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授業中、窓際の後ろから二番目の席に座る名前はとある小説を読み終えていた。

「空に、似ている…」

最初のタイトルに戻る。その意味を咀嚼するようにゆっくりと小声でつぶやく。空。蒼穹、氷空、蒼空、そら。ソラ。
いろんなものを抱擁するかのようでもあるが通り抜けていくように広がる、その正体は非常に表面的なものだ。くるくると天候を変え、雨、雪、時には雷までもを出していく。まるで心のように。冬の朝は冷たく澄み渡り、ともすれば近く感じることもある。
そんな空に似ている少女、か。よく考えたものだ。

私は何に似ているんだろう。花のように儚く強くもないし、辞書のように便利ですらない。白紙のように純潔を極めているわけでもなし、水のように一定の形を伴わない柔軟性を持つわけでもない。強いて言うなら、そう、修正液のようになりたい。悲しいことや嫌なことを消して上書きできるようにしてあげたい。空白を作って上から塗れるように。雨にも風にも負けないのもいいけれど、欲を言うなら、その時だけでも嫌なことを忘れられるような人間に。
なんて。一番白紙に戻したいのは自分のことなのに。自分の過去を無かったことにしたいのに。

「あああああ……」

ポケットの中にある携帯を握りしめ、もう片方の手を膝に置いた。私はなんて約束をしたんだろう。はっ。宿題?なにそれ。自己満の小説くらい好きに書かせてよ。ばーか、ばーか。前にもこんな後悔があった気がする。あれか。小説の続きをせがまれたときに似てる。なんでこんなのせがむわけ…。好きに書かせてよ…!

「うぎぎぎぎ……」
「…何しとん?」

隣に座る友人が不審そうに名前を見る。当の本人は「ぎぎぎ……」と変な音を口から発しているだけで友人がかけた声には気づかないでいた。名前がなんか変、なんて隣の友人以外は気づいていない。クラスメートは先生の面白い講義に夢中で、それでも友人にとっては名前のほうがおもしろいようだった。

「どないしてん、名前」
「だんでも…だい…」
「は?」
「だんでぼ…だい…!」
「……。」

なんでもない。そう言いたかったらしいが言葉になってない。名前がトイレでも我慢しているのかと思えば放置しているのが一番おもしろそうだと思ったらしい友人は名前の言うとおり気にしないことに決めた。それでも時折聞こえてくる「うぎぎぎぎ…」という奇声は少々耳触りで、友人は「名前、」と一声かけた。

「さすがに気になるから静かに…って、ちょっと!!」

膝に置いていた手がいつの間にか力んで膝小僧に爪をくいこませていた。しかもそれが丁度かさぶたの位置で、爪がかさぶたを割って入り込み血を流している。

「名前!足!保健室!」

それほど名前の足が惨事になっているということらしく、友人は焦って単語しか出てこないようだった。クラスメートも野次馬精神で覗き「うわぁ」とか言いながら名前を保健室へ促した。
先生も血まみれの足を見て苦い顔をし「靴下真っ赤なってんで」と言って洗って消毒してくるように促した。そのあとに男子が「この中にお医者様はいらっしゃいませんか?!」とかふざけているのを見て、お前ら平和だな!と少しばかり殺意が芽生えたのはいうまでもない。

「先生!俺保健委員やから付き添い行ってくるわ」
「ええけどさっさと帰ってこい」

名字、行って来いという雰囲気の中で忍足が手を挙げる。それに反応がつい遅くなって「は?」と声が出た頃には忍足は私の前に立って私の腕を引いていた。
「名字、保健室」
「え、ちょ、」

うろたえる名前と腕を引く忍足に付き添う気が満々だった友人もぽかーんとしていて、普通に忍足がサボりたいが為にこうして名乗り出たと思っているクラスメートからは非難の声が上がっていた。

「ケンヤ!サボりたいだけやろ!」
「保健委員ですぅー」

いつの間にか「この中にお医者様はいらっしゃいませんか?」が「この中にお医者様の息子さんはいらっしゃいませんかー?」になっていて、そういえば忍足は医者の息子だったっけと記憶を穿り返す。

「はよいかんと雑菌入ったまま固まるで」
「そ、それはいやだ」
「せやろ」

また、これだ。どうしてこうなったっていう展開が最近多い気がする。しかも全部忍足絡みで。
痛みで引きずるわけでもないのに忍足に支えられながら廊下を歩き始めると、教室からはまた先生の講義の声が聞こえた。

「忍足って保健委員だっけ?」
「いや、確か…掲示係とかやない?保健委員は、多分、桜庭とかやった気が」
「じゃあなんで保健委員って言ったの」
「なんでやろな」
「はぁ?」

よくわからない。けれど現実では名前は忍足に付き添われて、足の痛みを引きずりながら保健室に向かっているのだった。