「うわあ、広いなー!」
はしゃいだ声を上げ、マッシュが車内にずかずかと入っていく。
この状況で何故こうもはしゃげるものかと、呆れを通り越し軽く感心する。
シャドウはちらりと横目を走らせる。
同行のカイエンは不気味な列車の雰囲気に気後れしているようだった。
それもそうだろう。
ドマでお伽噺のように語り継がれてきただろうそれ、まさにそのものの中にいるのだ。
しかし他国の生まれであるシャドウにはピンと来ない。
それはマッシュも同じなのだろう、席を取り外した一両ぶち抜きの車を物珍しそうに見渡す様子から、怯えの類は微塵も感じられない。
足音を吸い取る分厚いカーペットの上を進むと、コトリとも音をさせずに薄いローブが後を続く。
足がないのだから足音がしないのも当然だ。
マッシュが声を掛けてから着いてきた幽霊は、どういう訳かシャドウの背後にぴたりと沿うように離れない。
妙なものに懐かれたものだ。
「あ、おい!ちょっと見てくれ!」
先を行くマッシュの声に顔を上げると、列車の中心に置かれた長机の前で首を傾げている。
隣まで行って並ぶと、きちんと敷かれたテーブルクロスの上に三人分のナプキンと食器が置かれていた。
「これは一体…?」
「ここは食堂車なのではござらぬか?」
「そういうことか!」
マッシュは一つ頷くと、早速席に着いた。
「おーい!めしだ、山ほど持ってこい!」
「ま、マッシュ殿!」
慌ててカイエンが制止するも、マッシュはきょとんとした顔でナプキンを開いている。
「どうしたんだ?」
「どうしたではござらん!こんなところで食事など、何が起こるか…」
「ちょうど腹が減ってたところだし、よく言うだろ。腹が減っては戦は出来ぬ!」
にかっと笑ってみせるマッシュに、それもそうだとシャドウも席に着く。
カイエンは信じられないとでも言うように二人を見比べて、そして大きく肩を落とすと自身も倣った。
途端に、すっと音もなく、ウエイターの風貌をした者が…勿論これも幽霊なのだが、傍らに現れる。
「料理長が腕によりをかけたフルコースをご用意してございます。どうぞごゆるりとお楽しみ下さい」
それぞれに置かれたグラスにボトルから食前酒を注いで、また音も立てずに去っていく。
甘い匂いが広がる。果実酒だ。
「酒はやめておいた方が…」
「大丈夫だよ。一杯くらい」
心配の絶えないカイエンを窘めるようにグラスを傾ける仕草はどこか手慣れていて、シャドウは内心驚く。
フィガロの者だと言うのは聞いていたが、貴族階級の生まれなのかも知れない。
事情を探るのは主義ではないためそれ以上は考えないことにする。
首まで続く覆面を口元まで上げると、果実酒を飲み干した。
各々がグラスを空けると間髪入れずにオードブルが並べられる。
おっかなびっくり口に運ぶカイエンとは対照的に、皿ごとかき込む勢いでマッシュが食べていく。
…貴族云々は勘違いだったのかも知れない。
空いた皿を下げながら、ウエイターが一礼する。
「それではこれより、ディナーショーが始まります」
「ディナーショー?」
「魔列車の住人によるトークショーでございます。どうぞ耳を傾けながら、引き続きお食事をお楽しみ下さい…」
ウエイターが下がると、ふっと室内照明が落とされる。
光に慣れていた目では手元すら覚束ない。
闇討ちには持ってこいの条件だ。
シャドウは密かに刀を手に滑らせる。
隣からはひそひそと、魔列車のトークショーとは初耳でござる、楽しみだなあ、など話しているのが聞こえてきた。
呑気な奴らだ。
一つ溜め息を吐いた間に、前方にぼんやりとした灯りが現れる。
その中に見える人影は幽霊のようで、先のウエイターの言葉から察すればホストの一人なのだろう。
ぼろぼろのフードを目深に被った幽霊は一つお辞儀をすると、早速といった風で咳払いをした。
――本日は、魔列車ディナーショーにお越し頂きありがとうございます。
それでは、一つ私の話でも致しましょうか。
私がまだ生きていた頃です。
やれ、酒が好きな男でしてね、よく呑んだくれていました。
しかも呑むと気が大きくなるときたもんだ。
魔物でも幽霊でもどんと来いってんで、暗い夜道を独り歩くのもしょっちゅう。
その日も私はしこたま呑んで、千鳥足で帰り道を歩いていました。
そのとき、道すがら女が一人いましてね。こんな時間に珍しいと。
人通りの少ない道なんでね、日が暮れてからは人っ子一人いないのが普通なんです。
私は女に声を掛けました。酒ですっかり虎になってましてね、引っ掛けようとしたんです。
「こんな遅くに何をしてるんだ?危ないから家まで送っていってあげよう」
私の拙い文句に女が笑ってね。
「いやだ、お兄さん。探し物をしているだけですよ」
なんて言う。ははあ、体よく追い払うつもりだなと思いましてね、手伝ってやろうと言った。
そして品定めついでに前に回ると、つるんとしたいい肌でした。
でも私、悲鳴上げましたよ。何せつるんとしていたのは、目も、鼻も、口も――
「あ、これ知ってる。のっぺらぼうだ」
口上がぴたりと止まる。
カイエンが先の発言者であるマッシュに、のっぺらぼう?とオウム返しで尋ねた。
「あれ、知らないか?ドマの方から伝わった話って聞いてたんだけど」
「いや拙者、そういう話は苦手でとんと縁がないのでござる。どんな話なのでござるか?」
「確か、目も鼻も口もないのっぺらぼうって化け物に出会って、逃げる中に会った人に助けを求めるとみんなのっぺらぼうになってるって話だった筈だ」
シャドウは覆面の下でぽかんと口を開けた。
わかっていても言うか、普通。
オチまで先に言われてしまった話者は、暫し硬直したのちにがっくりと肩を落とした。
すごすごと場を去る後ろ姿は、何だかとても哀れだ。
その後も次々と披露される各地の怖い話に途中でマッシュが口を挟み、悉く退散に追いやっていく。
何度か見ている内に気付いたが、あのぼんやりとした灯りはスポットライトではなく幽霊自身が発光しているらしい。
すっかり気落ちした彼らの発する光は弱々しいことこの上ない。
先程まで雰囲気に飲まれていたカイエンすら、最早怯えの欠片も見えずメインディッシュの肉料理を元気に頬張っている。
「それにしてもマッシュ殿、詳しいでござるな」
「ああ、怖い話か?兄貴がなー…」
マッシュは照れ臭そうに笑うと、フォークを置いた。
「怖がりだった俺を、それじゃ駄目だって鍛えてくれたんだ。よく大泣きして、兄貴にくっついてたなあ」
それは遊ばれていたんだ。
シャドウは言葉を飲み込んで、皿に残る最後の一切れを口に押し入れた。
デザートが並ぶ頃、最後の一人らしき幽霊がおどろおどろしい声で語り出した。
――それでは最後に…この魔列車のお話を致します。
ご存知の通り、魔列車は死者の魂を運ぶ列車。
終点に着けば、あとは各々死後の世界へと旅立つのがさだめ。
しかし、下車の指示に従わない者も稀にございます。
愛する者と生き別れた、誰かを憎みながら死んだ…そういった未練に縛られた幽霊が列車に残ることがあるのです。
年月と共に生前のことは忘れてしまいますが、強く想う相手のことだけ心に焼き付いたまま怨念の虜となっていきます。
かく言う私も、あの男を安らかに逝かせはしないと、乗車のときを今か今かと心待ちにしているのでございます。
もしかしたら、あなたの隣にいる幽霊も…
言葉が途切れた途端、照明が元通りに点いた。
シャドウは手を付けるのも忘れていたフルーツ盛りを見下ろす。
気配を感じて隣を振り向くと、いつの間にやら料理長らしき幽霊が傍に立っていた。
「如何でしたかな」
「すっごくうまかったよ!」
マッシュが空になった皿に食器を置くと、料理長は満足げに頷いた。
しかし、カイエンは同じく食器を置きながらどこか思い詰めた表情をしている。
「あの…本当なんでござるか?さっきの話は…」
「さっきと言うと?」
「未練を遺した幽霊が…この列車に留まると」
ふむ、と料理長は顎を撫でた。
「真偽の程はわかりませんが…私も最高の調理法を見付けた矢先に命を落としましてね。誰かに振る舞うまではと下車を拒みました」
未練と言えば未練ですかな。
そう言って料理長はふと、シャドウの手付かずの皿に目を落とす。
「…お気に召しませんでしたか?」
「いいや」
甘いシロップのかかったフルーツを口に入れ、咀嚼する。
シャドウの傍らの幽霊は、相も変わらず離れる様子がない。
――愛する者と生き別れた…
先の怪談話が頭の中を巡る。
いいや、とシャドウは心中で否定した。
あれはそういった気性の女ではない。
さっさと死後の世界とやらに行って、そこでパンケーキでも焼きながらのんびり待っているに違いないのだ。
あの甘すぎるパンケーキを。
怨まれる覚えなら嫌という程あるが、命を奪う瞬間に姿を見られたこともない…いや。
一つ思い当たり、件の幽霊を見やる。
……まさかな。
ぼろぼろのフードの下でにやりと笑う口元が、シャドウに見える筈もなかった。
きれいにたいらげた三枚の皿を見渡し、今度こそ料理長は満面の笑みで頷いた。
食器を下げに来たウエイター共々、深くお辞儀をする。
「またのお越しをお待ちしています」
ビリーは実は生きてましたオチでもいいとは思う。
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