因循
「顔はもう痛くない?」
「うん、それは大丈夫。」
放課後の保健室は既に施錠されていて入れず、仕方なく真っ直ぐ部屋へ帰ってきた。縁の鼻血は部屋へ着く頃には止まっていた。「当たり所が悪かっただけでそこまで強くぶつかったわけじゃない」って縁は言うけど、顔面を肘で思いっきり殴られるって、相当痛かったはずだ。
「ほんとにごめんね…」
「もう謝らないでよ。わざと殴ったんじゃないんだから。洋介君から聞いたよ。僕の悪口言われてあんなに怒ってくれたんでしょ?」
「それはそうなんだけど…。」
「濱谷のことだから、どうせ僕のこと変態とかマゾとか言ったんでしょ。いいよ、言ってることは本当だし」
「だからってあいつに言われる筋合いないだろ!」
「……変態っていうのは否定しないんだね」
「そういえば縁、あの3年のこと知ってるの?」
「うん、あいつ兄貴にずっと付きまとってたし、兄貴のファンは多いけどあいつはちょっと病的なんだよ。僕なんか弟っていうだけなのにずっと敵対視されてきたし。最近は大人しかったのに、やっぱり鷹臣は気になるのかな」
…それは、どういう意味だろう。
「それよりさ、鷹臣も。なんで僕たちにすぐ話さないんだよ。どうせ"心配かけたくない"とかそんな理由なんだろうけど。一人で抱え込む性格直したほうがいいよ」
「…うん。ありがとう」
縁の言葉が胸に突き刺さる。自分の中で消化させればいいなんて甘い考えで結局俺は洋介や縁に迷惑をかけたんだよな。
そのとき、廊下をバタバタと走る音が聞こえてきた。
「みどりちゃーん、鼻血大丈夫?」
ドアが開き高遠さんが入ってくる。
「高遠…なんで鼻血のこと知ってるの?」
「洋介君だっけ?さっきわざわざ3年の教室まで来てくれて教えてくれたんだよ。俺ら今日教室でダラダラ残ってたからさ」
洋介が。何も頼んでないのに、気を使ってくれたんだなぁ。
明日また改めてお礼言わなきゃ。
「顔も腫れてないし、良かった。殴られたのも鷹臣君にだし、みどりちゃんにとってはラッキーハプニングだったね!洋介君から大体は聞いたけど鷹臣君もずっと色々嫌がらせされてたんでしょ?大丈夫だった?」
「はい、俺は全然大丈夫です」
ラッキー…っていう部分はスルーするとして、高遠さんがいるだけで緊張した空気が少し和らいだ。
「鷹臣はさ、実際兄貴とどうなってるの?」
「…え!?どうって…?」
「だってこんな面倒なことになってるのって結局のところ兄貴のせいでしょ。兄貴が鷹臣にちょっかいかけてて、そのせいなんじゃないの?」
「みどりちゃん、それはそうだとしてもさ。鷹臣君が勝威のことどう思ってるかでも変わってくるんじゃない?」
高遠さんのその一言で、縁がじっと俺のことを見つめる。同時に高遠さんも。2人は俺の答えを待っている。
この、空気。
俺…この2人に今打ち明けないといけないの?
「勝威さんが好きです」って?
なにそれ死ぬほど恥ずかしいんですけど…!
でもここで俺がちゃんと言わなきゃ勝威さん一人が悪者になってしまう。それは嫌だ。だって勝威さんが俺に気まぐれで手を出していたとしても、それを俺が受け入れている事実が確かにあるんだから。
「……す、きです」
聞こえるか聞こえないかくらいの声になっちゃったけど、言った。
声に出すことで、自分の中でだけ存在していた感情が人に渡ることで急に実感が湧いてくる。2人の顔を見ることができない。俺は今どんな顔してるんだろう。
「…そうなんだ」
縁は一言だけ呟いて、何かを考えこむように沈黙した。その代わりに高遠さんが俺に尋ねる。
「勝威は知ってるの?」
「え!?まさか。言ってないし、言うつもりもないですよ…」
「なんで?」
「なんでって、言われても…。俺にそんなこと言われても、そういうの面倒くさいって思うだろうし…」
「勝威がそう言ったの?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど、でも…、いって!!」
次の瞬間、頭のてっぺんに痛みが走った。高遠さんの拳が思いっきり振り落とされたせいだ。
「ちょ、なにするんですか!?」
「うーん、なんかわかんないけど勝威ならこうするかなって。あとちょっとイラッとした」
え、笑顔でそんなこと言われても。しかもなんとなくデジャヴを感じる。
「鷹臣くん、1年間て結構早いんだよ」
ふと、高遠さんの顔つきが少し変わってドキリとする。笑っているけど目はすごく真剣だった。
「ちゃんと欲しいものは欲しいって主張しないと。手に届かなくなってからじゃ遅いんだから。」
1年。そうだ。1年生の俺が勝威さんと過ごせるのってそれしかないんだ。でももし俺が打ち明けたことで、今の関係が崩れたら?残りの時間はどうなるんだろう?
「鷹臣君は余計なこと考えすぎるんだよ。今の鷹臣君が言ってることって、相手のことを考えてるように見せかけて単なる自己防衛でしかないって気づいてる?」
ストレートな高遠さんの言葉がグサグサ突き刺さる。頭を殴られたときよりもずっと痛い。
「鷹臣君はさ、人のためには動けるじゃん。今日だってみどりちゃんのためにそんなに怒って。そういう鷹臣君が俺らはすごく好きだよ。その行動力をさ、自分のために使いなよ」
自分を大事にできない奴は結局誰も大事にできない、自己犠牲が尊いなんて思い上がりだって。高遠さんは言った。
「まぁ、今言ったのはそのまま勝威にも言えることかもしれないけどね。ねー、みどりちゃん」
「僕に振られても、兄貴の考えることはわかんないよ」
縁は心配そうに俺のことを見ている。俺が少しだけ泣きそうな顔をしているせいかもしれない。
「あ、そうだ!大事なこと思い出した」
張り詰めた空気を破って、突然高遠さんがわざとらしく大きな声を上げる。
「さっき洋介君が教室に来たとき勝威も一緒にいたんだよね」
「…………え?」
「それでなんか、嫌がらせの話聞いた後、人一人くらいなら殺しそうな顔で教室出て行ったよ!鷹臣君のとこに来ないってことは例の濱谷のとこ行ってるのかな?」
は?
…はぁああああああ!?
かなり白々しく「うっかりしてた☆」とか言ってるけどなんなんだよこの人!
「ごめんね鷹臣。高遠はもう、なんていうか………こういう性格だから」
「いや!そんなドンマイって言うような顔しないでよ!」
縁と高遠さんのことは置いておいて、勝威さんを探しに勢いよく部屋を飛び出した。俺のことで怒ってくれたんだとしたらすごく嬉しいけど、もしそれであいつに怪我でもさせたら。いくら自由な校風だって言ったって停学とか、もしかして退学とか…!
どうしよう、どこにいるのか検討もつかない。こんな無駄に広すぎる学園の中のどこから探せばいいんだよ。
あ…、そうだ。わかんないけど、あそこに行ってみよう。あの一件以来一度も足を運んでいなかった場所。
根拠はなにもないけれど、俺はひとまず裏庭に向かって走り出した。
高遠さんから言われた言葉を胸の中で確かめながら。
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