時間
本当に俺なんかが行ってもいいのかな、って。出発の前の日からずっと考え込んでいた。
目的地に向かう電車の中でもその不安は消えなくて。
その不安に追い討ちをかけるように、勝威さんから告げられた行き先は俺の考えていたものとは全然違う場所だったんだ。
「……あの、ほんとに俺行っても大丈夫なの?」
「お前が嫌じゃなければな。」
嫌だったらこんな所までついて来ていないけどさ。
合格発表の結果報告。最近はわざわざ現地へ出向かなくても合否はネットで確認ができる。
落ちるわけないって信じてたけど、勝威さんから聞く前はやっぱりドキドキした。
結果、思ったとおり。
勝威さんは4月になったら第一志望の大学に行く。離れ離れになることはずっと覚悟していたことだ。
行きの電車の中、隣に座る勝威さんは窓の外を眺めている。その表情はどこかいつもと違う気がした。
当然といえば当然か。
……8年ぶりの再会だもんな。
「合格したって聞いたら、喜んでくれるかな。」
「……どうかな。」
俺達が向かう先。
それは勝威さんの、本当のお母さんが住んでいる家。
勝威さんが10歳まで過ごした場所だ。
++++ ++ +++++ +
電車を降りてからバスに乗り継いで30分。住宅街の中、純さんから教えられた住所を2人で探した。
辿り着いたのはこじんまりとした庭のある一軒家。周りの家と比べると小さく感じる、だけど一人で住むには広すぎるかもしれない。
玄関のドアの前、インターホンのボタンを押すとこちらへ向かう足音が聞こえてきた。
前に立つ勝威さんの背中から緊張が伝わって、たった何十秒かの 時間がとても長く感じた。しばらく待っていると、鍵を開ける音が響いて女の人が顔を出す。
「いらっしゃい。」
小さく呟いて、微笑んだ。
線の細い綺麗な人だった。長い黒髪を後ろで束ねている。年は40後半だって聞いているけど全然そんな風に見えない。
勝威さんには似ていなかった。純さんと勝威さんがそっくりな所を考えると、きっと父親似なんだな。
「…お久しぶりです。」
「できれば敬語はやめてほしいな。まぁ8年ぶりじゃ仕方ないか。私は純ちゃんから貰った写真でいつも見てるけど、勝威にとっては知らないおばさんだもんね。」
「そういうわけじゃ……。顔も。覚えてるから。」
「……ありがとう。」
感動の再会は思っていたよりも大分静かだった。ドラマみたいに泣いて抱き合う姿を想像していたわけじゃないけれど。
リビングへ案内されて勝威さんと2人並んでソファに座る。
……落ち着かないな。
いや。当たり前か。俺部外者だし。タイミングを逃して自己紹介すらもできていない。
お茶を運んできてくれた勝威さんのお母さんは、ソファの近くにある食卓テーブルの椅子に腰をかけた。
「大学、合格してたよ。」
「本当?おめでとう。東京へはいつから行くの?」
「再来週くらいには。あっちでも1年目は寮に入ることにしたから、住む場所はもう決まってる。」
「そうなんだ…。」
会話はまだ少しぎこちない。2人とも互いの距離を測りかねているような。8年間か。空白の時間は、そんなに簡単には埋まらないのかな。
「純ちゃんから、勝威話は色々聞いてたの。一緒に暮らせない私が中途半端に関わるよりは高校を卒業するまでは会わない方がいいって思って…。何を言っても言い訳に聞こえてしまうと思うけど……」
「……俺は別に、なにも、」
「ごめんね。今まで何にもしてあげられなくて。」
勝威さんは何も返さず、視線を落したまま黙り込んでしまった。
"気にしていない"とか"謝らなくていい"だとか言葉にするのは簡単だけど、それだけで済むものではないのかもしれない。
長い長い沈黙。
誰も何も話さない。時計の秒針の音だけが部屋の中に響いていた。
「……ブライアン?」
沈黙を破ったのは勝威さんの声。顔を上げるとリビングのドアの隙間から一匹の小さな柴犬が顔を覗かせていた。
「ブライアンって…。」
勝威さんが小学生の頃に死んだって、言ってなかったっけ?
「あ、この子ね。最近飼い始めたの。犬はもう飼わないつもりだったんだけど、友達の家で産まれたこの子がブライアンにすごく似てて…。」
人懐こそうな表情をしてこちらへ駆け寄り、勝威さんの膝に前足を置いて立ち上がる。短い尻尾を嬉しそうに振っている。初対面の人を前にこんなにフレンドリーだと番犬にはなれなそうだ。
「名前は?」
「アレクサンダー。男の子だから。」
「またそういう名前つけて…。ブライアンのときも外で呼ぶの恥ずかしかったんだからな。」
そうか。ブライアンの名付け親もお母さんだったんだ。こんな可愛らしいのに随分強そうな名前だ。よくよく考えると勝威さん自身の名前もわりと強そうな名前だな、と思う。
「多分トイレに行きたいんだと思う。勝威、庭に連れてってあげてくれる?その子も勝威のこと気に入ったみたいだし。」
「なんで俺が…。」
文句を言いつつも勝威さんは不満そうな顔のまま、アレクサンダーを抱きかかえてリビングを出て行った。
犬、好きなんだな。犬を抱っこしてる勝威さんって何か新鮮で可愛い。アレクサンダーのおかげで重たい雰囲気が消えてくれて良かった。
……っていうか、お母さんと2人きりだ。結果的にこっちの方が気まずいじゃんか。
「勝威がまさか友達を連れてくるなんて思わなかった。」
「すいません…。俺関係ないのにお邪魔しちゃって…。」
「あっ、そういう意味じゃないの。むしろ嬉しいくらい。学園祭の写真を見せてもらってるから、ちゃんと知ってる。縁君と一緒の部屋なんでしょう?えーっと名前が…」
「守山鷹臣です。1年なので勝威さん達の後輩で… 。」
「勝威と仲良くしてくれてるのね。」
あらためて考えると、俺って今どんな立ち位置でいたらいいんだろう。ただの後輩がこんな所まで着いてくるってよく考えたらおかしいよな。
どんな風に思われているんだろう。
なんとなく返答に困っていると、リビングの庭に面した窓の向こうから鳴き声が聞こえた。じゃれつくアレクサンダーの相手をしている勝威さんが見える。
「勝威さんは、小さい頃どんな子だったんですか。」
「勝威はねぇ…欲しいものとか、してほしいこととか、全然言わない子。大事にしてるおもちゃも他の子が欲しがったら簡単にあげちゃったりして。私とのこと、勝威から聞いてる?」
「はい、小学生の頃から別々に暮らしてるっていうのは…。」
「そうそう、私が身体を壊して離れて暮らすことになったときも、"仕方ないな"って顔してた。」
「我慢強いってことですか?」
「我慢してたっていうより、 そもそも物にも人にも執着心が無くて…。手がかからないけどちょっと心配だったの。」
確かに今でも勝威さんは、周囲に対して極端に無関心だと感じるときがある。
例えば本を読むことも何か特定のことに興味があるわけじゃない。知識を求めるというよりも、活字を読むっていうその行為だけを繰り返しているだけのようにも見える。
こんなに一緒にいるのに勝威さんの好きなものってあまり知らないんだ。
だからさっき、アレクサンダーと一緒にいるときの雰囲気が、なんだか凄く新鮮に感じた。
そんな勝威さんが、離れても、何年先でも待ってるって約束してくれたことを思い出す。
ずっと一緒にいてくれる。
こんな自分を大切なものとして、手放さずに側に置いておこうとしてくれている。
「……勝威さんと会えて、良かったです。俺は。」
脈絡も無く自然と口をついて出た俺の言葉に、勝威さんのお母さんは少し驚いた表情を浮かべた。
やばい。何言ってるんだ俺。
「あ!今のは…変な意味じゃなくて…!」
「……私は最近の勝威のこと、写真でしか知らないけど。今年の学園祭のときの写真を見たときに表情が柔らかくなったなぁって思ったの。」
慌てる俺の言葉を遮って、窓の向こうを見ていた視線をこちらへ向ける。そうして、本当に嬉しそうに目を細めて、
「勝威と一緒にいてくれてありがとう」って。
俺の目を見て言った。
そのとき玄関のドアが開く音がした。アレクサンダーを抱えた勝威さんが部屋に入ってきて、そのまま俺の隣に腰を下ろす。
正直に言うと、色んな感情が込みあがってちょっとだけ泣きそうだった。それを勝威さんに悟られないように頑張ってこらえている。
窓から差し込む日差しは明るく心地良かった。
いつもは口数の少ない勝威さんが、今日は長い時間の隙間を埋めるように沢山話をした。
アレクサンダーはいつまでも勝威さんの膝の上から降りようとしない。
勝威さんのお母さんは最後まで優しくて、結局夕食までご馳走になってしまった。
帰りの電車の中。人目につかない端の方の席に座って、2人でずっと手を繋いでいた。
話したいことはあったけれど、言葉を交わすよりもその方が伝わる気がした。
手の平に感じる体温が暖かくて、確かめるように何度も握り返した。
俺はきっと今日のことを、ずっと忘れないと思う。
2週間後の日曜日。
桜の花が咲くのを待たずに、勝威さんは東京へ行ってしまった。
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