「よし、」
ぱちん、と何かがはじけるような音かと思って顔を上げれば、目の前で姉貴が、両手を合わせてたたく音だった。白くて長い指と手のひらは、静寂の部屋中を満たす、大きな音を響かせると、彼女は口を開いた。
「ところでさ、確かに湊は頭いいし、勉強すりゃあ入れるかもしんないけどさ、あそこは、金持ちぼっちゃん私立校なわけよ?わかる?」
姉貴は、目の前で笑う。ただ、笑って。
「入れるわけないんだよね。コネとかなくちゃ」
うち、一般家庭だもん。むりむり、奨学金でもとんなきゃ家計あぶないし、第一、あそこ金持ちしかはいれないもん。いれないもん。コネが必要なんだよ。コネが。
「じゃあ、無理じゃん」
「無理って誰が言った?」
「ごめんなさい」
姉貴は昔から、無理とか妥協とか、そういうのが嫌いだ。精神主義って奴。気合さえあれば、なんだってできる。そういうタイプだ。だから、意地でも、一回言ったことは、やりとおす。そういう部分は、尊敬に値する。
「湊くん、お姉ちゃんの職業を言ってみなさい?」
「秘書だろ、どっかのでっけえ会社の」
「そうそう、その会社、私立の学校運営してんのよ」
そこまで言われて、おまえ、マジ、正気?頭の中で、思ったけれど、彼女の勝ち誇ったような表情を見れば、それは、マジらしい。どうやら、本当らしい。
「…コネ、あんのかよ…」
「まあ、社長というよりは、理事長」
「裏入学じゃねえ?それ」
「勉強できるからだいじょうぶっしょ」
かる…。
とりあえず、俺は、その学校に入ることができるらしい。
「…だいじょうぶ、だから」
入学できることが?
そう、言えるはずなんてなかった。分かり切ってる。何に大丈夫、なんて、甘い言葉を、姉貴が俺なんかにぶちまけるのかなんて。分かってるよ。でも、大丈夫だなんていわれたって、ぬぐえるはずないんです。
「ほんと、なきむしだよね、湊って」
「ないてねーし」
「そう?」
頭をやさしく彼女は梳くようになでた。
ふわり、ふわり。漂うように、俺の上を徘徊した温度は、すぐに消えてしまって、その代わりに、それは俺の手をやさしく握っていた。
「別にいいじゃん、女の子じゃなくたって」
確かに結婚も子供うんで家庭つくるのも、何もできないよね。普通の幸せっていうの、味わえないのかもしんない。でもいいじゃん。それがみんなの固定のそれだとは限らない。湊がそれを望んでいるのかもしれないけど、ほかの形でも、十分、幸せになれるはずだから。ね。
諭さなくたって、いい。
分かってるよ、そんなことくらい。ただ、少し、ショックだっただけ。
だから、もう、ちょっと、こわいんだ。
「…姉貴」
「なに」
「何たくらんでんだよ」
は、っとした。姉貴の。表情。バレてねえとか思ってたか、ばかやろう。
「…何も?」
「へえ」
「うーん、まあ、頼み事かなあ?」
えへへ、なんていって、かわいいポーズなんてしてもまったくかわいくねえぞ。
「コネまでつかってあげるんだからさ、お姉ちゃんのお願い聞いてくれるよね?湊くん?」
怖い。
たくらんでることが、何なのか見当もつかないあたり、ちょっと、いやだ。なにこのひと。ちょっと、なに、これ。
「なんでしょうか」
にっこり。魔王。再び。笑顔。再臨。
「王道会長なって来い」
あ、こいつ、末期の腐女子だった。
「…王道会長って」
「さんざん携帯小説よませたでしょう?」
「あの俺様の」
「王道転校生に俺のモノ発言する奴」
「それは分かってる」
「それが、条件」
拒否権なんて、ないだろどーせ。
のみこめない、わけが、ない、ん、です。
姉貴の笑顔を、俺はただ、首を縦に動かすだけだった。