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今日男の子が来た。
私を夢の中から引っ張り出そうとしていた。外の世界を教えたいとも言った。だけど私がそれを拒絶すると彼のお母さんが男の子を咎める。それでも彼は外の世界へいかないまでも彼を通して外の世界を教えてくれようと必死だった。いたずらっ子の様に笑う声で、なんとなくはらはらした。でも彼は輝いていた。私は光を感じられないけれど、彼は輝いていた。
来る日も来る日も彼はいろんな事を話してくれた。学校というものがあるとか。国語でこんな話があったとか。休み時間に先生に怒られたとか。彼は主に学校の話をしてくれた。
彼が学校に行っている間、私はいろんな本を従姉妹の朔奈さんに読んで貰っていた。
私が唯一気を許す人。朔奈さんは花嫁修行をしていて、この家にいるのもそのためだった。比較的歳が近いのもあったし時間があれば私の元へ来てくれた。この時間が生きている中で一番好きな時間だった。
朔奈さんは時に琴や横笛を持って来てくれた。いつも練習の時間はお夕飯の前で、その時間がいつも楽しみだった。一日の中で時間がわかるのはその時だけだったから。それに、琴を弾いてみてもいいとか笛を吹いてみていいとか言ってくれるから、手探りでやってみたりした。琴はいくつもの線が張ってあり、指に力を入れて弾くと朔奈さんの弾く音とは違う鈍い音がした。それでも自分がやったという事が嬉しくて、当時はとても嬉しさを覚えたものだった。
視覚がなくても聴覚がある。それは私にとってかけがえのないものだった。


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名前は目が覚めて自分の部屋を見渡しながらひとつ伸びをした。腕がしびれた。指先にまでピリピリした感覚が広がって、やってしまったなと思った。腕を枕にして机に伏して寝るのはもうやめようと何度思った事か。今度こそ、やめよう。ちゃんとベッドで寝る。
ふう、と息を吐いて広げていたノートを見た。見た、というか睨んでいた。本人にその自覚はなくとも低血圧のせいで機嫌は悪く、別人を見ているように思える。眼はつり上がり、声は低く、眼光も鋭く、顔つきもどこか怖い。不機嫌の塊だった。

「名前ー、うわ」
「あ?」
「いや、あの、夕飯、できた…」
「あぁ」

タイミングが悪かったと思ったのだろうか。年上であるはずの兄でさえこんな風に怯える程今の名前には気迫がある。おずおずと兄が、自分で開けたドアを閉めると走って階段を降りて行く音が聞こえた。 名前は再び肺の中にある暖かな空気と体の外の冷たい空気を入れ替えるように溜息を吐いてから書きかけのノートを見た。
暗闇に沈む世界。人は完全な闇を感じると生命の終わりを連想するらしい。きっとそれは太陽の消失を思わせるから。太陽の消失は生命の消失。では、最初から太陽を知らずに生きて来たらそんな事は思わないのだろうか。
机に向かって考えるとだんだん目が冴えて来た気がする。機嫌も回復して来たらしい。名前は家族全員が揃うまで夕飯に手を付けない母を思いながらノートを見つつ、腰をあげた。

一体私はなんという悲劇を書いているのだろう。

ノートから視線を外すと頭の中はいよいよ夕飯の事になった。