傾けた瓶から最後の一滴が落ちると、シドがグラスを揺らして不満げに鼻を鳴らした。
「何じゃ、もう終いかい。酒が足りんぞ!」
「そう急かすなよ。まだある」
空の瓶を置いてカインが席を立つと、シドはにんまりと笑む。
苦笑を返しながら、居間の端に位置する棚の方へと向かう。
この家に帰ってくるのも久々だった。
両親の遺した家は独りでは広すぎる。
バロンに居た頃も、竜騎士宿舎の部屋に寝泊まりすることが多かった。
薄いガラス戸の奥にある数々のウイスキーやブランデーの瓶にはカインが自身で買い足したものは少ない。
殆どが父の集めていたものだ。
こうして遺されたものに触れていると、色々なことが蘇ってくる。
もう古ぼけて色褪せた家族写真を昔のままに飾っているのも、哀愁に隠された未練なのかもしれない。
迷った末、やはり自身で仕入れたものを手に取ってシドの元へ戻る。
待ち切れないとでも言うように一気にグラスを煽るシドに、またも苦笑する。
またこんなときがやってくるなんて思いもしなかった。
ゾットの塔でカインは自身を取り戻し、仲間の元に帰ることが出来た。
しかし、操られていたと言えどセシルを裏切ったのだ。
唯一無二の友人に刃を向けた。
その上ずっと秘めてきた、そして永遠に明かすことのないと信じていた気持ちを最悪の形で露呈することになるとは。
共に戦おうと言ってくれた二人の言葉は嬉しかったが、それ以上に胸が痛む。
カインの胸の内を察したのだろうか、ゴルベーザを追って地底への道を探す前の、バロンでの休息のこのひとときにシドが二人で呑もうと声をかけてくれたときは心底安堵した。
「それにしても、お前と杯を酌み交わす日がくるなんてな」
「よく言う。俺に酒を教えたのはあんただったぞ」
コルクを抜いて新たにグラスを満たしながら言うとシドは、そうじゃったかな、と肩をすくめてみせた。
そして、すとんと肩を落とすと息を吐く。
「…テラとも一杯やりたかったのう」
シドの背中に落ちた陰にカインは言葉をなくして俯く。
高名な賢者であるテラ、カインがその姿を見たのは一度きりだった。
ゴルベーザを倒さんと命を削って大魔法を放った、そのときだけだ。
娘の仇だったと聞く。
カインが敵に回っていなければ、救えたかもしれない命だった。
「…すまん」
「何でお前が謝るんじゃい。謝らなきゃならんのはあのクソジジイの方じゃ」
言いながら勢いよく腕を振るったために、琥珀色の液体がグラスから零れる。
おっとっと、とシドは布巾で濡れたテーブルを拭いて、静かに言った。
「カインは…お前はちゃんと戻ってきた。それだけで充分だ」
俯いたまま、それでもカインが頷くとシドはグラスを空ける。
視界の端でそれを捉えながら、ぽつりと漏らす。
「…みっともないところを見せちまったな」
シドがぴたりと動作を止める。
何のことを話しているのか、言葉少なにしても伝わったのは明らかだった。
「二人の仲を裂こうなんて気はこれっぽっちもなかった。…伝える気も。だが、祝福出来る程俺は…大人ではなかったんだ。それでも幸せになって欲しいという気持ちに嘘はない」
すらすらと口をついて出る胸の内に、カイン自身が驚いていた。
吐き出してしまいたいのかもしれない。
「俺はローザを…だが、それ以上に二人は大切な友人だ」
シドは黙って聞いていた。
一度溢れた想いは洪水のようで、留まるどころか制御の仕方すらわからない。
「諦めようとした。何度も。…それでも」
そのほころぶような笑顔が好きだった。
小さな花が咲くような微笑みを見る度に体の中に木漏れ日が落ちる。
初めて涙を見たとき。
彼女の父が亡くなったとき、バロン郊外の海の見える公園で一人泣いている背中を見たとき。
傍に居ようと、何に代えても護ると心に誓った。
そしてカインの両親が命を落としたときには、彼女が傍に居てくれた。
カインは緩く首を振る。
「あんたには…知られたくなかった」
小さな頃から見知っていた、成長を見守ってくれていたシドには、あんな姿を見せたくなかった。
兄代わりとしてあの二人を支えているのだと、思っていて欲しかった。
どちらのものとも知れぬグラスの中でからりと氷が音を立てる。
シドが小さく息を吐くのが聞こえた。
「知っとったよ」
「…え?」
カインが思わず顔を上げる。
シドはグラスの中身を一気に飲み干すと顔の高さで揺らして、苦々しげに笑った。
「何年お前らを見てきたと思っとるんじゃい」
言って、グラスをテーブルに置く。
かつんと高い音がした。
「支えてやれなくて、すまんかったな」
「…いいや」
カインはテーブルに視線を落とすと、おもむろに自身のグラスを手に取って半分程残ったアルコールを一気に飲み下した。
喉に引っ掛かる感覚と共に、咳き込む。
「おいおい、何やっとるんじゃ」
「……むせた」
けほ、と咳を繰り返しながら今一度顔を上げたカインの、少しだけ潤んだ目を見てシドはやれやれとカインの肩に手を置いた。
「ゆっくりでいいんじゃ。…ゆっくりで」
置かれた手のひらの暖かさに、カインはそっと目を閉じる。
「ああ…そうだな」
シドは一つ頷くと、空になったグラスに次を注いだ。
そして、ぱしんと肩を強く叩かれる。
「今夜は呑め。わしも呑むからな!」
耳に心地好い音を立てながら、グラスが淡い色に満たされていく。
度の強いのウイスキーのその色は、褪せた写真の色に重なって見えた。
バロン組はセピア色を共有出来る関係。
そして、「きみにそばに…いてほしかったんだ!」をそのバロン組全員に見られたカイン哀れ
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