胸元からハンカチを取り出し、汗を拭う。
もうすっかり葉の落ちる頃だというのに、日差しはまだ弱くなる兆しを見せない。

彼の名はWarrior of Labour。通称WoL。
企業戦士である。


株式会社コスモス。
優良企業と名高い彼の会社に就職したものの、WoLの入社二年目にして経営が傾いた。

周囲がばたばたと辞めていく中、WoLも辞表を書いた。
たった二年でまたも訪れた就職活動の機会に呆然としながらも社長室のドアを叩いたWoLが見たものは、声も出さずさめざめと泣き崩れる社長――コスモスだった。

言わんとしていたことは全て吹っ飛び、WoLは辞表を破り捨てた。

光は我らと共にある。
肩に手を置き言うと、コスモスは濡れた瞳で、けれど力強く頷いた。

それからは馬車馬のように働いた。
元々の部署であった営業を主に、事務も経理もこなし開発部にも顔を出し、三年。
社員は少しずつ戻ってきていたし、新入社員も入った。
昔のようにとはいかないが、確実に立て直してきていた。


ハンカチを鎧の胸ポケットにしまい直す。
鎧と言うと語弊があるが、スーツはサラリーマンの戦闘服だ。
心情的には間違ってはいない。
兜までも装着しているのは些か不似合いというか、シュールの域なのだがWoLにとっては至極当たり前のことだ。
突っ込まれることが多いので、何か聞かれたら「趣味です」と答えることにしている。
そう言えば最近、合コンに誘われなくなってきた気がする。


腕時計を見る。
約束の時間の丁度五分前だ。

自動ドアをくぐると流れてくる冷たい空気にほんのり心が安らぐものの、すぐに気を引き締める。
受付から通されたフロアのドアをノックして、返事を確認してから入室する。


「失礼します。お電話していたコスモスの…」


WoLの言が途切れる。
開かれた瞳は僅かにたじろいだ後に、鋭く光る。


「ガーランド…!」


開いたドアの先に居たのは、知人…いや、宿敵とも言える相手だった。

コスモスの経営難はガーランドが起因のようなものなのだ。
社命を賭けた一大プロジェクト、『セーラ』の情報をライバル会社に売ったという。
長くコスモスに勤め、以前はWoLの直の上司でもあった。
WoLがフルフェイスの兜を常に身に付けていても違和感を覚えないのは彼の影響も強い。
産業スパイだという確証があるわけではないが、『セーラ』が株式会社カオスから売り出され、その後ガーランドがコスモスを去りカオスで地位を得たのは確かなことだ。

取引先の社員が目を丸くする。


「おや、お知り合いですか」

「いえ…では、私はこれにて」


WoLの横をすり抜けてドアの向こうに行ってしまうまで、ガーランドは一度もWoLと目を合わせようとはしなかった。

本来なら掴み掛かってやりたい。
お前は自分が何をしたかわかっているのかと、この卑怯者と、力の限りに罵ってやりたい。

けれど、今は私怨より優先すべきは社運だ。
WoLは冷静であれと自信に言い聞かせると、待ちぼうけをくらわせてしまった社員へと振り返る。


「株式会社コスモスのウォーリアです。先日お電話差し上げた件ですが」

「ああ、あれね」


言って、少し気まずそうに頭を掻く。


「カオスさんの所と別件で取引してたんだけど、探してたプログラムで似たようなものがあるらしくて。サポートもしてくれるって言うんで、今お願いしちゃったんですよ。なので今回は…」

「そうですか…」


WoLの眉が僅かに寄る。
吊り上がりそうなのを心して抑えた。


「では、また機会がありましたら是非」


名刺を手渡し、一礼して部屋を出る。
途端に足を速め、出口へと急ぐ。

飛び込み営業など、断られるのが日常茶飯事だ。
そんなことよりも今は。


「…ガーランド!」


ビルの外、街路樹の並ぶ歩道を見渡すもその姿は何処にもない。
WoLは日差しに似合わぬ木枯らしの吹く中、唇を噛んだ。




結局この日は契約を取ることは適わなかった。
運が悪かったのか、無意識の内に上の空にでもなってしまっていたのか。
WoLは会社に戻り、報告書と一通りの事務作業を片付けてやっと帰路に着く。

マンションの一室に戻ってシャワーを浴び終えた頃には時計の針は既に十二時を回っていた。
髪を乾かしながら、姿見に映る自分を眺める。
癖が強く艶もない髪は不精の為と思われがちだが、WoLはヘアケアには余念がない。
キューティクルが死滅したのはまさにここ三年のことだ。
毎日に忙殺され、ストレスでも溜まっているのだろう。
免許更新のときに以前の免許証を深く考えずに捨ててしまったことを今更ながらに後悔する。
輝くエンジェルキューティクルが懐かしい。

溜め息を深く吐く。
こんなときにすぐ寝てしまっては疲れが取れない。
WoLは乾いた髪を手櫛で軽く整えると、ジャケットを羽織り部屋を出た。

目指す先は、二十四時間営業のスーパー『コーネリア』だ。
徒歩五分程度の距離にあり、更に二十四時間開店しているとなると、WoLにとってはまさに天使の差し伸べる手のような存在である。
向こう岸に渡れなくて立ち往生していれば橋を掛けてくれるのではないかとすら思う。

湯上がりの体には低くなった気温は厳しいが、冷え切る前に到着する。
深夜は自動ドアの電源は切られている為、手押しの扉を押して入店すると暖まった空気が心地好い。

真っ先に目指す先は惣菜コーナーの隣、デザートのコーナーだ。
日付が変わった後は賞味期限の切れそうなパック入りのケーキなどが半額になるのだ。
WoLは甘いものが苦手そう、と言われることが多い。
実際、好んで甘味物を摂取することもそうないのだが、バレンタインに軒並み煎餅を貰ったときは辟易した。
幾ら相手の好みに沿おうという心遣いが美徳でも、ロマンというものがあるだろう。
唯一コスモスだけだった。
ハート型の………煎餅をくれたのは。

それはそうと、甘いものは好きではないが嫌いでもないのだ。
疲れたときには甘いものが欲しくもなる。
デザートコーナーに着くと、目当てのケーキを探す。
半額の赤いシールが貼られた二つ入りのショートケーキが残り一つだけ置かれている。
幸運だ、と手を伸ばした。


「あっ…」


声が二つ上がった。
一つはWoLのものであり、もう一つは、ケーキの真上で触れ合った手の持ち主が発したものだった。

咄嗟に手を引くと、相手も同じ行動を取る。
そのとき初めて相手を見た。
年の頃は四十絡みといったところか。
WoLと一回り、いや、そこまでは離れていないのかもしれない。
姿格好はWoLと同じように、風呂上がりのようなラフな服装だ。
男は引っ込めた手を行き場なさそうに握っている。
WoLは一歩引くと、手をひっくり返して差し出した。


「あの…どうぞ」

「いえ、そちらこそどうぞ」

「私は二つも食べ切れませんし、どうせ一つは味が落ちてしまいますから。奥様に頼まれたのでは?」


男は照れ臭そうに笑う。
人の良さそうな笑みだった。


「私は独り身なのです。今日中に食べ切れないのは同じだと思いますし、あなたこそ」

「私も独り身です」


WoLもつられて笑った。
しかし、これでは譲り合いが続くだけだ。
埒があかない。
WoLはふと思い立ち、少し待っていてください、と場を離れた。
すぐ傍の惣菜コーナーに近寄ると、大きめのプラスチックの折を手に戻る。


「二つ入りですし、どうせなら分けませんか」


そう言うと、男は少し笑って頷いた。
流れでそのまま一緒に惣菜コーナーを回る。
それぞれ幾つか買い物籠に入れながら世間話をする。
男もWoLと同じくサラリーマンで、会社の経営方針に疑問を抱き近年転職したそうだ。
なるほど会社に殉ずるだけではなく自身に合った会社へと移る考えもあるのかと、WoLは内心頷いた。

会計のときには、ここは私が、いえ私がとサラリーマンの日常を繰り広げることになったが、男がちらりとWoLの手元を見たのに気付いて口を噤む。
その視線の先を追うと、WoLの手に握られた折がある。


「ケーキの分は私が持ちますので、あなたの方が折でも良いですか?」

「…わかりました、お願いします」


WoLが引くと男はまた笑みを浮かべた。
会計が済んでスーパーを出ると、ケーキを一つ折に移す。
その傍ら、WoLはやはり座りが悪かった。


「…あの」

「何か?」

「もしまたお会いすることがあれば、次は私に奢らせては貰えませんか」


男は少し驚いたように目を見開いた後、ええお願いします、と微笑んだ。


スーパーの前で別れて、一人帰路に着くWoLのは少しだけ浮き足立っていた。
あの人の良い笑み、あの心地好さにもう一度会える日を心待ちにしている自分に気付く。
これから暫くは、深夜のスーパーに出向く日が増えそうだった。


一方、もう一つのケーキを持ち帰る足取りも何処か軽かった。
若いのにしっかりしていて気遣いも出来る、あの青年に出会ったことを確かに喜んでいる。
男は…ガーランドは、指に引っ掛かるナイロン袋の僅かな重みに、先程のような笑みを浮かべた。








Warrior of Labour
就業スタイル→オールラウンダー

現パロにしても、状況が状況だけに口調がかけ離れすぎた。




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