一片の | ナノ


シャワーを切り、体温を取り戻した体で湯舟に浸かる。カーテンと磨りガラスのドアを一枚隔てた向こう側から景吾が話しかけてきた。

「学校の教材はどこにある?」
「全部学校にある。家で勉強なんかする余裕ないもん」
「わかった。服はこっちで用意してある」

余計なことを何も言わずに景吾はドアを開け(恐らく服を置いて)直ぐに出ていった。体を痛め付け過ぎたのか、眠気が重たくのしかかるように襲ってきた。

「(早く上がんなきゃ…)」

ざぱぁ、と私が立ち上がった為に音を起てた湯舟のお湯を、栓を抜いて捨ててからカーテンを開けた。傍にきちんと畳んであるバスタオルは真っ白で清潔感があふれている。それを一枚とってからゆっくりとした動作で髪を体を拭いて、風邪を引かないうちに用意された服を来た。

「景吾、」
「似合うじゃねえの」

風呂から上がって私が使って良いと言われた来賓用の部屋に戻ると、私を待っていたのだろうか、ラフな格好で椅子に座り本を読む景吾がいた。私は向かいのベッドに寝転ぶ。そして唐突に疑問をぶつけた。

「なんで、あそこにいるって分かったの」
私が家出をした際には携帯すら所持しておらず、飛び出してから大した時間も掛かっていなかったはずだった。それなのにあれ程早く大通りの脇に添えてあるようなベンチで見つかるのはおかしいと思っていた。

「探したんだよ。馬鹿か」

「そっか。…そう、だよね」

跡部のお坊ちゃまを侮るなかれ。人を見つけるなんていう警察の真似事は簡単にできてしまうらしい。
きっと私が本家を飛び出したと聞いて連れ戻す為に探したんだろう。でも帰りたくないと駄々をこねるから、一時的に保護されている。

「ごめん」

謝る度に憂鬱になる気分と、謝る程不機嫌になっていく景吾。それに気がついても私は謝ることをやめられずにいた。

「…もう、寝ちまえよ。明日は学校休んでいい。疲れただろ」

布団に潜ったあと、布団をかけ直される。眠気が限界だった私は景吾の手に視界を遮られると、すぐに深く眠りに落ちる事ができた。





丸半日、眠っていたらしい。窓から臨んだ空は紫色のグラデーションで厭味な程綺麗だった。
景吾はまだ学校だろう。テニス部の軸となって動いているというのは、学校にいると興味がなくても自然に耳にする。

「起きたか」
「景吾…?部活は?」

噂をすればなんとやら、と日本語で言うらしい。景吾は制服のまま、昨日本を読んでいた時に座った椅子に再び座る。

「今日は休みだ。いつもならジムに行くが…流石に燈子を放ってジムなんかに行けねえ」

また「ごめん」と口に出しそうになって堪えた。謝って謝られてばかりじゃ気が滅入るのも確かだ。
こういう時、なんて言うんだろう。
普通なら御礼を言うんだろうけど、ありがとう…はこういう場面で使っていい…のかな。

「Thank you.」

迷ってから英語で伝える事にした。私にとって日本語より馴染みがあるのはドイツ語と英語だから。
すると、景吾がやっと久しぶりに笑ってみせて言うことには。

「Don't mention it.(気にすんな)」

心配かけっぱなしで不安な顔させてばかりいたから、やっと景吾が笑ってくれた事に安堵を覚えた。心が落ち着いて、いく。

「私さ…やっぱり駄目だよ。日本だと上手くいかない。クラスのみんなと一緒にいても仲良くなれないし家に帰ったって居場所はない。お父さんもお母さんも忙しいから、前は御祖母様から庇ってくれたけど今はそんなことできない。自分で立ち向かったって結局周りに迷惑かけてばっかで…」

気が緩んで、ボロボロと口から零れるのは弱音だった。あれ、おかしいな。こんなにたくさん言うつもりじゃないのに。

「本当は皆と仲良くしたい…!御祖母様があんなに私に突っ掛かってくる理由もわからない!私はただ…普通に生活してるだけなのに…!なんで皆に迷惑掛けちゃうの……なんで景吾に庇ってもらわなきゃ生きていかれないの!……こんなの、嫌だ…!」
「少なくとも俺は迷惑だと思ってねえ。もっと頼っていい。全部一人で解決しようとすんなよ。人間関係なら尚更だ」
「だって…ぅう…、…!」

景吾にしがみついたまま私は泣いていた。涙が熱い。喉の奥が痛い。やるせなくて情けなくて心が痛い。
景吾は制服のシャツに皺が寄るのなんか気にせずに、私の頭を引き寄せて抱きしめてくれていた。


上手くいかないのは誰の所為
(悲しみが、満ちる)



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