資料室に向かう足取りは重いものになるのが常だったが、今日はその限りではなかった。
気は重いままだったが、急がなければならないため小走りで廊下を進む。

先週の講習で出されていたレポートの存在をすっかり忘れていたのだ。
つい先刻まで一緒に居たザックスはここぞとばかりに笑い飛ばしてくれたが、自分も同じ課題を出されたと、わかりやすい参考図書を教えて貰ったので結果としてはプラスだったのだと言える。
何だかんだ言って、面倒見がいいのだ。


資料室まで辿り着いて、クラウドは漸く一息吐いた。
入室さえしてしまえば、閉館時間を大幅に過ぎでもしない限り追い出されることもないだろう。
借りる書物は既に決まっているのだし、そう時間が掛かることもない。

閉館間際の資料室は人気がなく静まり返っている。
元より騒がしくするような場所ではないが、それでも息遣いや衣擦れの音一つしないのはどこか心細くあった。
さっさと用を済ませて自分も出よう、と大きな図書ラックの角を曲がる。

途端、思いがけずそこに人影があったためにクラウドはひっと情けない声を上げてしまった。
ばくばくと煩い鼓動が治まるよりも先に心臓が今一度跳ね上がった。
クラウドが憧れて止まないセフィロス、その人が居た。

任務をこなしてその足でここに来たのだろうか、黒いロングコートを纏ったままの姿は微動だにせぬまま立っている。
先にクラウドの上げた悲鳴じみた声は大きなものではなかったが、セフィロスには聞こえていて然りだ。
こっそりと様子を窺うと、どうやら手に持った本に熱中しているらしかった。


そんなに真剣に一体何を読んでいるのか、気になる。
でも邪魔しないほうがいいかな。
いや、俺の借りたい本そこらへんにあるんだよな。どうしよう。


悩んでいてもきりがない。
クラウドは足音がなるべく響かないようにとそっと歩み寄った。
セフィロスの隣に来ると、心臓がどんどん煩くなる。
痛いくらいだ。

目的の書物はすぐに見付かった。
クラウドの背では到底届きそうにないところに。
踏み台を持って来ればいい話なのだが、音を立てると読書の邪魔になってしまうかと思うとそうもいかない。
伸び悩んでいる自身の身長を恨む。

出来ることがなくなって、クラウドはちらりと隣を盗み見た。


睫毛、長いなあ。
どうやったらこんなに大きくなれるんだろう。
顰め面しててもかっこいいなあ。


そしてふと気付く。
どうしてこんなに顔を顰めながら本を読んでいるんだろう。
読み物の類ならまだしも、この辺りは図鑑やデータ集など論文の参考に用いられる図書の棚だ。
それに、さっきから一度もページを捲っていない気がする。
…………。

心中で一言懺悔してから、その手元を覗き込む。
内容には見覚えがあった。
以前借りたことがある。マテリア大全だ。
それこそ一目確認して事が済むようなものなのに、と開いたページに目を走らせ、一つ思い当たる。

クラウドは少し腹に力を入れて、口を開いた。


「あの…」


セフィロスは依然として視線を落としたままだ。
クラウドなりに決死の覚悟だったのが気付いて貰えなくて気落ちしそうになる。
諦めるなと自分を叱咤して、深く息を吸い込む。
でも次に気付いて貰えなかったらもうやめよう。


「あの…セフィロス?」


名を呼ぶと、黒衣に包まれた背中はあっさりと振り返った。
透き通るような碧の瞳に見据えられ、クラウドは縮み上がる心地だった。


「…どうした?」

「あ、あ、あの」


一目で一般兵だとわかったのだろう、返事は柔らかかったのに頭が真っ白になってしまう。


「そ、そろそろ閉館時間ですけど」


違う、そんなことどうでもいい、俺の馬鹿。
セフィロスはもうそんな時間か、と日の翳りを確かめようとしたが、書物の日焼けを防ぐため窓のない屋内ではそれも叶わない。
ぱたんと本を閉じたセフィロスに、クラウドは勇気を振り絞ってその本、と声を上げる。


「ああ、借りるのか。すまないことをした」

「い、いいえ!あの、そうじゃなくて、今クエイクのマテリアの項目見てました?」

「…そうだが」


訝しげに顰められた眉に、焦りを覚えて早口で捲くし立てる。


「あ、えっと、その本、初版に誤植があるらしいんです。クエイクのレベルアップに必要なAP数が間違っているって。間違って覚えるなよってザッ…いえ、先輩に教えてもらったんです」


言い終えて、小さく息を吐いてからはっと気付く。
そんなことは知っているかもしれないし、それ以前にただ眺めているだけだったら。
…恥ずかしい。

黙ったままだと居心地が悪い。
せめて何か取り繕うために口をぱくぱく開閉させている間に、セフィロスは手の中の本をもう一度開いた。
背表紙の裏の最後のページを覗き、目を細める。


「…初版だな」

「へっ?」


またも、変な声が出た。
セフィロスは気に留める様子もなく、とんとんと指で版元の辺りを指す。
少しの間を置いてから、促されているのだと気付きクラウドも覗き込む。
確かに初版だった。


「…あの、セフィロス…」

「おまえの言う通りのようだな。助かった」

「い、いいえ!俺は何も…」


挙動不審と言っていい程に首を振ると、セフィロスが口元を緩ませる。


「もうすぐ試験だろう。頑張れよ」


言ってクラウドに本を手渡すと、セフィロスはそのままクラウドの横を通り過ぎていった。
ブーツの音が遠ざかり、ドアがばたんと閉まる音が聞こえると、クラウドは長すぎるくらいの息を吐いた。


セフィロスさんと話しちゃった!
セフィロスさんが、頑張れって、言ってくれた!


それからどうやって部屋まで戻ったのかは覚えていない。
雲の上を歩くようなふわふわとした足取りで部屋の鍵を閉め、はっと気付く。
課題の参考図書。

手を口元に持っていき、自分が一冊の本をしっかりと握っているのが見える。
何だ、ちゃんと借りてきてたんだ。
安心して、表紙に記された文字を見下ろす。
マテリア大全だった。


素直に説教を受ける心構えをしよう、とクラウドは肩をがっくり落とした。








セフィロスは調べものをするときは専ら書物からだから、資料とかを過信してる気がする。
資料が間違ってたら間違えたまま記憶しそう。




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