まずは、礼儀を重んじてノックをした。
返答はない。
次いで預かっているスペアのカードキーを通すと、ソルジャー寮のものとは格段に質の違うドアロックはいとも簡単に開いた。
中に入ると、無駄に広い室内の中目的の人物はあっさりと見付かった。
ベッドではなく、ソファーの上に。
ザックスは息を吸うと、びしっと足を揃え敬礼の構えを取った。
「おはようございますサー・セフィロス!失礼ながら、起床の時間を過ぎているかと思われます!」
軍隊仕込みのよく通る声を張り上げたのだが、毛布にくるまった体は身じろぎすらしない。
ザックスは深々と溜め息を吐くと、今度は限界まで息を吸った。
「おいおっさん!いつまで寝こけてんだよ!寝坊だっつの、ねーぼーう!」
言いながら蹴りをくれてやると、毛布の塊はやっともぞりと動いた。
まるで脱皮するかのように時間をかけて毛布から出てきたのは、目の覚めるような銀だ。
だが、次いで覗いた一対の目は覚めるどころかまだ殆ど開いていない。
「…おはよう」
「はよ。あんた、俺が居ないと朝も起きらんねぇの?」
呆れ顔で見下ろしてやると、セフィロスは目頭を指でぐっと押さえた。
ソファーの周りには空っぽのウイスキーの瓶やグラスが転がっている。
ザックスはそれを片付けながら、今日は小言の一つや二つは言ってやろうと心に決める。
何だかんだで毎日言っているのだが。
「寝酒はいいけど、ちゃんと片付けろって」
「呑んでそのまま寝た。無理だ」
「明らかに昨日のじゃないのがあるんだけど」
ゴロゴロと幾つも転がるグラスの一つを拾い上げ、翳してみせる。
ソファーの上に起き上がったセフィロスは、ばつの悪そうに目を背けた。
それを見てザックスは少し笑おうとしたが、すぐに、ああ!と声を上げた。
「あんたまた着替えないで寝ただろ!シャツしわくちゃじゃねーか!」
「別に皺くらいどうってことない」
「どうってことあんの。あんた自分のイメージってもんわかってる?」
セフィロスは肩を竦める。
ザックスも倣って、ですよねーと肩を竦めた。
「ま、いいから早くバスルーム行ってこいよ。寝癖と髭、ひどい」
「朝から忙しない奴だ…」
「ミーティングまであと三十分なんだよ!」
セフィロスをバスルームに押し込むと、ザックスは漸く腰を下ろすことが出来た。
まだ温もりの残るソファーに座り、投げ出されたままの毛布をきれいに畳むと背もたれに体を預ける。
柔らかい。
流石はソルジャー1st様の家具だ。
ソルジャーは原則二人行動を義務付けられている。
協力し合うのは勿論だが、一人が失態を犯せば連帯責任となる。
しかし、1stはその限りではない。
単独行動も許されているが、組みたければパートナーを決めても構わない。
志願者は付き人代わりに2ndと組むことも可能だ。
目をかけている者を本人が指名する場合もあれば、有望なものを自動選出するときもある。
憧れの1stと組めるということ、1stと組めば一段階上のミッションに参加出来るということもあり、当事者は2ndの羨望の的であった。
しかし、とザックスは溜め息を吐く。
セフィロスと組んでから、溜め息の回数は増えている。確実に。
孤高のイメージが強いセフィロスが何故2ndと組むのかが謎だったが、今や一目瞭然だ。
オフのセフィロスは壊滅的にだらしない。
完全無欠のセフィロスは、数々の2ndたちの努力によって作られていたのだと思うと涙が出る。
ついでに、それが今ザックスの仕事なのだと思うと号泣ものだ。
「ザックス」
名前を呼ばれ、はっと我に返る。
随分ぼーっとしてしまっていたようだ。
セフィロスの姿はない。
バスルームから呼んだのだろう。
「どしたー?」
「髪が絡まった。どうにかしてくれ」
「ああもうっ!」
バスルームに飛び込むと、そこはやはりザックスに与えられている部屋のものとは広さも設備も全く異なっていた。
洗面台の前には小洒落た椅子まである。
その椅子の上で、憤然とした表情のセフィロスが櫛を差し出してきた。
溜め息を更に増やしながら受け取る。
セフィロスを椅子に座らせたまま、何度か丁寧に梳いてやると、こんがらがった髪は驚くほど真っ直ぐに収まった。
「戦闘のときはどんなに小さい的でも一撃で仕留めるくせに、何でこんなことが出来ねーかな」
「髪を仕留める気はないからな」
「そういうこと言ってんじゃ…」
「すまないな」
「へ?」
突然の言葉にザックスは目を丸くする。
今のは謝罪の言葉、に聞こえた。
「…何が?」
「いつも面倒をかけてばかりだ。迷惑だと思っているだろうな」
セフィロスは眉一つ動かさずに言う。
だがそういうときは大概、意識して表情を作らないようにしているのだとザックスは知っていた。
ザックスは困惑して、オールバックの額をぽりぽりと掻く。
確かに面倒臭いし、どうしようもない奴だと思う。
けれど。
「…別に、俺も厭々やってるわけでもないよ。あんた、何か放っとけねーんだもん」
「放っておけない?」
「そ。だから半分は俺のお節介」
そうか、と言ってセフィロスの表情が少し柔らかくなった気がした。
「なら、礼は言わない」
「いや言えよ、礼くらい」
セフィロスは、面倒な奴だと言わんばかりに横目でザックスを見上げた。
こういうところがむかつくんだよ。
セフィロスは顎を上げると、ザックスの方に手を伸ばした。
手はザックスの後頭部にかかり、引き寄せられる。
されるがままになっていると、近付いてそのまま、唇同士が触れ合った。
すぐに離れた顔を見ながらザックスはぽかんと口が開いてしまう。
「…え…な、何してんの」
「礼だ」
「あのさ、少しは考えてくんない?男にキスされて喜ぶ奴があるかよ」
ザックスの後頭部を押さえていた手はするりと下りて、次はセフィロスの顎を押さえた。
首が傾ぐ。
「おかしいな。前の奴は…」
「したの!?」
「喜んでいたぞ」
「あー…それは、ちょっと特殊な人種だったんだよ、そいつ…」
戦地にてその役目を終えた前任者に冥福と軽い幻滅を捧げる。
あの人、そっちの人だったんだ…
セフィロスは相変わらず不思議そうな顔をしているので、いいのいいの、と手を振る。
「とにかく、俺はそういうのいいから。どっかメシでも連れてってよ。ちょっといいとこ」
「わかった。探しておこう」
セフィロスが口元を弛ませる。
滅多に見られない笑顔だ。
朝からレアなもん見ちゃったなあ。
そう思うと、ザックスの顔も自然と弛んでしまうのだった。
「…ところで、時間がないと言っていなかったか」
「あ?ああ、こんだけ時間ありゃ大丈夫だろ」
親指で壁時計を指すと、セフィロスの視線が追った。
そしてザックスの方へ戻される。
「その時計は止まっているが」
「……あんたなぁ!!」
慌てて腕時計を確認すると、既にミーティングは始まってしまっている。
幾ら部屋の主が信用ならないからって、部屋自体が信用ならないとは思わなかった。盲点だった。
セフィロスを半ば引っ張るようにして部屋を飛び出す。
廊下には「走行禁止」の貼り紙があるが、とても気にしてはいられない。
第一、好きで走ってるわけでもない。
だが、とすました顔で併走するセフィロスを見やる。
これもセフィロスの世話の内なら、好きでやってるのだろうか。
自分も相当末期かもしれない、とザックスはまた軽く溜め息を吐いた。
「ザックス」
「何すかー」
「おまえの唇は案外柔らかいんだな。意外だ」
「そういうこと言わないでくれる!?何か恥ずかしいんですけど!」
不器用で大ざっぱなセフィロス。
ザックスはセフィロスの女房役って呼ばれるのは本望かもしれないけど、これは裏でかみさんって呼ばれてそう。
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