※笑顔に滅菌作用はありません
朝、教室に着くと、俺は第一にカバンの中から消毒液をしみこませたナプキン取り出すと、机といすにまんべんなくふいた。周囲の人間はそれを見て、笑うことも嫌悪することも何もなく、それは俺にとっても、周囲にとっても日常、常識であるのだ。

「あ、梨本おはよー」
「おはよう」
「今日も元気に潔癖症?」
「そうだなー、お前の顔に消毒液ぶっかけんぞ」
 そう言って、クラスメイトと笑いあう。俺の声は、朝の教室に響いた。


 俺は、潔癖症だ。
 社会的に見たら、あれなのかもしれないが、この学校なんて周りには変人しかいないのだ。潔癖症の人間がひとりふたりいたって、まあ、なんもかわんないだろう。
 なんせ、男に男が恋するやからが9割もいる学校だ。(俺は中等部からの外部生で、小学校の時の女友達には「さすが王道」となだめられた。)

 そして俺、梨本は小学校の時は潔癖症でもなんでもなかった。どこにでもいる普通の男子だった。ただちょっとサッカーがうまかったくらいだ。(潔癖症になって、サッカーはできなくなった)
 この学校に入って2カ月ほどたったころ、たまたま授業をさぼっていて、いいところないだろうか、と学校を探検しているときだ。

 この学校では当たり前の、制裁。
 まあ、ようするにうと、暴力と強姦。

 それをみたとき、きもちわるくてたまらなかった。中学一年生の俺には、刺激が強かったのだ。

 それからは俺はずっと潔癖症で、同時にちょっとした人間不信だったが、それは4年ゆっくりと時間をかけて、最近ようやく完治とまではいかないものの、ほぼ治ったといえる状態になった。

 現在、高校3年生。
 しかし、潔癖症は確かに軽いものにはなったものの、いまだに治らなかった。
 親はこのまま社会に出るのは難しいんじゃないかと言っている。(まあようするに高3の今年中に頑張って直せっていっているということだ。無理だ。)

 ふう。
 溜息をつけば、ふわり、と空気中の誇りが舞って、思わず、椅子から転げ落ちそうになった。


「ぶは、っ」
「え、なに…」
「だって、おかしかったから…!」

 その動作を見られていたらしかった。隣の席の彼が、吹き出した。
 手に口をあてて、笑う。笑う。わらう。 
(侵食される、けがされる、侵される、感覚、)

 俺自身、何も彼にはされてはいないのに、唾液をとばされることも、ふれられることも、なにもされていないのに、彼の笑顔を見たとき、いつも、そういう感覚に陥ってしまう。

(…これ、は、なんだ、…)

 ぐるぐる、と、頭で渦巻く、これはなんだ。


「梨本ってさあ、潔癖症なんだよね?」
「…消毒液、ぶっかけようか?」
「いや、遠慮するけど。…潔癖症ってさ、喋ると唾液飛ぶし、喋るのもだめなのかと思ってたんだよね」
「……」
「だけどさ、梨本みてると、めちゃくちゃ普通だなあ、って思うよ。」
「…そう、か」
「うん」
「……ありがとう」
「いえいえ、むしろ、ごめんね。でも、ありがとう」

 なんで、彼にありがとうと言われたのかはわからなかった。なんかいってたらしいが、そんなのはみみにはいんなかった。


 その、笑顔。
 笑顔
 えがお
 えがお。

 
 その笑顔をみるたび、侵されるような感覚が襲う。穢されて、汚されて、侵されて、犯されて。そんな感覚が襲う。跳ねる心臓はもうとっくに、侵食されきっている。(ああ、この心臓に、殺虫剤をぶちまけたい)ああ、なんだろう、これ、は。脳が麻痺する。熱い。熱い。熱い。熱暴走するような、ああ、ああ、これは、なんだ。


 ぞくり、とした。
 そして、気付く。

 もやもやしていた、脳がはれる。ああ、そうか、これは、これは。




 恋、か。





「…梨本…?」
「…っえ、あ、あ、え、な、にさあ。あ、ごめん、っ」
「何が?ってか、梨本大丈夫?顔、赤いけど」



 破裂しそうな体を抱える俺は、全身に消毒液をまきちらしてやりたくなった。


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bkm

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