俺と知香子ちゃんは屋上で毎日とはいかないものの話をしている。初めて会ってから1週間ちょっとは経っただろうか。
そろそろ読書も飽きて屋上にでも行こうかと思ったときに、点滴の台を引き連れて知香子ちゃんが来た。
「屋上」
そうとだけ言って、待ってるとでもいうように知香子ちゃんは扉の向こうに消えた。屋上に行こうと考えるタイミングが一緒であることに一人笑みを零しながらも、俺は白いベッドから降りた。
そういえば点滴を打っていたのは初めて見る。点滴の針が刺さっているところも相当に包帯が巻かれていた。
どうしたのだろう。俺の頭の中はその言葉が支配していた。
知香子ちゃんから屋上へ行くように誘ってくれたのはなにも今日だけではない。二回三回は誘ってくれたと思う。だからこそ今日の様子が気になった。格別におかしいわけではないにしろ、少しいつもと違っていた。
「やぁ、知香子ちゃん」
「こんにちは」
知香子ちゃんはめずらしく何かを言いたそうだった。いつも話は俺から始まるから、知香子ちゃんはどう話を切り出せばいいか迷っているようにも見えた。
「精一くんの病気は、治るの?」
彼女が俺自身について聞いてきたのもこれが初めてだった。以前のケーキをつくると言ったときとかに、疑うように尋ねることはしばしばあったけれど。こうして知香子ちゃんから聞いてくるのは初めて。
どことなく嬉しい気持ちを抑えつけるようにして、質問に答えた。
「治る、よ」
「そう」
「待ってくれている人がいるから、絶対治すんだ」
知香子ちゃんは再び黙りこんでしまった。点滴の管が金具に当たる音だけが耳に入る。俺も聞いていいのかな。
「今日は点滴、してるんだ」
彼女の点滴の針が刺さっていない方の手に力が入ったのが見えた。ぎゅう、と握りしめられた拳はやり場をなくして手摺りの上でただ握られている。
「悪化したの」
「安静にしてなきゃだめなんじゃないのかい?」
「精一くんは病気、発症してからどれくらい経つ?……私は、もう10年になる」
「じゅう、ねん」
酷く長い時間だ。知香子ちゃんは人生の大半を病気の先が見えない恐怖と戦っていたのか。そんな、長い時間。
「麻痺、昏睡、視覚・聴覚障害……いろいろと経験してきた。次は、何が来るんだろう」
「手術を出来る病気じゃないのかい?」
「出来る、病気よ」
「体力の問題?」
深く聞き過ぎたかもしれない。知香子ちゃんはまた黙り込んだ。いつもより怯えているような様子で。
しばらくしてまた口を開いた時、知香子ちゃんは無表情のまま涙を流していた。
「そう。最初から体が弱かったのに、こんな病気。何に恨まれてるのか知らないけれど病院から出た記憶は殆どないの」
「……」
「幸い、家に金があって良かった。でも何も出来ない子供なんていらないから両親は私を見捨てた。今も尚、金だけは払っているけどね」
何もできない子供はいらない。その言葉が延々と頭を回っていた。いらない子供なんて、そんな、こと。
「言っちゃだめだよ、知香子ちゃんはいらない子じゃ、ない」
知香子ちゃんは静かに涙だけを流している。それで、俺の喉から嗚咽が漏れそうで。
これじゃ俺が彼女の代わりに泣いているみたいだ。
「ありきたりな言葉ね」
吐き捨てるような言葉だった。彼女の内側は、会った時と変わらず死んでいる。けれど。
けれど、更に涙が頬を伝って落ちていく。
「俺が、知香子ちゃんが治るのを待ってるんだよ。ほら、知香子ちゃんだって、泣いてる」
「泣いてる…?」
ゆっくりと目の下に彼女の指が添えられた。涙は更に零れ落ちていく。
「わたしも、泣けたのね」
笑おうとして悲しみに歪んだ表情。
彼女の人間らしい表情を一体どれだけの人が見てきたのだろうか。
Last Night,and Twilight.
(彼女は俺に何を望んだんだろう)