「起きないね」

「マジ寝か?これ」


戦闘も終わり、武器の汚れを払う中でリディアとエッジは並んでしゃがみ込んでいた。
セシルはその様子をちらと見やり、妙にちぐはぐな画にこみ上げる笑いを抑える。

リディアとエッジが物珍しそうにしげしげと眺めているのは、地に座り込んで睡眠状態に陥ったカインなのだ。


対象者を睡眠状態にさせる状態異常は、術者と対峙している限りは容易に解けるものではない。
しかし一度離れてしまえば、ないしは術者が倒れてしまえば持続力は極端に落ちる。
途端に目が覚めることもあるが、なかなか起きないこともまたある。
睡眠自体が人の体に馴染み深い現象のためか、本来の睡眠状態に移行してしまう場合もあるのだ。


リディアはそうっと人差し指を上げ、そろそろと突き出す。
竜兜の下で露わになっている頬をちょんとつつくと、慌てて手を引っ込めた。


「カインのほっぺつっついちゃった!」

「すげーな、本当に起きねえのな」


まじまじと寝入ったままのカインを見詰めると、エッジはにやりと笑う。


「鼻摘まんでやったら起きるか?」

「ちょっと、あんまりひどいことしないでよ」

「わあってら」


二人の様子を微笑ましく見守っていると、隣でくすくすとローザが笑う。


「カイン、きっと疲れているのね。少し早いけれど、今日はもう休みましょう?」

「ああ。あんなにぐっすり寝てるカインは久しぶりに見る」


カインがあの状態となれば、テントの準備にはエッジの手を借りなくてはならない。
呼び掛けようと何歩か歩み寄って、セシルはふと首を傾げた。

エッジが懐から取り出したものが見慣れないものだったからだ。


「それ、もしかしてフデ?」


両手を膝に付いて上から屈み込むと、エッジはおう、と返事一つして見上げてくる。


「何だ?珍しいか」

「話には聞いたことがあるけど、実物を見るのは初めてだ」


手渡してくれたそれを様々な角度から眺める。


「これで字が書けるなんてすごいな」

「羽ペンは懐に入れてちゃ刺さるが、筆はそんなことないからな」


意外と便利だぜ。
言いながら、エッジは続いて手の平に乗る大きさの容器を取り出す。
ちゃぽ、と水の揺れる音がするが色は真っ黒だ。


「…インクつぼ?」


墨っていうんだけどな、と前置きして、エッジはカインに向き直ると目を細める。


「爆睡ぶっこいてる奴にやってやるイタズラってのは一つっきりだよなぁ」


エッジの思惑を察してリディアの肩が跳ねる。


「エッジってば!ひどいことはやめてって…」

「セシル、筆返してくれ」

「はい」


あっさりとエッジに筆を渡すセシルに、リディアは目を丸くする。
セシルの腕をちょいと引くと、困った顔で見上げてくる。


「セシル、いいの?エッジってばカインにいたずらするって」

「起きないからいいんじゃないかな」


ええ、と不服そうな声を上げて、リディアは次いで後ろを振り返る。
にこにこと微笑んだままのローザは、リディアを見て首を少し傾けた。


「ローザ、止めなくていいの?」

「そうね。たまにはいいと思うわ」


聖母のような笑みでばっさりと切り捨てる。
リディアはすっかり眉を下げると、あたし知らないからね、と立ち上がった。









ぱちぱちと焚き火の中で枯れ木がはぜる。
夜も更け、火の番をしているセシルを除いて皆が寝入っている。

寝ずの番というわけではない。
辛くなれば交代することにはなっているが、セシルはこうしている時間が好きだった。
顔に当たる火の熱を感じながらぼんやりと考え事をする。


がさ、と木々を割る音にセシルはふと顔を上げた。
静かな足音と共に戻ってきたのはカインだ。

セシルは唇を強く噛んでこらえた。
駄目だ。笑ったら駄目だ。


結局、あの後カインはなかなか目覚めなかった。
テントを張り終えて食事の準備が出来た頃にやっと意識を取り戻したのだった。
あの不自然な姿勢のままでそれだけ眠れるのもすごい、とセシルは感心した。

墨で濡れた顔もすっかり乾いていたためかエッジのイタズラに全く気付いていないようで、更に誰も言い出さないので夕食の時間は大変だった。
まさかの強制にらめっこ。
リディアが喉を詰まらせた。


セシルは極力カインの顔を見ないように、焚き火に向き直る。
カインは背後に立つと、異常はなかった、と一言告げた。


「すまない。見回りを頼んでしまって」

「いや。そろそろ休んだらどうだ。火の番なら俺がする」


セシルは少し考える。
今カインの顔を真っ直ぐに見たら堪えられる自信がない。
かと言って、顔も見ずに立ち去るなどしてしまうと、不可解な行動にカインが一晩中悩むかもしれない。

少しの間を置いて、いや、とセシルは答えた。


「もう少しこうしているよ」


そうか、とカインは短く返す。
そのままテントに戻るのかと思いきや、カインは焚き火を挟んでセシルの向かいに座り込んだ。

どうして!そこに!座る!
炎にちらちらと照らされた顔がダイレクトに目に入り、鼻から変な息が漏れた。


慌てて顔を逸らす。
勿論大変なことになっている顔を見ないようにだが、カインはく、と息を飲んだ。

ああきっとまた何か考えてる。全くの検討違いなことを。
セシルは声を掛けてやりたいと思う反面、絶対に笑ってはいけない竜騎士とか余計なことが脳裏にちらつくのが止められなかった。


「…セシル」

「ぼくは何もしてない!全部エッジが…」

「エッジ?」


カインが首を傾げる。
しまった。頭の中が一杯で言わなくてもいいことを口走った。

いいや何でもない、と打ち消したが、その際にカインの方を見てしまった。
今更顔を背けることなど出来ない。

カインは曖昧に頷くと、じっとセシルを見詰める。


「…何故起こさなかった」

「それは…よく寝ていたからだけど」


セシルはカインの顔を、平行法を駆使して見詰め返した。
これなら何とか行ける。気がする。


「今日はまだ先に進めた筈だ。俺のせいで野営をするはめになった」

「カイン。それは違う」

「何が違うんだ。俺を気遣うのはやめてくれ。俺にそんな資格は…」


駄目だ。目がちかちかしてきた。
慣れないことはするものじゃない。

じんわりと視界が一つに戻っていく。
カインのは表情は真剣そのものだ。
しかし、口の周りを楕円で囲まれ、鼻の先を黒く塗られ、顔の中心から半分を白黒対称よろしく塗り潰され、おまけに起きてはいけないというので兜を外さないままだったために、目元から上はまっさらだ。


エッジ…君、才能あるよ。
何の才能だかわからないけど。


腹筋も既に限界を超えた。
セシルは盛大に吹き出した。


「…な…?」


腹を抱えてげほげほと咽せ込むセシルを、カインはぽかんと口を開けて眺める。
何とか息を落ち着けて姿勢を正したが、その顔を見た途端にまた吹き出した。

何が何やらわからないままにもカインは慌ててセシルの傍らに寄り、背中を撫でてやる。
近くにある顔を見ることはセシルには出来なかったが、背中を往復する掌の温かさに、やっぱりカインはカインだ、と至極当たり前のことを思った。


はあ、とやっと落ち着いた息を吐いてセシルは今度こそカインを真っ直ぐ見た。
呼び慣れた名を口にすると、カインの体が僅かに強張る。


「おまえ、気にしすぎだ。そんなに気遣ってはいないよ。悪いけど」

「…だが」


食い下がるカインを、セシルはくすくすと笑いながら制する。


「本当に時間がないなら背負ってでも先を急いでる。今日はゆっくり休めたし、ぼくたちは色々楽しんでいたから」

「…俺のせいで」

「カインのおかげで」


言い直すも、カインはまだ納得のいかない顔をしている。
分からず屋だな。

セシルは笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を手の甲で拭うと、一つ息を吐いた。


「とりあえずさ、鏡見ておいで」








以後、眠りがデストラップ化。
誰も信用出来ない。




戻る


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -