猛者が光の勇者と対峙するとき、秩序の聖域であることが多かった。
互いに直攻型のためか、決まって見晴らしの良いところを好む。
先にそこを戦いの場に指定してきたのは勇者の方だ。
最初こそ、己の領域に敵を引き入れ優位に立つ作戦かと疑ったが、すぐに思い直すこととなった。
コスモスの象徴とも言うべき秩序の聖域だが、意外なことに自分にも戦い易いフィールドだったのだ。
障害物や高低差がなく、力のみでぶつかり合えるのは気持ちが良かった。
それは相手も同じようで、幾度となく繰り返される闘争の間、自然とそこで剣を交えるのが決まりごとのようになっていた。
ガーランドは大きく息を吐く。
鎧の隙間から膝へと染みていく水の冷たさに少しの心地よさと、そして纏わりつく衣服に少しの不快感を覚えていた。
秩序の聖域には常に薄く水が張ってある。
浅く穏やかなその水溜に身を沈めるのは、己のときもあれば勇者のときもあった。
そして今、水に体を浸しているのは勇者の方だった。
身を進めるとがしゃりと鎧が鳴り、勇者が眉をきつく寄せる。
ぱくぱくと何か言いたげに開閉する口からは苦しそうな吐息の他何も出て来ない。
自分が憎いのか。そうだろう。
今、ガーランドは闘争の相手であるはずの光の勇者を組み敷いていた。
目的はそれ以外無いというように、下半身を覆う鎧だけを剥ぎ取り露わにさせる。
申し分なく鍛え上げられたその体は予想以上に色白く、光というよりは雪のようだ。
おのれ、と揺れた声は怒りのためか侵入の苦しみのためかは、判別がつかなかった。
一瞬のあと、目に入ったのは見慣れた天井だった。
身を起こすこともせず、寝所の中でただ呆然とする。
夢だ。ただの夢だ。
しかし何故あんな夢を。
ガーランドが過去の輪廻の記憶を夢に見ることはままあることだった。
いつのことかも思い出せない、苦しみの記憶、または幸せな記憶の悪夢を。
だが永き輪廻の間、記憶をどんなに揺さぶってもあのような過去は出て来ない。
あるはずもないのだ。
ようやっと半身を起こし、鈍痛にも似た感覚が下半身を覆っていることに気付き、頭を抱えた。
ガーランドはゆるゆると頭を振ると、傍らに揃えてある鎧を見やる。
本来なら出陣のとき以外に鎧を身につけることはない。
何人たりとも傷付けられはしまいと自負している重鎧だが、その重量のため己の体にかかる負担も大きい。
だが今は早く気持ちをすっきりさせたかった。
鉄胴の内に身を収め、鎧と同じく重量のある兜を装着すると、精神がすっと研ぎ澄まされていく。
フルフェイスの兜がゆえに視界は狭まるが、それを補っても余りあるほどに神経が鋭敏になる。
腐っても騎士だ。内に燃える闘争の心が宿れば、雑念など取るに足らないもの。
ガーランドは深呼吸を一つすると、コスモスの領地へと足を向けた。
幸いと言っていいものか、ガーランドには光の勇者の居所を察することができた。
過去の輪廻の記憶を無意識のうちに手繰り寄せているためか、それとも互いの間に断ち切れぬ鎖があるためか、それは自身にもわからない。
だが、闘争を楽しむと決めた今となっては考える必要性もありはしなかった。
果たして、光の勇者はそこに居た。
常と変わらぬ秩序の聖域にて、輝く刀身を剥き出しのままで。
その足下には今倒されたばかりであろうイミテーションがもがき苦しみながら消えゆくところだった。
そのイミテーションが、偶然にも己の姿を模したものであることに気付き、ガーランドはふんと鼻を鳴らした。
「来たか」
光の勇者は剣を腰に収め、こちらに向き直る。
その瞳にはゆらりと熱が籠もっていて、今にも弾けそうなほどだ。
「まるで待っていたかのような口振りではないか」
「そうだ」
勇者の返答にガーランドは訝しげに眉を顰める。
別段、襲来の予告をしていたわけでもないはずだ。
「ここへ来ればお前に会える気がした」
ふむ、と頷き朧気ながらも理解する。
鎖に絡め取られているのは己のみではなかったということか。
始めよう。
簡素な一言と共に勇者が剣を抜く。
望むところだ。ガーランドがずしりとした手応えの戦斧を構えるため振りかざす。
その瞬間、勇者は地を蹴って突進してきた。
「なっ?!」
驚愕が声に出たが、言葉にならなかった。
勇者は騙し討ちは勿論のこと、不意打ちも嫌う傾向にある。
互いの体勢が整ってから始めるのが常であった。
第一撃を何とか弾こうと、戦斧を引き寄せ盾にする。
その向こうで勇者は剣を引き、ひらりと宙に舞った。
背後か!
ガーランドが身を翻そうとした瞬間、後ろからの強い衝撃を直に食らい、地面に激突した。
「…う、ぐぉ……」
衝撃が体の内部までを駆けずり回り、込み上げる吐き気を耐え凌ぐ。
秩序の聖域を浸す水がごぼごぼと音を立てて鎧に浸入してくるが、未だ立ち上がることも出来ぬままだった。
先程攻撃を受けたその箇所へもう一度鋭い衝撃が落ち、鉄壁の鎧がみしりと唸る。
続いて、がん、と鈍い音がして背中に痛みが走る。
どうやら鎧を踏み抜かれたようだ。
もはやこれまでか。
此度の闘争に敗れるのは己の方らしい。
ぽっかりと穴が開いているであろう鎧の隙間から、光の剣に刺し貫かれるのを待ち、ガーランドは目を閉じた。
しかし、勇者は何をするかと思えば割れた鎧を剥ぎ取りだした。
そんなことをせずとも、勇者の腕ならガーランドを終わらせることなど容易いであろう。
一向にとどめをさす気配がないことに、ガーランドは呻きながらも顔を上げた。
「…何、を…」
「夢を見たのだ」
反射的に、びくりと顔を反らすと、兜の中にも入り込んでいた水が口に流れ込み、咽せかえる。
「その反応は、お前にも心当たりがあると見て良いのか?」
「何の、ことだ…」
ならば説明は要るまい、と言うなりガーランドの腰に手をかけた。
「や…めんか!騎士を汚す気か!」
「そんなつもりはないがな」
「ならば、どういうつもりだと言うのだ…」
ふむ、と勇者が考え込むように嘆息するのが聞こえた。
永き輪廻の間、光の勇者だけを追い続けてきたが、かようなことは一度もない。
何とか横目で勇者を睨みつけると、揺るぎない強さが宿る瞳とかち合った。
「私にはお前しかいないということだろう、だから」
もはや頭を上げる力も失せ、ガーランドは冷たい水の中に顔を浸した。
「やらせろ、ガーランド」
互いを繋ぐ鎖の屈強さを、ガーランドは永き時の間で初めて嘆いた。
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