一片の | ナノ


「おつかれー!」

休憩の時間になると、ドリンクとタオルをベンチに置いてまわる。その時が一番ちらほらと私についての噂を聞く時だった。「南条の笑顔って癒されるよなー」とか「年下なのに綺麗め?っつーの?」とか、容姿に関しての人気はちょっと自覚できている。忍足なんかは「ほんまに足綺麗やな」とか直で言ってきた。これだけの噂をされていても、私がファンクラブ(とある人は親衛隊とも言っていた)に苛められることはない。辞めた相川先輩は「跡部くんのファンが多くて一時期は結構苛められたんだけどね」なんて懐かしむように言っていた。苛められない最大の理由は今やファンクラブの頂点は私の友人に代がわりしていたからで。むしろプロマイド制作のために協力を仰がれていたりする。だから男子に色々噂されても女子は手を出してくることはなかった。
そんな安定した部活動生活は夏休みを目前に控えていた。夏になれば大会もあって、三年生が辞めていく。先輩たちには悔いの残らないようにサポートを続けなければと自分自身の背中を押した。

「休憩終わりだとー」
「おー。今いくー!」

部員がコートに戻ってまた練習を始める。ラリーの続く音、サーブを打つ音、コートをすべるシューズの音。それぞれのコートからいろんな音がする。七月の湿りけのある熱い風が吹いた。
一通り見渡してから作ったドリンクを片付け始めて、その間にも考え事をする。この仕事は大変だけれど、それなりに充実している。長太郎くんのひたむきに頑張っている姿がここからはよく見えて、こうして物思いにふけるときは好きになってよかったと思ったり。
ただ、一つ、どうにも踏み出せない自分がいることは確か。ありきたりな当たり障りのないメールの内容、どこにでもある校内にいたら似たようなものがいくつも出てきそうな会話。前に進めない。一緒にどこかへ遊びに行くこともない。
…あ、そうか。遊びに行こうって誘えばいいのか。
ふと夏祭りという単語が頭に浮かんで、思わず顔がにやけた。勇気がなくて直接言えずとも、メールなら言える。
ハッとして口元を押さえるものの、なんだか遅かったような気がした。にやけていたところを誰かに見られていないか、今更焦って周りを見回した。コートのそばに立っていた景吾と目が合って、思わず表情を失う。私を見ていたんだろうか。景吾にはまるで何もなかったかのように、自分でも薄っぺらいと思えるほどの笑顔で笑って見せてから仕事に戻った。
どことなく感じてしまう背徳感に、目の前にある喜びの種。挟まれているような苦しさに、私はそこから目をそらした。
もう夜になるというのにまだ明るい空が、夏を実感させる。途中まで家が一緒だという面々と一緒に帰ろう、と言って何時ものように帰路についた。その中にはもちろんのこと、長太郎くんもいて。私はみんなの会話から少し外れて、長太郎くんに宛てたメールを打った。

"夏休みのいつでもいいから、お祭り行かない?"

顔をあげてみると、私だけは右に曲がる分岐点があった。長太郎くんが携帯を取り出し、確認したのを見て、私はみんなに「それじゃ、わたしはこれで」と言った。長太郎くんは驚いたような恥ずかしいような顔で「気を付けて!」と見送ってくれた。
これで君が意識してくれたら…なんてね。


間違いなんて決めつけないで
(確かに私は踏み出しているのだから)






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