奇妙に傾く彼女の首を、俺は無機物を見るような目で見ていた。
固まった跡部部長を一瞥して、俺の口が滑らかに動き出す。まるでそこだけ別人と入れ替わったように、迷うことなく俺の脳内のひとつの仮説を口にした。
「一説によれば人間の身体は、霊魂と肉体で出来ていると言われています。心と体、魂と身体、…何でもいいですが、みょうじ先輩はそれが分かれている状態にあるのではないでしょうか」
ぽかんとした二人の顔に若干の居心地の悪さを覚えるが、自分なりに出した答えとして一番しっくりきたのがこれなのだから仕方ない。病院に在るのが彼女の肉体。此処に在るのが彼女の霊魂。何故分かれたのかは分からない。俗に言う幽体離脱とかその類だと思われる。そもそも人間の理解を超えたところにある話を納得のいくように説明するという行為自体が不可能だと俺は考える。
「経験論で申し訳ないですが、俗にいう幽霊すなわち霊魂とみょうじ先輩には相違点があります。その最たるものが具現化されていること。すなわち見える、触れることです。――跡部部長、ええと…ああ、今此処に何が在りますか?」
怪訝そうに「何も無えじゃねえか」と呟く跡部先輩と、小さく息をのむみょうじ先輩。そこには三日前此処で出会った、霊魂が在る。かつて死した肉体から抜けた、霊魂が。
「この二つの違いは、肉体の生死。跡部部長、病院のみょうじ先輩は、生きているんですよね?」
「あ?…ああ、そのはずだ」
「つまり、」
「待って、日吉少年」
彼女が俺に制止をかけたかと思うと、混乱したような彼女と目が合った。慌ててその青白い手が首を元の位置へと戻す。うまく言葉が出ないらしい彼女が落ち着くのを黙って待っていると「ごめん、ありがとう」と小さく笑って彼女は口を開いた。漸く落ち着いたらしかった。
「つまり、私は自殺する前から既に死んでいたってこと?」
「四日前ですから、そうなります」
「おい待て自殺って何の話だ」
口をはさむ跡部部長への説明は取り敢えず後回しにして、話を進める。「あんたはちょっと黙ってて」と言うみょうじ先輩は、いつもと変わらなく見えた。
「霊魂は、肉体のようには死なないのでしょう。だからこそみょうじ先輩は、首が折れても死ななかった。肉体に意識が戻らないのも当然です。霊魂が此処に在るんですから」
「じゃあ、私がもし病院に在る身体に戻れたなら、生き返る…ってこと?」
「おそらくは。ただ、気になることがひとつあります。…霊魂で負った怪我は、肉体に影響を与えるのでしょうか」
しん、と水を打ったように辺りが静まり返る。何となく会話から状況を察したらしい跡部部長が、取り敢えず病室を訪ねてみるかと提案する。言い方からしてまだ行ったことが無いんだろうなと予想した。みょうじ先輩はよし行こうかと何やら意気込んでいて、俺と跡部部長は目を丸くする。彼女の目に、迷いはなかった。
『ふは、下剋上かあ、是非やってくれ君なら出来る』
彼女の声が、脳内で響く。
『何かこう、きらきらしてる』
きっと彼女は何気なく呟いただけの、コトバ。
『え?何でそんなこと言うの、アレも人間だよ?一応』
そんなことを言われたのは初めてで。
『こっそり見てるから、頑張れ』
抵抗もなく受け入れたコトバはじんわり広がり安心を与えた。
「だってもう死んでるのに、死ぬのを怖がってる場合じゃないよ。生き返って、美味しいもの食べて、ゆっくり寝たいじゃない」
だからそうやっておどけるように笑った彼女が本当に死んでしまうのが、たまらなく怖いのだ。
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