「なまえ?」
「…何、俺様跡部サマ」
「はっ、久し振りじゃねーの」
ずかずかと近付いてくる跡部景吾に、思わず眉間に皺が寄った。それに気付いたのか彼はそこで足を止め、口を開く。相変わらず上から目線だなあと思った。
「珍しいな、お前がこんなところにいるのは」
「別に、あんたに会いに来たわけじゃない」
「あ?じゃあ他の奴らか?どういう風の吹き回しだ?」
「誰でもいいでしょ、私に干渉しないで」
「…お前、その首どうした」
「――、…別に」
跡部景吾というひとは、人の弱みに鋭いひとである。私との関係を述べるなら、腐れ縁といったところだろうか。ただの幼馴染である。どうして私がこの金持ちの幼馴染かなんてのはよく覚えていない。彼は決して悪いひとではないのだけれど、他人の感情にも疎くはないのだけれど、どうしようもなく自信家なのである。女の子の負の感情というものすらも、自分ならどうにか出来ると思っているのである。…嫌がらせについて、彼に話したことはない。というより私の口から話したのは日吉少年だけである。どうして跡部景吾に言わなかったのか。…簡単な話だ、例の社長令嬢はこの俺様跡部サマに恋する乙女だったのである。自重を知らない跡部景吾は私に普通に話し掛けるから、その類の女の子から妬まれていることくらい、鋭くない私でも容易に分かっていたのだ。けれど、嫌がらせの件について彼に責任を負わせる気などなかった。事の発端は結局、私が父親に関わったことなのだから。
「…みょうじ先輩?」
「おー日吉少年、支度終わった?」
「何だ、日吉じゃねーか」
跡部景吾を映した日吉少年の目が、ゆっくりと瞬きした。跡部景吾は少し意外そうに目を丸くし、二人の視線が私に向けられる。説明を求める視線であった。
「日吉少年、これ私と腐れ縁の跡部景吾。俺様跡部サマ、この少年は日吉少年。私は是非彼の爪の垢を煎じてあんたに飲ませてやりたい」
「あーん?誰がそんなことするかよ」
冗談の通じない男である。いや私は本気だけれど。
「さて日吉少年。暗くなっちゃったし帰りませんか」
「え?あ…はい。跡部部長、お先失礼します」
「あ?おいなまえ、車で送ってく」
「勘弁してくれ。高級車で家の前までなんて井戸端会議の良いネタだよ」
そう言い残して頭を抑えつつ日吉少年と帰宅である。仲、良いんですね。日吉少年の口からそんな言葉が漏れた。
「え?いやいやそれはない。そりゃあ悪くはないけれど…昔ならともかく今はね。周りの目とか、家とか、そんなの気にしなきゃならないから、疲れる」
「…そういうものですか」
「それにさ、あいつ自信家でしょ?だから、…自分なら私の人間関係とか全部、何とか出来るっていうところが、ちょっとある」
「………」
「例の社長令嬢、俺様跡部サマが好きなんだって。だから私のこと、元々あんまり好きじゃなかったみたい。…そんな人、他にもたくさんいるんだけどねえ」
ほう、と溜め息を吐いた。悪いやつじゃないのは、分かってるんだけどね。そう苦笑してみせると、俺は、と日吉少年が此方を見た。
「俺は、…そういう迷惑、かけてませんか」
「え?」
「気を遣わせたり、…させて、いませんか」
本気で心配そうに私の顔色をうかがう日吉少年に、もう一度笑顔を向けてから、「大丈夫、むしろ私が迷惑かけてない?」と返してみる。彼はそれでも少し心配そうにしていたけれど、「何かあったら、遠慮とかしないで下さい」と念を押すように言われてありがとうとお礼を言った。
「でも私、日吉少年にはわりと何でも話せるんだよなあ」
「…え?」
「何かこう、聞き上手っていうか。日吉少年と話すの、楽しいし」
「…そう、ですか」
何故か目を逸らした日吉少年が、「…電話とかでも、出来るだけ出ますから無理はしないで下さい」と言ったのに目を丸くしつつ、ありがとうともう一度告げた。
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