戦いの地へと降り立つと、そこには見慣れない姿が待っていた。
真っ白なローブを纏う凛とした立ち姿の青年は、一見しただけでも高位の白魔導師だとわかる。
青年はこちらについと顔を向けると、形の良い眉を顰めた。


「パラメキア皇帝…か」

「いかにも」


皇帝は少し顎を差し上げ、目下に青年を見やる。
この世界に招かれた戦士ではなく、尚且つ自分のことを知っているのならば彼は「元居た世界」とやらのから来た者に違いない。
身近な人物なら会えば記憶が戻るかと思っていたが、その兆候も特に見えない。
面識のある者ではなかったのかもしれないが、思い出せぬ以上考えても詮無いことだった。


「名を名乗れ」

「…ミシディアのミンウ」


ミシディア。
生まれもって強い魔力を有する魔道師たちの住む村だ。
皇帝の母親もそこの生まれだったと聞く。

先程までそんな村が存在していたことすら忘れていた。
しかし今は、その身を飾る宝玉の一部はミシディア製の、魔力を高める作用のあるものだということも思い出した――いや、思い出す、というよりもそこに記憶は存在していたのだ。
ただ、不透明のヴェールがかかったように、そこに在ることすら気付かないようになっていた。


「私と同系の魔力を持つ者、か。その力、私の為に使う気はないか?」

「戯れ言を」


喉の奥で笑うと、青年はこちらに向かって杖を構えた。
その鋭い視線には冷めた憎悪が宿っている。
元の世界では敵対する立ち位置に居たということは明らかだった。

ふん、と吐き捨てるように顔を歪める。
今このとき、元の世界の記憶などあって意味のないものだ。
それでも思い出せないというのはもどかしかった。


「ならば、死ね!」

「待て」


冷静な制止が入り、構えを解くと、杖の先に仕込まれた宝玉から魔力が拡散する。


「私はこの地では戦うことを許されない身だ。実戦は彼が行う」


青年が身を引くと、代わりによく見知った者が歩みを向けてくる。


「貴様は…」


数多の武器を背に進み出てきたのは、この世界で闘争を繰り返している、フリオニールだ。
しかし、見知ったというのには少し語弊がある。
常の義士の姿とは違い、髪をバンダナで纏め上げている。
だが驚くほどのことでもない。
この世界では本来の自分の体が大きな損傷を負ったときの代替として、或いは自身の戦闘を客観的に見るために戦う相手としての依り代がある。
皇帝自身も、己のそれと戦ったことがあった。
カオス勢皆にあるのならば、コスモス勢にないというのもおかしな話だ。


「彼はフリオニール…だが、あなたの知る彼ではない」

「何だと?」

「体はこの世界のものを借りているけれどね、それは私の世界のフリオニールだ」


もう一度義士を見やると、その瞳は常と同じく真っ直ぐな強さに満ちている。
だが、その他にも怒り、憎しみ、そして哀しみ…そんなものがない交ぜになり、暗い光が宿っていた。


「…来い。貴様の持つ信念とやら、打ち砕いてみせよう!」


その声が鍵だったように、義士は地を蹴った。
中身が違うというのなら、多少なりと戦法に差は出る。
それを見極めるため、皇帝は身を引きつつ最初の一撃をいなそうとした。

きん!

高い金属音と共に、杖が弾かれる。
武器を飛ばされないよう確と握り、自分のガードが解かれたことを知る。
腕力はそう秀でてもいないことは自覚していたが、よもやこれほどまでに差が出るとは。
この男、強い。

何とか体勢を立て直そうとして、皇帝はぎょっと目を見開いた。
既に振りかざされた剣の、刀身の禍々しい紅色。
記憶のどこかが警告を叫びだし、わけもわからず総毛立つ。
だが、あれを喰らっては…


「うぼぁっ!」


次の瞬間、皇帝の体は吹き飛ばされた。
だが、腹に喰らった連撃は大して重くはない。
これなら、と身を起こそうとして、愕然とする。

体が、動かない。

麻痺の類かと回復呪文を唱えようとしたが、途中で詠唱が止まる。
違う、純粋に体力が奪われているのだ。
あと一撃でも喰らったら、もう立っていられなくなりそうだった。
ぐらりと頭が揺れる。


「皇帝」


遠くで、フリオニールの声が聞こえた。


「アルテアの町を、覚えているか」


記憶のどこかで、ヴェールが剥ぎ取られたのを感じる。
だが、それを見つめ直すほどの余力はなかった。


「ガテアの村を、美しい港町を、フィンを…俺の故郷を!」


揺らぐ視界の中、フリオニールが拳を震わせている。


「お前は、忘れたというのか!!」


憎悪の塊のような視線が、体力を吸い取っていくような気さえする。
皇帝はこの局面をどう乗り越えるか、それだけを考えていた。

暫しの沈黙の後、フリオニールが詠唱を始めた。
しめたものだ。魔法ならこちらに分がある。
詠唱の速さもダメージの重さも、どこをとっても自分が勝っている自信があった。


「それはどうだろう」

「何…?」


割り込んできた声は、離れた場所で控えていた青年のものだった。


「フリオニールは魔法にも武器にも熟練している」

「だから何だと言うのだ…帝国随一の魔道師だった私にたかが虫けらが適うとでも?」

「いいや、魔力では到底適わないだろう」

「ならば、指をくわえて見ているがいい。貴様の仲間が崩折れるさまを!」


吐き捨て、頭の中で既に構築していた詠唱の続きを唱える。
詠唱に集中するため、目を閉じる直前に、青年が肩を竦めるのが見えた。


「強いよ、彼のアルテマは」























朦朧とした意識の中、暖かい光が体を包むのを感じた。
ケアルだ、と頭のどこかで思う。
鉛のように重い瞼をどうにか押し上げると、褐色肌の手のひらが見えた。


「…なに、を…」

「気が付いたようだね。まだ動かない方がいい」


体を支える腕に気付き、振り払おうとしたが指先すら動かなかった。


「情けを…かける、つもりか」

「いいや。はじめに言っただろう。私は戦うことを許されていない。あなたを倒すことも、許されていない」

「ならば、何故私と戦った」


元の世界のフリオニールを呼び寄せてまで。
とどめを刺すことも適わないのに。


「あなたを許せないからだ」

「…何だと」

「永き時を経ようとも、私はあなたを許さない。あなたに平穏は未来永劫訪れない。そう言いにきた」


回復を司る暖かい手は、皇帝の頬を滑り、薄い唇をなぞる。
ぞく、と背中を冷たいものが走る。
手のひらはそのまま皇帝の顎を持ち上げ、そうして、頬を張った。


「まぁ、記憶のないあなたに言っても意味がないのだけれど」


ならば何故ひっぱたいた。
じんじんと熱を持ち始めた頬を、己の手で覆う。
体はもう動くようだった。


「あとはご自身でされるといい」


そう言って、体を支えていた腕が解かれる。
少し上半身が揺らいだが、気を張って倒れることは防いだ。


「貴様、は…」

「いずれまた、お会いしよう」


青年は背を向けると、光の向こうへ消えていった。
頬に、痛みが広がっていた。







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