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彼は写真をとるのが好きだった。かくいう私もカメラが好きだった。あくまでそれは、私の好きというのは、機械が好きなのであって写真の美しさがどうこうというわけではなかった。
機械は、楽しい。分解と再生は既存のものをなぞっていくだけの作業だけど、すごく楽しかった。そこに、進歩は、ない。改造とか、してみるだけで一から機械を作ろうなんていう気はどこにも持ち合わせていなかった。

「君が機械をいじるところ、好きだよ」

彼はそう言う。また、綺麗だという。何かに打ち込む姿が、眩しいという。でも、テニスがあるでしょう。いや、あれには、本気になれないんだ。そう言って困ったように笑う彼の方が私には綺麗に思えるのに。
彼はよく、私にカメラを持ってくる。どれだけの感度が、どれだけのシャッターを切る時間感覚が、どれだけの光の量がどの場面に適しているか。彼はそれを知り、私はその改造してみたカメラを調整するただの機械の医者だった。

「不二くんの、写真。私みた事ないね」

恥ずかしいから見なくていいよ、と言う。でも私は自分のカメラがどんな景色を通すのかを知らない。このカメラは、調節をしている私より、自由に動ける足を持つ私より、この世界の綺麗なワンシーンを知っている。一枚の切り取られた綺麗な風景を、この子は。

「フィルム、見せてよ」

今時フィルムなんて、と思うかもしれない。でも、デジタルで通した世界とこのフィルムで通してみた世界が違うというのも確かだ。変わらないなんていうやつはナンセンス。雑誌に載せやすいとかメディアの面から言われるのも私にとってはナンセンスだ。アマチュアの世界だから。そう言えるというのもあるけど。
渋りながら不二くんはバッグのポケットからフィルムの入っている布袋を取り出して、ひとつ、私の手に載せた。

「これが、一番最初に撮ったフィルムだよ」
「最近のじゃなくて良いの?」

自信がないと自分で言ったのに、上達の過程を経ていないフィルムをわざわざ手に載せてきた。不二くんは私の問いに曖昧に笑って見せただけだった。

「確かに預かった。丁重に見てみる」

不二くんが「うん」と先程の曖昧さとは打って変わって明確に答えた意味は後でわかった。
いろんな種類のドライバーから使い勝手の良い愛用の一本を抜き取って散らばった部品を元のカメラに戻した。ネジをきゅ、と締めて異常がないか確認して持ち主に返す。持ち主は満足げに笑って「ありがとう」といった。

「さて、不二くんも忙しいのに手間取らせてごめんね」
「いや、依頼したのは僕なんだから」
「私にもっと技量があれば数分で済むものを何十分もかけたってところを私は謝ってる。あと、カメラが大好きだからやる。不二くんのカメラは私のいわば実験台。だから私が謝るのに正当な理由がある。わかった?」
「ふふ、相変わらずだね。君も忙しいのに毎回ごめんね」

それじゃあ、と言って帰る背中を見送る。雨の中わざわざ足を運んでくれたのかと思うと、自分の出不精が腑甲斐ないように思えた。

自分の部屋は、ジャンク箱だ。いろんな部品があちらこちらに転がって、コードもどこからともなく飛び出している。私にとっての安息の場所、世間からしたらジャンク箱。食物もないから虫も寄り付かない。オイルにはよってくるかもしれないが。
その部屋の隅にある機械の山からプロジェクターを取り出し、部屋を暗くしてフィルムを見てみた。

彼は、このフィルムの何を見て欲しかったのか。

紅葉の山を映した写真、檜や杉が伸びやかに生い茂る森の匂いを感じ取れそうな写真、川のせせらぎが聞こえてくるような写真。
人工物もある。どこか型にはめられたように散乱している化粧品の写真、ビー玉を近距離で撮ったキラキラとした写真、絵画の額縁のみを撮ったどこかもの寂しい写真。
どれもこれも、うまいとは言えない。美学をひとつも心得ていない私からしても感動より先に粗探しが始まる。

何を伝えようとしたのか。このフィルムを見ればわかった。
今まで見せなかった理由、今これを見せた理由。
別に今ではなくても彼は急いでなんていやしなかった。

「初心忘るべからず、」

不意にその言葉が過ぎった。きっと彼は今、上達しても満足などしていない。初心忘るべからず。写真にはそういうことだと言われた気がした。
私が一生懸命なのは歯止めが効かなくなったからだといつから気づいていたんだろう。のめり込むうちに、深く後ろめたくなっていくのをなぜ彼は知っていたのだろう。
彼には叶わないな。無意識に漏れた声に、初心を改めて考える私がいた。




方向性は違っても
(打ち込む姿は美しき哉)





お題:紅葉 檜 額縁