『何の為に生きてるんだろうか』
『毎日が楽しくないわけじゃない』
『何かが決定的に足りない』
そう。圧倒されるようなスリリングな毎日はいらない、けど、味もなければ色もない人生だった。
物事はプラスとマイナスの側面を併せもつ。だから人生はそのプラスとマイナスの面のどちらかに転がるかがわからないから楽しいのだ。私の人生はなんとなく安定していて、私はその人生を色がないと断定した。
だからあの時、私は屋上の柵がボロくなっているのを知りながら、『壊れないだろう』とか『死なないだろう』とか思いながら寄り掛かったのだ。
マイナスは、考えなかった。
いや、考えていたはずだった。"死"というそれは漠然と私の頭の中にあったが、あまりにも未知だった為に考えが及ばなかったのだろうと今になって思う。
人はどう足掻いたとしても死に向かいたがる生き物であるのだ、と誰かの言葉が脳裏に掠めたのと、それは同時だった。
柵が壊れて、私は落下した。背中を打ち付けて激痛と共に意識を手放した。
次に目が覚めたときは、看護師に囲まれていた。そして私は生理的に叫んでいた。いや、正式には看護師ではない。助産師だった。私の叫び声は産声だった。
私は、第二の人生を胎児からやり直す事となった。
立つことや歩くことは身体の成長であったからどうにもならなかったが、精神面での私の成長はなかった。なんといっても成長しきっていたのだ。言葉を操るのは早期だったし漢字だって読み書きできた。両親はこれを気味悪がった。
私は子供のふりをする不便さと奇妙に思われる不便さを天秤にかけて、奇妙に思われるほうをとった。
そして、私には兄がいた。
結論からいってしまえば兄は前世において私の弟だった律也だった。彼は前世の記憶を私のように最初から携えていたわけではなく、思い出すのに時間を要した。まだ記憶に関しては今でも不完全であるし、思い出すのには頭の痛みを伴う。昔の思い出はまだ思い出せずとも基礎知識や常識はある程度思い出したようだった。思い出してからの律也の成績はぐんと伸びた。
私達の名前は変わらなかった。それに性格も殆どかわりがなかった。しいて言うならば、律也の甘え癖が悪化した。
これにはれっきとした理由がある。幼少期に私が律也の面倒を見れると判断した両親が共働きに出た為だった。料理本を見ながら勝手に料理をしても両親に怒られなかった。
目も合わせずに「はじめてにしては、うまくできたわね」と母が言ったのをいまだに覚えている。
第二の人生で、私は母親の愛情を知らずに育った。別に、悲しくはなかった。子供を気味悪がる母親を母親と思わなかっただけの話だった。
ただ律也は第一子であったから、愛情をたっぷり注いでもらったために私より感情が豊かに育った。
はずだった。
一番最初に私との前世の繋がりに気付いた時、何を見たのか寡黙な子になってしまった。気の許せる家族や友人は表情があるものの赤の他人には無意識に睨みをきかせたりしてしまう。
だから他人は常に一緒にいる私を介して律也への接触をはかるようになり、律也は私により依存する形となった。
前世の中学生の頃に友達が二次創作である夢小説というものにはまっていて、私もそれを読ませてもらったのを今更思い出した。私の今の状況は所謂トリップというものではないか、と最近思い始めた。
ならばこの世界において私は完全なる異物だ。
この世界が私や律也を受け入れているとすれば問題はない。
けれど私や律也の前の世界とこの世界の理が違うとすれば?
「碧!早く行かないと入学式遅れる!」
「お兄ちゃん、いつまで30分前に着くルール守ってんの。心配しなくても遅れないから」
でも、まぁ。
そのときは臨機応変に、かな。
とある兄妹
(紛れ込んだ異物)