死にました。…いや、死んだはずでした。

「…何してるんですか」

「は、…え?」

何か可笑しいと感じたのは、キノコヘアーの少年に声を掛けられたからなのですが、彼は私が振り向いたその瞬間、目を大きく見開きました。

「…は?」

「ん?…っぎゃああああ!」

首がポキリと折れていました。



***



少し前の話を致しましょう。それはそう、私が死ぬ前の話です。そういうとまあ今私は死んでいるということになりますが、何故死んだはずの私がこうして語ることが出来ているのか、当の本人にもさっぱり分からないので気にしないことに致しましょう。死人に口なし。異議ありです。死人にも口はありました。

氷帝学園というこの学校は、かの有名な跡部財閥御曹司、つまりは跡部景吾生徒会長兼テニス部部長を筆頭に、俗に言うお金持ちの方が多くいらっしゃいます。勿論私のような一般家庭の人間もおりますが、まあそんなことは良いのです。今回の問題は、どこぞの社長の娘なのですから。彼女はどうしてか、私の事が嫌いでした。といいますか、私は彼女に憎まれておりました。心当たりはあるような、ないような。私はあまり愛想のよい人間ではありませんでしたので、元々彼女から好かれてはいなかったように思います。事の境目は、とある授業参観でした。

彼女の父親は、少し変わった方でした。…いえ、決して悪い意味ではなく、ただ純粋に。この無駄に広い校舎で、彼は道に迷ったようでした。もう少し進めば人通りの多い通路へ出、もう少し戻れば案内板があったのですが、どういうわけか彼は普段使われない空き教室の前に立っていました。因みに私はというと、後ろに多くの視線を感じながら受ける授業など耐えられない、と彼が立っている空き教室へサボりにきたのです。「どうしましたか」と愛想もない声で私は尋ねました。彼は自分の娘の教室が見付けられなかったようでした。彼の娘は私と同じクラスでしたので、内心面倒くさく思いながらも彼を案内致しました。余談ですが、私が彼を彼女の父親だと知ったのは、彼に話しかけた後でした。彼女の父親だと知っていれば、私は彼を放っておいて別のサボり場所へ移動したのですけれど。だってそうでしょう、サボったことが知れ渡ってしまえば、私の父の勤め先にすら影響があるかもしれません。飛躍しすぎた話であることは重々承知の上ですが、有り得ない話ではありませんでした。不思議なことに人間というのは、最初からいなかった他人は気にも留めないというのに、一度でも見かけた他人がいなければ気になってしまうものなのです。ふと彼が、足を止めました。「凄いですね」彼は私に微笑みました。彼が誰の父親か知ったとき、私も自分の名前を名乗りました。その名前が、壁に貼られた紙に書かれていたのです。先日行われた定期試験の順位表。私の名前は上から五番目辺り。授業をサボタージュしてもある程度の成績は保てるよう、試験は真面目に受けていたからでありました。彼の娘の名前は、上位者のみが名前を印刷されたその紙にはありませんでした。何と返せば良いのか分からず、曖昧な笑みを浮かべた私を彼は気に入ったようで、随分とフレンドリーに話し掛けられました。本当に変わった人だと思いました。愛想のない人間に愛想を振りまいて、一体何がしたいのでしょうか。

授業は特に問題なく行われました。一度、面倒くさそうな問題を当てられてしまいこっそり溜め息を吐いたのを覚えています。成績の良い生徒というのは、こういうときよく当てられるものらしいのです。すなわち、授業をさくさく進めたいときです。特に問題なく答えると、後ろから小さく微笑まれる気配がありました。こっそり見たそこには、先程道案内をした彼が立っていたのでした。

授業が終わり、さっさと家へ帰ろうとした私を、彼の声が引きとめました。彼は彼の娘と二人で立っていました。彼の娘は不思議そうに「どうしましたか、お父様」そう尋ねました。彼は私に、彼の娘と今後とも仲良くしてやってくれと言いました。「は?」「え?」私と彼の娘はほぼ同時に、疑問の声を上げました。正直、何を言ってるんだこのおっさんはとでも言いたい気分でした。まあ私の気分などどうでもよいのです。問題は彼の娘でした。彼女はその場ではぎこちない笑みを返していましたが、次の日。彼女は授業参観の翌日から、私にあからさまな嫌悪を向けてきたのです。「貴女のせいよ」と彼女は言いました。「何故私と貴女が、比べられなくてはならないの?」そんなこと、私が知る筈もありません。ただ、父親に色々と言われたらしかったのです。お前は出来が悪い、などと。父親へ向けられない怒りが私へ向いたのだと、何となく悟りました。そこからの事はまあ、察していただけるとありがたいのですが、言ってしまえば陰湿な嫌がらせや暴力と見て見ぬふりをする学園ですね。両親には言えませんでした。そのせいで父親がリストラ、なんて前述した通り有り得ない話ではなかったのですから。



「そこでどうしようかと考えましたところ、『よし死のうか』と思ったわけです」

「どうしてそうなったんですか」

私が死ぬまでの経緯を目の前のキノコヘアーの少年に告げてみました。理由を尋ねられました。なんてこった。

「ところで、ひとつ聞きたいんですけど私足付いてます?」

「は?…ええ、まあ」

「じゃあ私生きてる!?」

「折れた首を傾けないで下さい。怖いです」

有り得ない方向に曲がっていた首を両手で戻した。しかしよくこの少年逃げ出さないな。首が折れて死なない人間なんて考えられないし、じゃあ私死んでるのか。そういや痛くないぞハハハハハ。「…何笑ってるんですか気色悪い」…ぐさってきた。心が痛いぞこの野郎。

「取り敢えずだねキノコヘアーくん」

「…日吉若です」

「ひとつまずいことがある」

「…何ですか」

「屋上に遺書があるんだよ。最期のテンションってやつで書いた」

「…何ですかそのテンション」

「あんなもの書かなきゃ良かったと私は今更後悔している。さあ拾ってきてくれ」

「何様ですか」

「俺さ…わあああごめんなさい拾ってきて下さいいい」

土下座をするとまたも有り得ない角度で首が曲がり頭をぶつけた。でも痛くない。

「…まあいいですけど。自分で行かないんですか?」

「この首で走ってみろ。大変なことになるぞ」

「………」

急ぎ足で向かってくれるキノコヘアー…じゃなくてひ…ひよ何とかくんに手を振った。いってらっしゃーい。


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