漆黒の毛皮に覆われた背を揺らし、尻尾をふっさふっさと振りながら闊歩する。
私は自分の立ち姿を至極気に入っていた。
鍛えた力強い脚や、持って生まれた牙は我ながら惚れ惚れする。

何せ、私の尊敬する御主人が真似する程なのだ。
御主人は毛皮も牙も持たないが、私のような黒の衣に身を包んで牙のような武具を愛用している。
四つ脚であるけばもっと格好いいだろうに、人間は後ろ脚でしか移動が出来ないらしい。
鍛錬を怠らなければいずれは叶うだろう。
私は御主人が四つ脚になるのを心待ちにしている。


「あーっ!イン、ターぷた!ガウ!」


突如背後から発せられた大声に私はびくりと肩を竦める。
振り返れば、私がこの艇で唯一苦手とする者が物凄いスピードで駆けてくるところだった。

逃げたい。
しかし、私の誇り高さがそれを許さない。
敵前逃亡するくらいなら舌を噛み切った方がましだ。
尻尾が股の間に逃げたがったが、許さず毅然と立て直した。

一部だけが緑色という妙ちくりんな毛皮を持つその者は、がががっと音を立てながら私の目の前で急停止した。
床が削れたのではないかと思う程だったが、ストッパーに使った踵にダメージはないらしい。

私はこの者の身体能力だけは買っている。
今見せたばかりの俊敏な動きは一朝一夕でこなせるものではないし、ニンゲンだてらに四つ脚で行動出来るのだ。
長く鍛錬を積んだのだろう。
並んで闘えばその闘志は凄まじく、どんな強大な敵にも怯むことなく飛びかかっていく。

だが。


「インナーぷたー!」


ふにゃっと締まりのない顔を鼻先に突き付けてくる。

これがいただけない。
真夏日の私でもここまでだれた顔はしない。
とても戦士の表情とは思えない上に、いつもぼさぼさのまま整えようとしない毛皮もみっともない。

何より、私の名はインターセプターである。
このニンゲンは一度たりとも私の名をまともに呼べたことがない。


「いんぷた!元気!ガウ!ガウも元気!」


意図の読めない言葉を並べ立てると両の前脚を上げて私の頭を鷲掴みにする。
そのままぐしゃぐしゃと型もなく掻き回される。
きりっとした立ち耳をおかしな方向に歪められ、牙を剥きそうになるがぐっと我慢する。
相手はまだ子どもだ。

掻き回しながら、いーこいーこ、と呪文のように唱えているところからして、撫でているつもりなのだろう。
御主人が今のように放浪生活を始める前、当時一緒に暮らしていたお嬢さんがまだほんの赤ん坊だった頃はよくぐちゃぐちゃにされたものだ。
あの頃より忍耐力も積んでいる私が、以前出来たことが出来ない筈がない。
堪えてみせようとじっと耐えるが、きゅんきゅん鳴る鼻だけはどうにもならなかった。

やっと解放されたときには、頭の毛がぼわっとあちこちに広がる感覚だけが残った。
体はともかく、頭は自分じゃどうにも出来ないというのに。

年の頃はお嬢さんと同じくらいだろうに、何故こうも乱雑なのかと嘆く。
お嬢さんはそれはもう、絶品の撫で師に成長した。


「うう」


突然唸ったかと思うと、緑毛皮のニンゲンは腹を押さえた。
具合が悪いのかと鼻先を寄せると、ニンゲンはがばっと後ろ脚で立ち上がった。


「ガウ、おなかへった。にく!にくたべる!」


言うが早いか、いつの間にか腹の方に引っ込んでいた私の尻尾をひっつかんだ。
キャインと情けない悲鳴が漏れたが、ニンゲンは構わずにずるずると私を引きずって行った。







「ガウ!にく、ここにある!」


引きずられて辿り着いた先はキッチンだった。
ぱっと手を離され、ぶるぶるっと身を震う。
哀れ私の尻尾は、無惨にもよれよれになっていた。

唾液を含ませた舌で舐めてやっていると、ごそごそとあちこち漁る音が聞こえる。
私は顔を上げた。

食糧保存庫とは別に、手軽に取り出せるようにと袋に入れてキッチンにも置いてあるのは知っていた。
まさにその麻袋の中から後ろ脚が生えている。
一瞬、ニンゲンが袋に喰われていると思ったが、逆だ。
袋の中にニンゲンが無理矢理入り込んでいる。

嫌な予感がする。
ニンゲンは素材そのままで食べることをせず、切り刻んだり熱を通したりするものだが、この者は何故か生のまま丸かじりする。
放っておけば無惨に食い散らかして、傍にいて止めなかったという理由で私が艇内の者に叱責を受ける。
食い散らかした本人は無罪放免であるというのに、理不尽なことだ。

私は仕方なしに、噛んでも痛くないらしい『ふく』をくわえて引っ張った。
抵抗に合うと思い力を込めたのだが、予想外に呆気なく転がり出てきた。
勢いは止まらず、私の腹にずしんと尻が座る。
キャインとまた悲鳴が漏れた。


「インターセプター?どうしたの?」


キッチンの向こうの通路から声が飛んできた。
私はクゥンと鼻を鳴らし、誰でも良いからと助けを求める。
腹に座った尻が立ち上がり、ティナ!と叫ぶとそのまま駆けて行った。


「ティナ!にくない!草しかない!」

「草?野菜のことかしら」


私は息を整えながら、ちらと新たに現れたニンゲンを見やる。
やかましい仔ニンゲンと同じ…いや少し濃い色だ。
深緑の毛皮の雌は仔ニンゲンに合わせて少しばかり背を屈めた。


「ガウ、お腹が空いてるのね?」

「ガウ!ぺこぺこ!」

「ダイニングに朝の残りが置いてあるわよ」


わあっ!と輝いた声を上げると、仔ニンゲンはとたとたと忙しなく駆けて行った。
残された私は、途端に静かになった空間の中ほっと息を吐く。

しかし、すぐに深緑の雌…ティナ嬢が私を見ていることに気付き、居住まいを正した。
ティナ嬢は私の傍まで来ると、そっと腰を下ろした。


「遊ばれちゃったのね」


ぽつりと呟き、ぼさぼさになった私の頭を緩やかに撫でる。
毛並みに沿った正しい撫で方が気持ち良くて、私はうっとりと目を細める。
だが、私はこのティナ嬢がほんの少し苦手だ。

以前に会ったときは、恐る恐るという撫で方だった。
私は、触らせてやってもいいぞとつんとそっぽを向いていたものだ。
だが最近になって再会したとき、その指遣いは見違える程になっていた。
それこそ、お嬢さんを凌ぐ程に。

耳の下を掻くように撫でられて、私は知らずティナ嬢の指先が届き易いように首を傾けていた。


「…気持ちいい?」


そっと囁かれ、私は即座に否定の意を唱えようとするが、不発に終わった。
気持ちいい。すごく、気持ちいい。

指先は頭上から背の方へ、そして脇腹にまで及び何度も往復を繰り返す。
耐えられなくて、ティナ嬢の体に頭をごしごしとこすりつける。
ティナ嬢がふふ、と笑うのが聞こえた。


「かわいい。おいで、セプ」


屈辱的な言葉だ。
御主人と肩を並べて、いや肩は並ばない、足並み揃えて闘う私に可愛いなどと。
第一私の名はインターセプター。
そんな妙な略し方は失礼ではないか。

だが心中とは裏腹に、私の鼻はクンクンと甘えた音を鳴らし、あろうことか恥辱的な欲求が湧き上がるのを感じていた。
腹を、見せたい。
腹を出して、思い切り撫で回されたい。
しかしそんなことは私の誇りが許さない。

葛藤に苦しんでいる私を知ってか知らずか、ティナ嬢は不思議な略し方をした名を優しく呼び続ける。

いつの間にか腹ばいになっていた私は、とうとう甘美な欲求に屈してしまった。
ごろんと背を引っくり返すと、触れられるのを待つように前脚を持ち上げる。
ティナ嬢は軽く含み笑いをすると、私の一番弱いところに指を滑らせた。
今までの手つきを考えると乱暴な程に掻き回される。
しかしそれが気持ち良くて、私はぐっと背を反らせた。
こんな姿、御主人にも見せたことがないのにっ!


「おなか、ふかふかなのね」


僅かに熱の籠もった声が響く先を見ると、私の目に唯一鮮やかに映る緑色。
長毛のそれが、撫でる動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。


「インターセプター」


正しい名を呼ばれ、はっと我に帰る。
慌てて身を起こすと、先程ティナ嬢が現れたところ、キッチンの向こうの通路に御主人が立っていた。
ぶるっと体を震わせて気を持ち直し、脚を急がせて御主人の傍らに寄った。


「行くぞ」


耳慣れた硬い声にぴんと背が張る。
御主人に合わせて歩き出そうとすると、後ろから名を呼ばれた。
振り返るとティナ嬢は既に立ち上がり、柔らかく微笑んでいる。


「ありがとう。また撫でさせてね」


私にまたあのような醜態を晒せというのか。
手練手管で私を翻弄しておきながら、未だなお!
かっと耳が熱くなる。


「シャドウも。インターセプター、とても可愛かった。ありがとう」


ティナ嬢の言葉に、御主人は短く、ああ、と返すだけだった。






暫し歩いてから、人っ子一人いない艇内の廊下でぴたりと御主人の足が止まる。
私は慌てて歩みを止めた。


「インターセプター」


御主人の硬い声が私の名を呼ぶ。
叱られるのか。
闘いに身を置く者でありながら、あんな弱みを他者に見せたことを恥じろと冷たく言い放たれるのか。
どんなお叱りも受けるつもりで頭を垂れたが、尻尾も一緒になって下を向いた。

御主人の大きな手が、一度だけ頭の上を滑る。


「撫でて貰えて良かったな」


御主人は何にもわかっていなかった。

御主人の馬鹿っ!鈍すぎる!


オン!と吼えかかると、御主人は珍しく驚いて、覆面から覗く瞳をまん丸く見開いた。








モブリズにはわんこがいるので、ティナは犬の撫で方が上手。




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