくなってしまったことで、リディアの体に自然と力が入る。

カインは僅かに操縦桿へと歩み寄ると、俄かに口を開いた。


「…まさか」

「えっ!?な、なあに?」


話し掛けられるなどとは思っていなかったのか、過剰な反応を返すリディアにカインは口元を弛ませた。


「いや。まさか操縦をしているとは思わなかった。やけに旋回が多いとは感じていたが」

「ごめんね。いつもより揺れて、心配じゃなかった?」

「巧いものだ。セシルより素質があるかも知れん。どうだ、落ち着いたらバロン軍に籍を置いてみるのは」

「ふふ。カインも冗談なんて言うんだ」


カインは再度、肩を竦めるだけの返答をする。
談笑と言って差し支えない会話の後、エッジから見てもリディアの緊張は解けたようだった。


「遅いな」

「セシルのこと?暫く補給をしてきてくれるんじゃないかな。あそこ、蒸すでしょ。一人で続けるのは辛いわ」

「必要ない。代わって来る」

「あっ…カインってば!」


呼び止めるも、カインは踵を返して動力室へと向かう。
足早に去る背中を見送りながらリディアは、意地っ張り、と苦々しく漏らす。

がん!と鉄扉が叩き付けられる音が響いたのはまさにそのときだった。
甲板に居た皆の動きが止まる。
その音の発生源であるセシルは、慌ただしく駆けて来ると半ば叫ぶようにして言い放った。


「燃料!ない!」


はあ?とエッジが返すも、声を上げたのは自分だけではなかったためか、場には軽いどよめきが起きる。
すぐさまセシルに詰め寄るのはカインだ。


「ないって、おまえ。補給は!?」

「した、ような……してないような」

「資材に紛れている可能性は」

「…ない。全部ひっくり返してきた」

「誰が片付けをすると…いや、それどころではないな」

「ええ。後にしましょう、それより」


先程まで手摺りの傍で風を受けていたローザも会話に加わると、操縦桿の真上に吊るされた羅針盤を見上げる。
地図と重なって設置されたそれに目を走らせると、先に居たのとは逆側の手摺りへと駆け寄る。
風圧にあられもなく舞う髪を押さえながら、手摺りから身を乗り出し、すぐに振り返る。


「セシル!南南西の方角、陸地を肉眼で確認!ミシディア大陸で間違いない筈よ!」

「それなら山岳地帯を越えれば平地だ。着陸出来る。よし、向かおう!」


頷くと、セシルは舵を握る。


「すまない、リディア。代わって貰えるかい」

「も、勿論よ!」


リディアが慌てて下がると、その空いた場所にカインが入る。

「距離は」

「体感で…100、いや、150見ておいた方がいい」

「ならば残量で間に合うだろう。念の為に低動力型に切り替えて来る。艇内の動力系統は一時遮断されるだろうが、後で調整しろ」

「わかった。頼む」


一つ頷くと、カインもすぐに歩き出す。

エッジはと言うと、ただひたすら呆けていた。
軍事関係者が三人揃い、その内の一人は飛空艇のスペシャリスト。
多少のトラブルなど対処してしまうだろうとは思っていたが、実際にこのような連携を目の当たりにすると驚くものだ。

ほえー、と間の抜けた声が喉を抜けるままにしていると、すれ違いざま、俄かにカインに首根っこを掴まれる。


「ぐえっ」

「阿呆面曝している場合か。代替燃料になるものがないか探すぞ。手伝え」

「て、手伝うのは構やしねーがよ!んなとこ引っ張んな、うちのじいか!」

「……エブラーナの目付役には同情するな」

「どういう意味だ、コラ!」









そして、無事に山岳地帯を越えて試練の山付近で不時着し、現在に至るわけだが。


「すまない、物資の在庫を把握出来ていなかったことも、その、浮かれていたことも…」


ひたすらに頭を垂れるセシルに、見かねてエッジが溜め息を吐く。


「まぁ、よ。過ぎちまったことは仕方ない。これからどうすんだ?」


セシルは顔を上げると、エッジ曰わくのくそ真面目な表情で告げる。


「近隣の村で代替燃料の調達をして、一度バロンに向かう。基本動力は火力だから、どうにかなる、筈だ」

「ここからとなると、ミシディアか」


隣にカインが立つ。
くそ真面目が並んだ、とエッジは心中でぼやいた。


「ミシディアか…彼らは自然主義寄りだからな。でも、薪くらいなら……うん?ミシディア?」


デビルロード、と並んだ二人どちらからともなく呟く。

セシルは後ろを振り返ると、計器のスイッチを切っている最中だったローザへと問う。


「もしかして、わかっていてここへ指示を?」


ローザは風圧で乱れていた髪を片手で撫でつけると一言、「優秀でしょ」と言って笑んだ。








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